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其の二十四 男心
しおりを挟む弁天堂と津雲屋の婚姻は世間の耳目を集めている。
だからこそ、うかつなことはできない。
自分でそう言っておきながら、弁天堂の内部によからぬことをたくらむ輩がいるとわかって、いきなり駆け出した若だんな。
そのまま弁天堂に飛び込んだのでは、きっと騒ぎになる。
どうにか追いついた藤士郎より「ちょ、ちょっと待った!」と肩を掴まれ、諭されるなりはっとした若だんな。すぐに落ちつきを取り戻し「どうにも、お見苦しいところを」と照れた。
若だんな、相当の入れ込みよう。
どうやらおゆうさんに対して、幼馴染み以上の感情を持っているらしい。ならばいっそのこと放っておいて、今回の縁組を駄目にしてしまえばいいのに、それはできない。逆にどうにかして話をまとめようと躍起になっている。
複雑な心情、いじらしい男心を垣間見た藤士郎はあえてそのことには触れず。
「まずは友人が気安くぶらりと訪ねてきたみたいな感じでいきましょう。それにまだあくまで憶測の域をでない話ですから。伝えるにしろ、よほど慎重にやらねば」
「そう……ですよね。となれば伝えるのはご両親、おゆうちゃん、弟の小太郎ぐらいでしょうか」
「まぁ、そのあたりが無難でしょう。あとは破かれたという札を調べてみたいですね」
弁天堂へと向かう道すがら、藤士郎と若だんなは確認すべきことなどを相談する。
◇
弁天堂の店先はつねとかわらず繁盛していた。
客の応対をしている手代の様子にもおかしなところはみられない。
いまのところ影の怪異の影響は、まだ内々だけですんでいるようだ。
しかしそれもまたわからないことのひとつ。
もしも弁天堂やおゆうに害意があるのならば、もっと派手にやればいい。それこそ瓦版にでもなろうものならば被害は相当であろう。だがそれをしない。ということは何がしかの思惑があるのだろうか。
弁天堂の主人は勉強熱心な方で、店を構えるようになっても精進を怠らず。
商いが順調にて暮らし向きに余裕が産まれると、趣味と実益を兼ねてお菓子に関する書物を集めるようになった。これが縁で書物問屋の銀花堂ともつき合うようになり、その繋がりにて若だんなの林蔵とおゆうも幼馴染みになった次第。
若だんなは弁天堂にて知られた顔。事情も把握しているとあって、余計なおまけがついているのにもかかわらず、すんなり奥へと通される。
けれども肝心のおゆうさんには会えず。
気の毒なことに、ここのところのいらぬ心労で祟って、寝込んでしまっているらしい。
お見舞いに顔を出すとかえって気と遣わせそうなので、若だんなと藤士郎は遠慮をして「どうぞお大事に」とだけ。
「それで悪いけど、ご主人を呼んでくれないかい。ちょいと小耳に入れておきたいことがあるんだけど」
お茶を運んできてくれた女中は古株にて、店の創業時から勤めている身内同然の者。姉弟には乳母であり、信が置ける。
なので若だんなが言伝を頼めば、すぐに取り次いでくれた。
作業場にいたところを呼ばれてやってきた弁天堂の主人は、甘い香りを漂わせており、人当たりの良さそうな顔をした恰幅のいい人物。だが目の下に濃い隈ができている。こちらも娘同様に心労が重なっているらしい。
挨拶もそこそこに、さっそく若だんなが獅子身中の虫の話をすれば、主人は「なんてことだ!」と顔を青くした。続いて目を怒らせて赤くなるも、それは若だんなが制止する。
ここで下手に騒ぎ立てたら、その虫に気取られる。それは得策じゃない。
なにより身内を疑うのはつらかろう。そこで……。
「この一件、きっと悪いようにはしませんから、この銀花堂の林蔵に預けちゃあくれませんか」
申し出に驚く主人、いきなりそんなことを言われても、すぐにはうなづけるわけもなく。
するとここで若だんながもうひと押し。
隣にちょこなんと座る藤士郎の方に顔を向け「じつはこちらはうちの常連さんでしてね。こう見えてやっとこの腕はたいしたもので、頼りになるんですよ。なによりあの巌然さまに見込まれて、ともに怪異を払ったこともあるんだから」と口にする。
それは本当ではあるが、いささか誇張が混じっている。
より正しくは、奇妙な縁に恵まれた藤士郎、これを餌にして悪さをする妖を誘き出した、である。挙句の果てには土壇場になって、いきなり法力を込めた小太刀を渡され「ほれ、わしの術が完成するまで、しばらくそいつの相手を頼む」ときたもんだ。
しかもその小太刀ときたら、ひと振り三十両もする代物で。
「もしも壊したら弁償だからな」と巌然さまより言われた。ひどい話である。
あの時のことを思い出し、藤士郎は憮然としかめっ面。
だがこの話により、ついに決心を固めた主人は「わかりました。それでは何卒よろしくお願いします」と頭をさげた。
◇
身中の虫の話。いまはまだ自分たち三人だけの胸の内に留めておく。そう約定を交わし、弁天堂を辞去した若だんなたち。
藤士郎の懐には、破かれたというお札の残骸がある。
どう扱っていいのかわからずに、処理に困っていた弁天堂より借り受けてきたのだ。
見た目には人の手によって適当に破いたようにしか見えないが、素人判断は禁物。万が一ということもあるので、いちおう巌然さまに確認してもらうつもり。
一方で若だんなには津雲屋の身辺を探ってもらう。
銀花堂は貸本業も営んでいるので、あちこちに出入りしているから顔がとても広いのだ。それを活かす。
今回の婚礼、歓迎していない何者かがいる。
弁天堂の内部に怪しいのがいることはもうわかっている。そいつが主犯なのか、何らかの思惑により手を貸しているのかは、まだわからない。
では津雲屋の方はどうであろうか?
なにせあれほどの大所帯、叩けば埃の一つや二つや三つ、あるいは当人の知らぬところでおもわぬ恨みを買っているやもしれぬ。妬み嫉みは言わずもがな。ゆえに騒動の火元は津雲屋という線も捨てきれない。
「じゃあ」
「またあとで」
藤士郎と若だんな。ふたりは弁天堂の店先でいったん分かれ、各々調べものへと向かった。
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