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其の五十四 獣除けのお札
しおりを挟む広大な藩邸の敷地内は、右を向いても左を見ても、どこもかしこも武士だらけ。
上屋敷が近づくほどに、やたらと目につくのが犬の手綱を握る衛士らの姿。数が多い。連れている犬はどれも眼光鋭く、半開きの口元からのぞく牙が白い。よく発達した筋肉、四肢逞しく、尾っぽがぴんと立ち、自信に充ち溢れている。
いざ変事が起これば、たちまち解き放たれて一斉に獲物へと殺到するのだろう。
訓練された犬は手強い。一頭二頭ならばともかく群れでこられたら、いかに藤士郎とてたちまち窮地に立たされることであろう。
周囲の雰囲気にすっかり気おくれしている堂傑。平静を装っているものの、目は泳ぎ、指先が小刻みに震えている。どうやら元が鼬の妖ゆえに犬が苦手らしい。
「うぅ、本当に襲われませんかねえ。うっかりお尻をがぶりとやられたら、たちまち術が解けてしまいますよぉ」
弱音を吐く堂傑。
生駒ら猫又芸者たちの人化けに比べると、たしかにいくぶん見劣りする堂傑の術。
とはいえそれも少し前までのこと。初見でこそ藤士郎に鼬頭を見破られたものの、寺で修行に勤しむうちに、そんな機会もぐんと減った。
「大丈夫だよ、もっと自分に自信を持って。それに私たちにはこれがあるだろう」
小声で堂傑を励ましながら、藤士郎は己の懐にある品をぽんと叩く。
それは巌然さまが持たせてくれたお札。
犬神の絵が書かれたお札にて、かつて各地を巡っていた空海さまが、旅先で世話になった村が猪や猿などの被害に悩まされていると聞いて、書き与えたとされる獣除けのお札を模したもの。
犬神は守護獣にてたいそう強い。
だからこのお札を祀っておけば、獣らは恐れをなして村には近寄らないのだ。おかげで獣が畑に悪さをすることもなくなり、村人たちは大喜びしたんだとか。
さすがに弘法大師さまほどのご利益はなかろうとも、そのへんの犬程度であれば……。
というのが、巌然さまからの受け売り。ああ見えて妖退治で勇名を馳せる僧。法力はかなりのもの。
おかげでいまのところ犬たちの鼻は誤魔化せている、問題はない。
「だから、堂傑さんは何があっても、けっしてそのお札を肌身から離してはいけないよ」
藤士郎の言葉に、こくこくとうなづく堂傑。
でもそこで藤士郎はふと思った。
「あれ? だったら銅鑼は大丈夫なのかしらん」と。
巌然さまから貰ったお札は藤士郎と堂傑の分のみ。
なにせあれもただの猫ではない。さりとて猫又とはちがうらしい。
とはいえ銅鑼が犬にやられる姿はちっとも想像できない。
ひょっとしたら銅鑼自身に、犬たちを寄せつけない理由があるのかも。
いまさらながらに自分の家の居候について、よくわかっていないことを思い出し藤士郎は「はて?」と首をこてん。
◇
幽海と銅鑼、弟子たちに扮した藤士郎らが通されたのは、御殿の中庭にある庵。
香り高く緑も鮮やかなお茶と加賀藩の名菓の羽二重餅をふるまわれて、「しばらく、おくつろぎくだされ」と案内の者。
なんと留守居役である大槻兼山が、なにかと忙しい身にもかかわらず、みずから応対してくれるという。
それだけ怪異集めに躍起になっているという証左。是が非でも高名な幽海僧侶の助力を得たいと考えているようだ。
しかしその場に藤士郎は立ち会わぬ。
ここまでやってきたのは、しらたまと心助の行方を求めてのこと。
だから銅鑼とともに、こっそり抜け出して彼らを探しに行く所存。
さりとて、でっぷり猫はともかく弟子がひとり消えれば目立つ。はばかりを装うのにも限度があろう。
そこで……。
「はいはい、わかってますって。でもあんまり長いことはもちませんから。できるだけ早く帰ってきてくださいよ、九坂のだんな」
ぶつぶつ言いながら、折りたたんで大事にしまっていた紙を床に広げる堂傑。
それは今度の潜入のためにと、特別にこしらえた大きな人形であった。
堂傑が印を結び、ごにょごにょ呪文を唱えるなり、むくりと立ち上がった人形。いそいそ、藤士郎が脱いだ僧衣と御高祖頭巾を身に着ける。
するとあら、不思議!
あらわとなっている頭巾の目元は藤士郎のそれとなり、じっとしている分には連れてきた弟子のひとりにしか見えなくなった。
式神を使った変わり身が完成。これにて誤魔化し、その間に藤士郎は勝手をさせてもらう。
興味深げに一連のことを見ていた幽海さま。「ほうほう」たいそう感心されたご様子にて「あいにくとわしは少し視える程度ゆえに、せいぜい時間稼ぎぐらいしか出来ぬが、あとのことは任されよ」と言ってくれた。
藤士郎は深々と一礼ののちに、もぐもぐお八つを頬張る銅鑼をともない庵をあとにする。
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