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其の四十三 人の世の理
しおりを挟む黒幕の正体も判明し、すぐにでも捕縛へと向かうかとおもわれた矢先のこと。
上層部より「待った」がかかった。
なにせ相手は江戸の経済を牛耳っているといっても過言ではない、札差であったからだ。
札差とは、公儀から旗本や御家人らに支給される扶持米を扱う業者。その数は百ほど。
莫大な量の米の運用を任されているがゆえに、産み出される利鞘も桁違い。
そうして得た富を元手に、別の商いに手を広げては更なる利を呼び込んだり、武士相手に高利貸しをしたり。
江戸に数多ある商家。大店と呼ばれるところはいくつもあれども、札差ほど安定して高い利益をあげ続けている稼業はない。
それゆえに方々に顔が利く。それこそ雑草が地下に根をはるように、あちらこちらに伝手を持つ。影響力は絶大。
しかも武士にとっては財布を握られているようなもの。
そんなお店へ「御用検めである」と踏み込む。
ことはとても千曲屋だけの問題ではすむまい。
ただでさえやっかいな相手なのに、そのうえ抜け荷のことまで絡んでくる。
藩ぐるみで加担しているところもあるかもしれない。そうなれば最悪、お取り潰しもありえる。それもいくつも……。
もしもそうなれば、いったいどれほどの者が路頭に迷うことになるか。ちょっと想像もつかない。
ことがあまりにも大き過ぎる。
南町奉行所では手に余る。
それゆえに情けないことながら、「待った」の声が掛かったのは渡りに舟であったことも否めない。
◇
悪事を糺して、正義を成す。
当たり前のことなのに、それがどうにもままならぬ。
難儀な話に藤士郎は「はあ」とため息。
「上の勝手のせいで、わりを喰う下々こそがいい迷惑だよ」
左馬之助も「まったくだ」と憤りつつ「とはいえ奇妙なのが、千曲屋ほどの豪商がいまさらどうして抜け荷なんぞに手を出したのか」
いくつもある蔵の中には千両箱が山と積まれている、であろうお大尽。
いまの米を中心にした武家社会が続くかぎりは、富は放っておいても向こうから転がり込んでくる。わざわざ危険な抜け荷なんぞに手を染める必要がない。
「えーと、もっと欲しくなったとか。ほら、黄金に魅了されたら、きりがないって話だし」
「おれもはじめはそんな風に考えたよ、藤士郎。だがな、どうやらちがうらしい。これはあくまで聞きかじった話なんだが」
ここでいっとう声の調子を落とした左馬之助。座ったままにて藤士郎へとにじりより、顔を近づけ、こしょこしょ。
「どうやら千曲屋の裏には、さらに大物がいるらしい。それは」
「それは?」
「……御三家のうちのどこか」
「えっ、御三家!」
「わっ、馬鹿、声が大きい」
とんでもない名前が飛び出したもので驚いた藤士郎、つい大きな声をあげてしまう。
あわててその口を手で塞ぐ左馬之助。
札差の利のみではなく、抜け荷で得た莫大な富。
それらがいったい何に使われ、どこに流れているのか。
すべては次の将軍の座をめぐる争いへと繋がっている。
左馬之助はあくまで噂という点を強調するが、藤士郎はさもありなんと納得。
なんにせよ雲の上の話である。
犠牲になった福屋には気の毒だが、今回の一件はうやむやにされるかもしれない。
「悔しいなぁ、藤士郎。おれはとても悔しいよ。こんな理不尽がまかり通るだなんて。でもこれもまた人の世の理と、目をつむるしかないんだろうなぁ」
そんな言葉を残して近藤左馬之助は帰っていった。
なお珊瑚玉とぎやまんの杯は、いましばらく預かっておいてほしいと頼まれた。上が今後の方針を定めないうちには、扱いに困るとの理由にて。
遠ざかる友の背中を見送りながら、藤士郎は「結局、皺寄せがいくのは、いつも弱い者のところなんだよねえ」と嘆息。
だというのに銅鑼ときたら「そんなのいまさらだろう。清濁併せ呑むのが人間って生き物じゃないか。おんぼろ道場の主がくよくよするだけ無駄ってもんだ。それよりも、さっさと貰った羊羹を喰おうぜ」なんぞと言っては尻尾をふりふり。
「まぁ、たしかにその通りなんだけど、どうにも釈然としないよねえ」
それでもどうしようもないこともある。
だからこのことはもうおしまい。
そう割り切ろうとする藤士郎。しかし藤士郎と銅鑼はあることを忘れていた。それは今回の一件に、人以外の者も絡んでいたということ。
人の世には人の理があるように、妖の世には妖の理がある。
そして人と妖はちがう。
そのことを藤士郎はすぐに思い知ることになる。
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