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其の三十九 鬼子母神
しおりを挟む「どうしてうちを襲ったの? 自分で言うのもなんだけど、ご覧の通りのおんぼろ道場だよ」
なんとなく抜け荷絡みとは想像しつつも、素知らぬふりをして藤士郎は探りを入れてみる。
しかし虜囚どもはみな口を噤んだまま。どいつもこいつも強情を張る。
よほどうしろにいる黒幕さんが怖いらしい。この手の悪党の集団、裏切り者には容赦ないと相場が決まっている。だからこのままだんまりを続けて、ただの盗人として番屋にしょっ引かれる方がましと考えているのかも。
ならばいささか攻め手を変えてみようと、藤士郎は懐柔策をとる。
握り飯ときゅうりの漬物を母上に用意してもらっての餌付け。
おふくろの味に触れ、腹が膨れれば、きっと荒んだ心も癒され、凝り固まった頑なな態度もほぐれようというもの。
しかしこれが大失敗。
九坂家では当たり前なのでうっかりしていた。
女の幽霊がお盆を手に「お待たせー」とひゅうどろどろ、あらわれたもので全員が驚き震えて真っ青になり、ついには「きゃあ」と目を回してしまった。
「散々に悪いことをしているのに、いまさらお化けぐらいでなによ! なんてだらしのない。失礼しちゃうわっ」母志乃はおおいに機嫌を損ねて「藤士郎さん、とっとと捨ててらっしゃい」
そうしたいのは山々であるが、適当に捨てたらきっと近在の町の衆に迷惑をかける。
だから夜が明けるのを待って、藤士郎は南町奉行所へと走った。
なにせ押し入ってきた賊は十もいる。怪我人も多々。お通にぶっ飛ばされたふたりがとくにひどい。
手間がかかる上に数が多い。おまけに曲りなりにも士分なもので、近所の番屋へと突き出したところできっと持て余す。
いや、本音を言えば、あれこれ詮索された上に、くどくど詮議に付き合わされるのが七面倒。
だから抜け荷絡みの一件ともども、伝えるついでに定廻り同心をしている近藤左馬之助にすべてを丸投げしようと考えた。
◇
いざ訪ねてみると奉行所の様子が何やらおかしい。
こんな時刻にもかかわらず人の出入りが激しいし、みな眉間に皺を寄せて険のある表情。やけに殺気立っており、雰囲気もたいそう物々しい。
藤士郎が「この騒ぎはいったい、どうかしたんですか?」と門番におずおず訊ねてみれば……。
なんと! 昨夜、不埒にも同心宅を襲った不心得者が出たというではないか。身内が襲われたとあっての、この剣呑さ。
そればかりか古道具屋の蒲生屋にも押し込みが入ったもので、いま奉行所は立て込んでおり、てんやわんや。
「えっ、あの蒲生屋さんが……。ということは、もしかして襲われた同心宅って、定廻りをしている近藤さまのところなんじゃあ」
「おう、その通りだよ、よくわかったな。だがたいして大事にはならなかって話だぜ。いやはや恐れ入谷の鬼子母神、押し入ってきた五人の悪漢どもを、留守を任されていたご内儀が、幼い愛娘を守りながらの孤軍奮闘、薙刀を手にばったばったと叩きのめして追い払ったというんだから驚きだ。あっぱれ、武士の女房の鑑ってな」
近藤左馬之助の女房の紗枝さまは、ああ見えて薙刀は師範級の腕前。
とはいえ、いきなり踏み込まれたのに堂々の返り討ちとか、胆の据わりが尋常じゃない。
笑みを絶やさぬ菩薩とて、我が子のためならば鬼女となるか。
その辺の二本差しよりもよっぽど頼もしい。
強いのは河童の女だけではない。なかなかどうして、江戸の女も負けてない。
なんぞと藤士郎は感心するも、こうなると気になるのが蒲生屋の方。
九坂家ばかりじゃなくて、同夜のうちに左馬之助の家と蒲生屋も襲われたとなると、どう考えてもあの珊瑚玉絡みなのだから。
それすなわち犯人は福屋を襲った連中と同じということ。連中は外道働きをも辞さない恐ろしい凶賊。備えのないお店が襲われたら、きっとひとたまりもない。
だがそれは杞憂であった。
気のいい門番が教えてくれた。「心配いらねえ。蒲生屋も無事だ。なにせあっちには鬼子母神の旦那の方が居合わせていたからな」とにやり。
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