25 / 483
其の二十五 とんびに油揚げ
しおりを挟む翌日の昼過ぎのこと。
ふたたび書物問屋の銀花堂を訪ねた九坂藤士郎。
待ちかねていた若だんなより「さぁさぁ」と袖を引かれて招き入れられる。
「藤士郎さん藤士郎さん、探ってみて、ちょいと気になることが出てきました!」
頬を紅潮させて興奮している若だんな。
やや前のめりなのを、藤士郎は「どうどう」となだめつつ。
「おや、ひょっとして庄之助にいい人でもいましたか?」
大店の息子が性質の悪い女に手を出して、ややこしいことになる。
するとそこに「おうおうおう、この落とし前、どうつけてくれるんだよ」と怒鳴り込んでくる与太者が……なんてのは、巷ではわりとよく聞く話。
酒、博打、女は、昔から身を持ち崩す定番の三種の神器。
しかし若だんなは首をふる。どうやら藤士郎の安直な予想ははずれたようだ。
「いえいえ、むしろその逆というか。あちこち探ってわかったのが、庄之助って野郎のいい男っぷりばかりでしたよ。たしかに菓子作りの腕はどうしようもありませんけど、人柄はたいそう気持ちのいい男のようでして。居丈高に振る舞うこともなく、よほどのことがなければ声を荒げることもない。
自分に出来ないことをさらりとやってのけるからと、菓子職人らをそれは尊敬し大事にしているものですから、作業場の連中からもたいそう慕われておりまして……。
あれならば、おゆうちゃんを安心してまかせられるというものです」
「ほうほう、それはまた」
恋仇、というのはいささか語弊があるかもしれないが、それに近い立場の若だんなからお墨付きを貰える時点でたいしたもの。
同じような立場である弁天堂の小太郎とは、まるでちがう。
こればっかりは生来の気質の差であろうが、小太郎からしたらあまり面白い相手ではないのかもしれない。なにせ縁続きとなったら、姉に続いて今度は義兄とまで比べられることになるのだから。
だからとて小太郎がお札を剥した犯人と決めつけるのは、いささか早計というものだろう。
なお藤士郎が巌然和尚に破れたお札をみせた結果は、やはり人の手によるものということであった。
若だんなの話はまだ終わっていない。
というか、これはしょせん前振り。本題はここから。
「庄之助さんってのはそういうお人なもんで、男女を問わず人気があります。その中でも、特に熱をあげていたってのが、お菊という女でして」
お菊は津雲屋の女中。
なかなかの器量良しにて、前々から庄之助のことを狙っていた。ことあるごとに熱心に粉をかけていたという。
普通であれば、大店の跡取りと奉公人が結ばれるなんてことはありえない。
たとえ子を成したとて、最悪、子どものみ取りあげられて、母親の方は金子を渡され縁切りされるなんてことも。
しかしお菊は夢を見た。それにはちゃんと理由がある。
なにせ津雲屋のいまの主人、つまり庄之助の父親なのだが、修行時代のおりに世話になっていた先で、そこにいた女中を見初めて妻に迎えたのだから。
もちろん周囲からは、やいのやいのと反対の嵐。
その声をぴしゃりとはねのけ「認めてくれないのならばべつにかわまない。おれはこいつと夫婦になって上方にいく」とまで言い切ったもので、ついには周囲が折れた。
そうして迎えた嫁だが、これがまた出来た女房。内助の功にてあれよあれよと大店に幸をもたらす。実力によりうるさい声をねじ伏せ黙らせた。
とどのつまり、選ばれた奥方もまた只者じゃなかったということ。
だがこの二人はいわば例外中の例外。
実際には裏で人知れずに相当の苦労を重ねたはずだ。
なのに上っ面のいいところだけを見て、「だったらあたしが大店の奥さまにおさまったっていいじゃないか」とお菊は都合良く考えたらしい。
「なのに、とんびに油揚げをさらわれたと。そりゃあ、お菊さん、さぞや怒ったでしょうねえ」
「ええ、それはもう烈火のごとく」
その時の様子を女中仲間から伝え聞いただけなのに、ぶるると肩を震わせる若だんな。あえて詳細は口にしないが、よほど荒れ狂ったのにちがいあるまい。
だからとてこればっかりは、いくら癇癪を起こしてもどうなるものでなし。
女中が一方的に跡継ぎ息子に懸想しただけのこと。誘われるままに手を出していたら、まだ同情の余地もあろうが、そんな事実は微塵もなく。
庄之助さんはかなり身持ちが固いらしく、そこには母親の薫陶があった模様。
夫を支え大店を切り盛りするだけでなく、息子の教育もしっかり行う。稀にみる賢母なり。
でもこの話にはまだ続きがあった。
それこそが若だんながお菊という女中に注目した理由。
「じつはですね。このお菊には腹違いの兄がいるそうで。これがあまり評判のよろしくない男でして。そいつがここのところ、やたらと妹と会っているとか。その時期というのが、ちょうど弁天堂が影の怪異に悩まされるようになったのと重なっているんですよ」
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
フリードリヒ二世の手紙
平井敦史
歴史・時代
神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世。
「王座上の最初の近代人」、あるいは「世界の驚異」。
国際色豊かなシチリアで育ち、イスラムの文明に憧憬を抱く彼は、異教徒の言葉であるアラビア語をも習得していた。
そして、エジプトアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルとも親しく文を交わし、ついにはイスラム教徒からキリスト教徒へのエルサレムの譲渡――無血十字軍という歴史上の奇跡の花を咲かせる。
しかし、美しき花は無残に手折られ、エルサレムは再びイスラム教徒の手に。そしてそれをきっかけに、第七回十字軍がエジプトに戦火を巻き起こす。
憎悪の連鎖の結末やいかに。
フリードリヒ二世がメインですが、彼と文通相手、およびその周辺の人間たちの群像劇です。そして最後は美味しいところをかっさらっていく奴が……(笑)。
ファ ンタジー要素なし。転 生もチ ートもありません。
「小説家になろう」様の公式企画「秋の歴史2022」向けに執筆・投稿した作品ですが、より多くの方に読んでいただきたく、この度「アルファポリス」様にも投稿させていただくことにしました。
よろしくお願いします。
「カクヨム」様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる