狐侍こんこんちき

月芝

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其の五十 式神

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 猫又たちの探索の手が、どうして加賀藩の江戸屋敷内にまで及んでいないのか。
 それは邸内に多数の犬が放たれているため。みなきちんと訓練された特別な犬にて、うかつに近寄ろうものならば、たちまち嗅ぎつけられて、わんわんがぶり。
 ならばもっと小さな鼠たちであればどうかといえば、こちらも似たようなもの。
 邸内は奥へ進めば進むほどに手入れが行き届いている。それこそ塵ひとつ落ちていないぐらいに掃除がなされているばかりか、守りも厳重。うっかり天井裏や床下で「ちゅう」と鳴こうものならば、すぐさま箒片手に女中らが鬼の形相で駆けつけるというから、おっかない。

 身軽な猫や鼠ですらもがこれでは、人の身で探り探りの行動となれば、早々に詰むだろう。
 弱った藤士郎、馴染みの茶屋にて団子をかじりながら「さて、どうしたものやら」と悩んでいると、「おや、九坂のだんなじゃありませんか」
 声をかけてきたのは、ひとりの修行僧。
 誰かとおもえば知念寺の巌然和尚に弟子入りした鼬頭の堂傑であった。和尚に頼まれて芝増上寺の知り合いに手紙を届けてきた帰りだという。

「堂傑さん、しばらく見ないうちに、ちょっと体つきががっちりしてきましたねえ」
「おや、そうですか? 自分ではいまひとつわからないのですが……」

 巌然和尚は歩く仁王像との異名を持つ筋骨隆々な人物。
 体力あってこそ気力が活きてくる。逆にいくらやる気があろうとも、健全なる肉体を持たねば、何事もままならぬ。
 というのを座右の銘に掲げており、経文を読む時間より肉体をいじめている時間の方がよほど長いのではという変わり種。
 そんな御方に弟子入りした堂傑、つねづね師から「よく食い、よく寝て、よく鍛え、よく学べ! さすればおのずと悟りへの道は開ける」と言われており、その教えに従って日々精進している。
 はやくもその成果が身にあらわれているのを眺めていると、不意に天啓を得た藤士郎。ぽんと手を打つ。

「そうだ! 猫や鼠、ましてや人でも駄目ならば、べつので探ればいいんだよ」

 もと陰陽師くずれであった堂傑は、みっつの術が使える。
 そのうちのひとつが紙でこさえた式神を飛ばすこと。
 式神を使えば加賀藩の江戸屋敷の内部を探れるのではないかと、藤士郎は思いつく。
 だからさっそく頼んでみたものの、堂傑は眉尻を下げて「すみません。修行中の身ゆえに勝手はならぬと、師よりきつく申し渡されておりますので」と謝ってくる。
 ならばと藤士郎、すぐさま団子の勘定を置いて席を立つ。「おみつちゃん、ごちそうさま」
 もちろんすぐに知念寺へと行って、巌然さまに会うつもり。こうなれば直談判あるのみ。

 猫又どもが大挙して押し寄せるかも。
 此度の一件、対処を誤れば江戸の町がたいへんなことになる。
 かくかくしかじか、藤士郎が身振り手振りを交えつつ懸命に訴えたところ、巌然さまは「そういった仔細であれば、いたしかたあるまい。よかろう堂傑、藤士郎に協力して差し上げなさい」と首を縦に振ってくれた。
 だからその日の夜更けを待って、知念寺のお堂から巌然さま監修のもと、加賀藩の江戸屋敷へと式神を飛ばしてもらうことにする。

  ◇

 じょきじょき鋏にて人の形に切り取られた紙たち。
 それらが列を成しては、江戸の夜空を飛んでいく。
 空からであれば立派な門も深い堀も高い壁も関係ない。

 易々と江戸屋敷の敷地内へ侵入を果たした式神ら。
 すぐさま手分けして、目当てのしらたまと心助、猫二匹の姿を探す。
 その様子は、式神を通じて水を張った大きく平べったい陶器の盥(たらい)に映し出されている。

 水鏡に映る光景を眺めつつ、藤士郎が「すごいじゃないか、これで陰陽師としては凡骨だったの?」と首をひねって不思議がれば、「いやあ」と照れる堂傑。

「じつは自分でもたまげています。前はこんなにうまく操れなかったし、遠くの景色を運んでくることもかつかつでした。どうやらこちらにも寺での修行の成果が出ているみたいです。これもまた御仏のお導き、南無南無」

 弟子の言葉にうんうん、うなづく巌然さま。
 でもすぐに厳しい顔となり、「だからこそだ。なおのこと無闇に術を使ってはならんぞ。使いどころを誤れば身の破滅を招く。ゆえに固く己を律し戒めよ」と言えば、たちまち堂傑の背筋がしゃんとなり真剣な表情にて「はい」といい返事。

 師弟がそんなやりとりをしている間にも、懸命に働いている式神たち。屋敷内をちょこまか、手当たり次第に襖の奥の間を覗いては次へと次へと。
 やがて式神のうちの一体が、白雪のごとき毛並みをした猫の姿を捉える。

「いた!」

 おもわず声をあげ、盥に詰め寄った藤士郎。顔を水面に近づけて、よくよくその姿をたしかめようとする。
 でもその矢先のことであった。
 水鏡の中にちらりと人影がよぎり、銀閃が走ったかとおもったら、たちまちすべてがかき消えてしまった。

「なっ、肝心なところで消えちゃったよ。なんとかならないのかい、堂傑さん」
「ちょっとお待ちを。べつのに切り替えますんで」

 手元にて素早く印を結び、呪文をごにょごにょ。
 これによりふたたび水面に像が結ばれはじめたのだが、ここで「むっ、いかん!」と叫んだのは巌然さま。いきなり身を乗り出すなり両の腕をのばす。弟子と藤士郎らの襟首をむんずと掴み、そのまま力任せにうしろへと引き倒した。
 これに前後して水面が激しく波打ち、どんっ!
 陶器の盥が盛大に爆ぜ、飛び散る水飛沫と破片たち。
 とっさに着ていた袈裟衣の袖にてふたりと我が身を庇った巌然さま。
 おかげで誰も傷ひとつ負うことはなかったものの、もしも逃げ遅れていたらどうなっていたことか。
 あまりのことに堂傑は呆然とへたり込んだまま。

「式を返されたか。ぬかったわ。どうやら向こうにも相当の術者がいるようだ」と巌然さま。袖についた破片をさっと払う。

 身を起こしながら、藤士郎は「それだけじゃありません。どうやら鬼もついているみたいです。それも凄まじい槍を遣う」と頬についた飛沫をぐいと手で拭う。

 水鏡を通しての、ほんの一瞬の邂逅。
 目撃したのは、何者かが放った槍による刺突。
 かつて経験したことがないほどの恐ろしい技量を前にして、藤士郎は己の肌がぷつぷつと粟立つのを抑えらえない。


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