29 / 483
其の二十九 人と妖
しおりを挟む背後から首筋にぴたりとあてられたのは冷たい刃。
藤士郎の腰より抜かれた小太刀・鳥丸の切っ先がぎらりと光る。
「ひょえぇえぇぇぇぇ、お助けぇ」
情けない悲鳴をあげる堂傑に藤士郎が言った。
「いくら困っているからって、頼まれるままに、ほいほい他人の恋路をじゃまするのは、さすがに駄目だよねえ。亡くなった師匠もきっと草場の陰で嘆いているよ」
「へっ、ちょ、ちょっと待ってください! いったい何の話ですか? たしかに貞助の兄貴から頼まれて、影を遊ばせはしましたけど」
堂傑が言うことにゃあ。
弁天堂の主人は筋金入りの悪党。大勢に不義理を働き、ついには身代まで手に入れてしまった。そのくせ知恵が回る小狡い奴なものだから、岡っ引きたちも手が出せずに、周囲はみんな泣き寝入り。
そんな男がさらに欲を出した。
今度は大店の津雲屋を狙っている。
自分の娘をまんまと輿入れさせて、身代をそっくり戴いちまおうという算段。
この娘ってのがまた恐ろしい。おとなしい顔をしておいて親そっくりのとんだ毒婦。
なのに弱味でも握られているのか、津雲屋はそんな男の娘をしぶしぶ受け入れざるをえないらしく、たいそう苦しんでいる。
これに胸を痛めているのが、津雲屋にて女中奉公をしている貞助の妹のお菊。
忠孝の真心から、どうにかしてあげたいと強く願い、兄である貞助を頼った……うんぬんかんぬん。
◇
藤士郎は開いた口が塞がらず。
銅鑼はげらげら大笑い。
「あきれた! よくもまぁ、それだけ出鱈目を並べられたもんだよ」
「たしかに。しかしそんな嘘八百にまんまと騙される、こいつもとんだ間抜けだな。これだから未熟な妖は……」
しかし言われた堂傑は訳が分からずに、きょとん。
人と妖はちがう。
感覚や物の捉え方など、共通することも多いが微妙にずれていることも多々。
たとえば妖同士の間では嘘はなし。たとえ口約束であろうとも、交わした以上は必ずそれを果たす。でも人間は平気で嘘をつく。都合よく解釈したり、なかったことにして反故にする。
もちろんその嘘の中には良い嘘もあれば、悪い嘘もある。
嘘が人と人との営みを円滑にするために、必要なことであることもたしか。
でもそのへんの匙加減、機微に疎いのが妖。
根が素直というか、単純というか。
どうやら鼬頭の堂傑、旅から旅の生活が長すぎて、あまりひとところに留まらなかったせいか、偽僧侶以外の他人と深く関わることがほとんどなかったようで。
だから貞助なんぞの言葉を鵜呑みにしてあっさり騙され、ご覧の通り。
嘆息する銅鑼。でっぷり猫の口より真実を聞かされて、堂傑は気の毒なほどにしゅんとなり萎れた。
藤士郎も小太刀を鞘に納めつつ「さてと、これで影の怪異の方は片がついたけど、今回のこと、どうにもわからないことだらけなんだよねえ」と眉を曇らせる。
蝮の貞助が妹可愛さにて、堂傑を使っての嫌がらせにより、弁天堂と津雲屋の婚姻を邪魔しようとしている。
それはまちがいない。だがだからとて、それでどうなるものでもあるまいに。
庄之助がお菊になびくことはありえない。それともうまくやる算段をすでにつけているのであろうか?
弁天堂に対する中途半端な揺さぶりも気になるところ。
いったん堂傑を解放した藤士郎たち。
もちろん二度と、貞助の悪事に手を貸さないことを約束させて。
でもそうなると今度は堂傑の身が危うい。だから「とりあえず知念寺の巌然さまを頼れ。自分の名前を出せばきっと便宜をはかって下さるから」と言っておいたので、朝一番に駆け込むことであろう。
◇
ひと仕事終えた。
藤士郎、行きと同じく懐に銅鑼を抱いての帰り道。
ずいぶんと話し込んでしまった。東の空が白じんでいる。そろそろ木戸が開く時間だ。見咎められたらめんどうなので、急いで帰らないと。
「この一件、なにやらまだ裏がありそうだね」
「……裏というか、おれはだいたいのところが、わかっちまったけどな」
「えっ、そいつは本当かい、銅鑼」
「あぁ、答えはさっきの嘘八百の中にちょいちょい紛れ込んでいたじゃねえか」
「もう! もったいぶらずに教えておくれ」
「なぁに、それっぽい作り話ってのは、たいていが元になる種があるもんなんだよ」
にやりと笑みを浮かべる銅鑼。
「続きは家で朝餉を食べながら話してやるよ」
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる