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其の二十九 人と妖
しおりを挟む背後から首筋にぴたりとあてられたのは冷たい刃。
藤士郎の腰より抜かれた小太刀・鳥丸の切っ先がぎらりと光る。
「ひょえぇえぇぇぇぇ、お助けぇ」
情けない悲鳴をあげる堂傑に藤士郎が言った。
「いくら困っているからって、頼まれるままに、ほいほい他人の恋路をじゃまするのは、さすがに駄目だよねえ。亡くなった師匠もきっと草場の陰で嘆いているよ」
「へっ、ちょ、ちょっと待ってください! いったい何の話ですか? たしかに貞助の兄貴から頼まれて、影を遊ばせはしましたけど」
堂傑が言うことにゃあ。
弁天堂の主人は筋金入りの悪党。大勢に不義理を働き、ついには身代まで手に入れてしまった。そのくせ知恵が回る小狡い奴なものだから、岡っ引きたちも手が出せずに、周囲はみんな泣き寝入り。
そんな男がさらに欲を出した。
今度は大店の津雲屋を狙っている。
自分の娘をまんまと輿入れさせて、身代をそっくり戴いちまおうという算段。
この娘ってのがまた恐ろしい。おとなしい顔をしておいて親そっくりのとんだ毒婦。
なのに弱味でも握られているのか、津雲屋はそんな男の娘をしぶしぶ受け入れざるをえないらしく、たいそう苦しんでいる。
これに胸を痛めているのが、津雲屋にて女中奉公をしている貞助の妹のお菊。
忠孝の真心から、どうにかしてあげたいと強く願い、兄である貞助を頼った……うんぬんかんぬん。
◇
藤士郎は開いた口が塞がらず。
銅鑼はげらげら大笑い。
「あきれた! よくもまぁ、それだけ出鱈目を並べられたもんだよ」
「たしかに。しかしそんな嘘八百にまんまと騙される、こいつもとんだ間抜けだな。これだから未熟な妖は……」
しかし言われた堂傑は訳が分からずに、きょとん。
人と妖はちがう。
感覚や物の捉え方など、共通することも多いが微妙にずれていることも多々。
たとえば妖同士の間では嘘はなし。たとえ口約束であろうとも、交わした以上は必ずそれを果たす。でも人間は平気で嘘をつく。都合よく解釈したり、なかったことにして反故にする。
もちろんその嘘の中には良い嘘もあれば、悪い嘘もある。
嘘が人と人との営みを円滑にするために、必要なことであることもたしか。
でもそのへんの匙加減、機微に疎いのが妖。
根が素直というか、単純というか。
どうやら鼬頭の堂傑、旅から旅の生活が長すぎて、あまりひとところに留まらなかったせいか、偽僧侶以外の他人と深く関わることがほとんどなかったようで。
だから貞助なんぞの言葉を鵜呑みにしてあっさり騙され、ご覧の通り。
嘆息する銅鑼。でっぷり猫の口より真実を聞かされて、堂傑は気の毒なほどにしゅんとなり萎れた。
藤士郎も小太刀を鞘に納めつつ「さてと、これで影の怪異の方は片がついたけど、今回のこと、どうにもわからないことだらけなんだよねえ」と眉を曇らせる。
蝮の貞助が妹可愛さにて、堂傑を使っての嫌がらせにより、弁天堂と津雲屋の婚姻を邪魔しようとしている。
それはまちがいない。だがだからとて、それでどうなるものでもあるまいに。
庄之助がお菊になびくことはありえない。それともうまくやる算段をすでにつけているのであろうか?
弁天堂に対する中途半端な揺さぶりも気になるところ。
いったん堂傑を解放した藤士郎たち。
もちろん二度と、貞助の悪事に手を貸さないことを約束させて。
でもそうなると今度は堂傑の身が危うい。だから「とりあえず知念寺の巌然さまを頼れ。自分の名前を出せばきっと便宜をはかって下さるから」と言っておいたので、朝一番に駆け込むことであろう。
◇
ひと仕事終えた。
藤士郎、行きと同じく懐に銅鑼を抱いての帰り道。
ずいぶんと話し込んでしまった。東の空が白じんでいる。そろそろ木戸が開く時間だ。見咎められたらめんどうなので、急いで帰らないと。
「この一件、なにやらまだ裏がありそうだね」
「……裏というか、おれはだいたいのところが、わかっちまったけどな」
「えっ、そいつは本当かい、銅鑼」
「あぁ、答えはさっきの嘘八百の中にちょいちょい紛れ込んでいたじゃねえか」
「もう! もったいぶらずに教えておくれ」
「なぁに、それっぽい作り話ってのは、たいていが元になる種があるもんなんだよ」
にやりと笑みを浮かべる銅鑼。
「続きは家で朝餉を食べながら話してやるよ」
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