41 / 483
其の四十一 居合術
しおりを挟む帯刀状態から刃を抜き放ち、鞘走る勢いのままに相手を斬り伏せ、続く太刀捌きなどを経て、ふたたび鞘へと納めるまでの一連の動作。これを居合術もしくは抜刀術という。
その起源はとても古い。
かつて騎馬武者が戦場の華であった頃。馬上での戦いにおいて必要に迫られ生まれ磨かれた技術を祖とする。
だが時が流れ、戦の様相もずいぶんと変わった。
そしていまは太平の世。
人を殺すより、育み活かす剣が重宝される。
そんな時代にあっても、どうにか生き残ってきた居合術。
だが習得には極めて高度な技術が必要とされる。これを体現するのは至難の道。それゆえに実戦での有用性、強さを疑問視する声も多く、大半の流派では軽んじられ形骸化しているのが実情。
若かりし頃の近藤左馬之助も、居合術は模範演武の一種にて、ちょっとした見世物のごとく考えていた。
動きこそは流麗でかっこいい。だが敵は巻き藁や案山子ではない。動いている相手には通じない。竹刀と防具をつけて激しい打込み稽古をすればするほどに、その考えが強くなっていく。
しかしある男との出会いが、その考えを根底からひっくり返した。
◇
いまから六年ほども前のこと。
田沼意次の屋敷で催された御前試合。
御仁は武芸を奨励しており、もしもそのお眼鏡にかなえば栄達の道が開ける。ゆえに江戸中の名立たる道場から、我こそはという剣士どもが集った。
そんな晴れの舞台において、なんと数合わせで急遽呼ばれたという無名の若者が、あっさり十人抜きの快挙を達成する。
その時の試合において、みながこぞって中段のかまえをとるのに、若者のみがつねに腰に帯刀しているようなかまえに終始していた。しかもそれが小太刀の長さしかない、短い木刀となれば、物珍しさゆえに否が応にも気になるというもの。
もっともその時の試合内容は、お世辞にも褒められたものではなかったが……。
挙句にせっかくの快挙も、してやられた側から抗議の声があがり、なかったことにされてしまった。
けれども近藤左馬之助にとっては衝撃であった。
そして心底思ってしまった。「あいつ、なんだかよくわからねえけど、めちゃくちゃおもしれえ」と。
気づいたときには、田沼邸を辞去するその若者のあとを追っていた。
ただし、そのせいでお礼参りに待ち伏せていた連中とその若者との乱闘に巻き込まれて、散々な目に合うことになってしまったけれども。
◇
蒲生屋を襲った一味のひとり。ざんばら髪の牢人者と左馬之助との居合い勝負。
ほぼ同時に見えたふたりの出足。
だがわずかに速かったのは左馬之助。
深い踏み込み。一歩がとにかく大きい。いいや、それどころか地べたに這いつくばらんほどにまで、身を伏せての抜刀。ほとんどしゃがんでいるようなもの。頭部を敵前にさらすような危うい前傾姿勢。一歩間違えば脳天をかち割られかねない。
だが、それは傍目から見ればの話。
当の対峙している牢人者からすると、まるで相手の姿が視界から消えたように感じた。
そのせいで胴体を真一文字に斬ろうと放った牢人者の刀は、目標を見失い空を斬る。
一方で凶刃の下を潜り抜けた左馬之助が狙っていたのは、相手の右脚の脛。
単に倒すのではない。
殺さず動きを封じて逃げられなくする。
斬り捨て御免の火付け盗賊改めとはちがう。罪人を捕らえ、お白洲の場へと送ることこそが定廻り同心の役目。
これこそが九坂藤士郎と伯天流に出会い、辿りついた左馬之助なりの剣の形。
いまの道場剣法からすれば、邪道と蔑まれてもおかしくない一撃。
だがそれでいい。守るべきはちっぽけな侍の矜持なんぞではなくて、日々を懸命に生きている民草の平穏なのだから。
ざんばら髪の牢人者。
じつは左馬之助が足を狙ってくることはある程度予測していた。先に斬られた仲間のふたりが、ともに足をやられていたから。だが思い切りのよい体捌きと速い抜刀に目を見張るばかり。
ふて腐れて道をはずれた男と己の真っ直ぐを貫いた男。
その差が剣速にもあらわれる。
だが腐っても剣客! 剣と共に生きてきた意地がある。
虚しく空を斬った刃。これを途中で止めて、すぐさま切り返すのには膂力が足らぬ。そこで空いてる方の手をのばす。刀を持つ腕の手首をむんずと掴んで、これを強引に引き戻すという荒業に出た。
切っ先が向かったのは、無防備にさらされている左馬之助の背中。
「どうせ獄門送りだ。右脚はくれてやる。だがっ!」
せめてひと刺し。
だが、それが突き刺さったのは地面。
またしても左馬之助の体が消えた!
あろうことか左馬之助は全力で刀を振り抜いたとき、踏ん張るのではなくて勢いのままに前へと転がったのである。
みずから倒れる。ありえない動きに「嘘だろう」とつぶやいた牢人者。その身がぐらり、右の支えを失い視界がゆっくりと傾いでいく。
◇
ざんばら髪の牢人者が倒れるのを横目に、素早く跳ね起きた左馬之助。
「あー、ちくしょう、負けちまったかぁ」
刀を投げ出し、大の字に転がったままの牢人者、血の気が失せて真っ青になりながらも笑みを浮かべ「死中に活とか捨て身どころの話じゃない。無茶苦茶だな」と呆れれば、左馬之助は刀を鞘に納めつつ「そうでもない。おれの知り合いに比べたら、こんなのは児戯みたいなもんさ」と片眉をあげた。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)

日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる