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其の二十六 蝮と鼬
しおりを挟む菓子屋津雲屋の跡取り息子である庄之助に、一方的に懸想している女中のお菊。
その腹違いの兄の名は貞助。
器量のいい妹とは似ても似つかぬ熊男。腕っぷしの強さを活かして与太者どもを束ねては、蝮(まむし)の貞助なんぞと呼ばれて兄貴分を気取っている。数と暴力を頼みに弱い者をいじめては、難癖をつけてのゆすりたかり。町の衆に迷惑をかけている鼻つまみ者。
だがそんな男にも弱味がひとつだけあった。
年の離れた妹がどうにも可愛くってしかたがない。
けれどもお菊は大店にて女中奉公をしている身。自分みたいな者が近くをうろちょろしたら迷惑がかかると、これまでは距離を置いていた。
それがここのところ頻繁に会っている。
壁に耳あり、障子に目あり。
当人らはこっそりばれないようにやっているつもりでも、どこかで誰かに見咎められていたようで……。
◇
じっとりした空気が肌にまとわりつく。
思わず顔をしかめたのは、風にほんのり酸えた臭いが混じっているせい。
全体がどこかくすんでおり、陰の気が強い。
そんな町の片隅に目的の場所はあった。
生活に余裕がない、その日暮らしの者らが集っている溝板長屋。
行き場のない流れ者らの吹き溜まり。
そんな界隈が貞助の縄張り。
儲けの見込める土地には、すでに実力のある地回りが幅を利かせている。新参者の若造が食い込む余地はない。下手にちょっかいを出そうものならば逆にやられる。だからこそ貞助は旨味に乏しいここを選んだのであろう。
なるべく目立たない格好に着替えて、この地へと足を踏み入れた藤士郎と若だんな。
もちろん貞助のことを探るためである。
しかし外部の人間があまり派手に動き回れば目立ってしまう。ましてやふたりは同心でもなければ岡っ引きでもない。いっそ定廻り同心をしている近藤左馬之助に相談できればよかったのだが、ことがことなだけにそうもいかず。
いざ、意気込んで乗り込んできたはいいものの、そこから先の手順がわからない。
「適当に小銭をばら撒いて情報を集めてみましょうか」
「う~ん、でもこんなところで金子をひけらかすのは、ちょっと悪手のような気がするよ」
若だんなの提案に藤士郎は首をひねる。
お世辞にもここは行儀のいい場所じゃない。いらぬ災いを招くやもと心配したのだ。自分ひとりならばともかく、若だんなを守りながらとなるとあまり無茶はできない。
さてと、どうしたものやら……。
ふたりが思案していると、運がいいことに探していた相手が向こうからあらわれた。
手下を従えて、のしのしと肩で風を切り歩いてくる大男。腕が丸太のようであり、角力とりくずれと言われても納得しそう。なかなかの迫力である。
道すがら、行き交ったぼて振りや屋台などで商いをしている者らから、しょば代をまきあげている。
物陰に隠れてその様子を見ていた藤士郎と若だんな。
「いっぱしの親分気取りだねえ」「たしかにあれは熊だ。あちこちもじゃもじゃでごわごわだよ」とひそひそ。
いったんやり過ごしてから、ふたりは集団のあとをつけて見張ることにした。
手下に命じて銭を集めさせ、なんのかんのと出し渋る相手には恫喝もしくは拳骨を喰らわし、気まぐれに売り物に手をのばしては、代金も支払わずにそのまま行ってしまう。
蝮の貞助、行く先々でやりたい放題。
これには若だんな、おおいに憤慨し地団駄を踏む。
「あいつは商いを舐め腐ってますよ。どうしてあんな野郎が大手を振って、お天道さまの下を歩けるのでしょうか!」
書物問屋の店先を任されている身からすると、傍若無人な貞助のやりようがどうにも腹に据えかねているよう。
それは藤士郎も同じこと。
だがいまはぐっと堪えて尾行を続ける。
◇
しばらくつけていると、とある木戸のところで止まった集団。
「おまえら、ちょっとここで待ってろ」
言うなり貞助ひとりが最寄りの木戸をくぐる。
その先は長屋の筋なのだが、あいにくと自分たちのところからでは中の様子がわからない。木戸のところには手下どもがたむろしているし、まさかひょこひょこ近づいて中を覗くわけにもいかず。
待っていると、じきに戻ってきた貞助。
特に変わった様子もなく、ふたたび手下を率いて歩き出した。
「いったい何だったんでしょうねえ」
「……馴染みの女を囲っている、とか」
どうにも気になったふたり、木戸のところで立ち止まる。
するとちょうどその時のこと。
奥の障子戸が開いて姿をみせたのは、色褪せ草臥れた道衣姿の怪しい人物。
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そんな人物のところに、蝮の貞助が出入りをしている。
「よもや、影の怪異と関係が!」と訝しむ若だんな。
けれども藤士郎はそれとはちがうことでとても驚いていた。
どうやら自分以外の者の目には、あれがただの怪しげな人相風体の者に見えているようだが、藤士郎の目には道衣の首から上が、鼬(いたち)に映っていたからである。
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