狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
51 / 483

其の五十一 武仙候

しおりを挟む
 
 五尺半ほどの長さの白木の棒。これに千枚通しのような鋭い突端をつけただけの代物。装飾の類は一切なし。
 はたしてこれを見てすぐに「槍だ」と答えられるものが、日の本にどれだけいることか。
 そんな奇異や武器を手に「なんだ、この紙切れは?」とつぶやいたのは、加賀藩の江戸留守居役である大槻兼山(おおつきけんざん)。
 齢六十を超える老骨ながらも、藩内において並ぶ者なしと云われている槍の名手。忠義一徹にて、殿からは「武仙候」との愛称を与えられるほどに信任厚き人物。現在は末子の春姫の守り役を兼任しているが、ゆくゆくは留守居役を辞任し、こちらに専念する所存。

 そんな大槻兼山、ここのところ熱にて伏せっている春姫の寝所を守っていたら、怪しげな気配を感じた。
 素早く視線を走らせ周囲をたしかめてみると、暗がりにまぎれるようにして、なにやらふわりふわりと漂う怪しい白い影。
 古強者、すかさず身辺近くに置いてあった愛槍を手にし、電光石火、一撃にてこれを穿ち粉砕する。

 この様子を見ていたのが隣室にて、疫病神払いの祈祷の準備をしていた若い美僧。
 すかさず「臨兵闘者皆陣列在前」と九字切る。「悪魔降伏、怨敵退散、七難即滅、七復速生秘」と唱え、中空に向かって「ふぅーっ」と大きく息を吐いた。
 すると大槻兼山の手にあった紙の切れ端が、ぼっと青い炎に包まれ、たちまち灰となって消えてしまった。
 これと同じ末路を辿ったのが、堂傑が藩邸内に放っていたすべての式神たち。

「いったい何事だ? 雅藍よ」

 大槻兼山よりぎろりとにらまれ、すかさず平伏した美僧が答える。

「おおそれながら、どこぞの愚か者が式を放ったものかと。ですがどうぞご安心を。すでに呪は、この雅藍がすべて打ち払っておりますので」
「そうか。はっ! もしや姫さまの病状もそやつのせいなのでは」
「……かもしれません。なんにせよ、備えをいっそう厚くすべきかと。それから念を入れて天魔覆滅の儀を急いだほうがよろしいかと」
「ぐっ、わかっておる。いま方々に藩士らを走らせて、怪異をかき集めさせているところだ。じきに必要な数が揃うだろう。それまでのあいだ、御身は春姫さまを守ることにのみ専念せよ」
「はっ、この身命にかえましても」

 両手をついて、畳に額がつかんばかりに頭を下げる美僧。
 そんな殊勝な態度をとっている雅藍であったが、この時瞳には剣呑な輝きが宿り、にやりと口の端を歪ませていることに、大槻兼山は気がつかない。

  ◇

 行方不明となっている、しらたまと心助なる猫又の卵たち。
 その身が加賀藩の江戸屋敷内にあるらしいとの情報を掴んだ藤士郎は、元陰陽師である堂傑の助力を得て、式神にて真偽を確かめようとする。
 けれども凄まじい槍の遣い手と、術者によって邪魔されてしまった。
 術者は相当の実力の持ち主らしく、深入りするのは危険と判断した巌然さまにより、その日はここまでとあいなった。

「藩邸の奥に術者を招き入れている時点で尋常ではない。どうやら加賀藩では何かが起こっているようだな。となれば下手に突けば薮蛇となろう。どれ、弟子の成長もみれたことだし、ここはひとつわしが動くとしようか」

 加賀藩で何が起きているのかを探ってくれるという巌然さま。
 とはいえ相手は百万石の大大名。うっかり虎の尾を踏めば、たちまち喰い千切られてしまう。

「あのう、私としては助かりますが、その、本当によろしいのでしょうか」

 案ずる藤士郎に「心配するな」と巌然さまは自分の厚い胸板をどんと叩く。

「まぁ、まかせておけ。これでも方々に伝手がある。それに大大名のこと、所帯が大きいぶんだけ、どうしたって上手の手から水が漏る。いかに内々のこととて、そうそう隠し通せるものではない」

 現状、打つ手のない藤士郎は和尚の厚意に甘えるしかない。
 だがこの貸しはきっと高くつく。
 師弟ともどもに受けた恩義に報いるために、のちのち、いったいどんな無理難題を課せられることか。
 猫又だけでも頭が痛い問題なのに、そのことにまで悩まされる藤士郎は顎下に梅干し皺を浮かべて、むぅんとしかめっ面。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...