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其の二十二 菓子屋の姉弟
しおりを挟む銀花堂の若だんなの心配事。
それは幼馴染みの娘さんの縁組にまつわることであった。
◇
菓子屋弁天堂。
現在の主人夫婦がぼて振りからの叩きあげ。散々に苦労したかいあって、いまではお店を構え、名物の大福が評判となり商いは順調そのもの。一男一女と子宝にも恵まれた。これで店の将来は安泰。
誰もがそう考えたのだが、子どもらが育つうちに「おや?」と首を傾げることになる。
姉のおゆうと弟の小太郎はふたつ違い。
おゆうは根っからの菓子好き。甘いにおいと職人らに囲まれて育つうちに、ままごと代わりに自分でもこさえるようになっていた。これを面白がった職人らが可愛がる。
すると門前の小僧のなんとやら。
気づけばおゆうが作った菓子は、店に並べても遜色のない出来となっていたもので、父親なんぞは「かーっ、もったいねえなぁ。もしもおまえが男に生まれていたら」とたびたび零すほど。
菓子職人の世界は完全に男社会。女には門戸が開かれていない。この時代はそういう時代であったのだ。
いかに才があろうとも、それを羽ばたかせる場所がなかったことこそが、おゆうの不運。
それでも趣味として続けることは許されていたもので、おゆうはいちおう満足していた。
しかしそんな姉を持つがゆえに苦悩するのが、生まれながらに跡継ぎとなることが決まっていた弟の小太郎。
父親は息子が幼い時分から、それはもう厳しくしつけた。肉親の情に蓋をして、そこいらの師弟よりもずっともっと。
しかしそんな父親の熱意と意気込みとは裏腹に、小太郎の腕はある程度のところまで育ったところで、ぴたりと伸び悩む。
もともとが好きではじめたことじゃない。その上に、すぐそばには自分よりもずっと優れた姉がいる。周囲からはいつも比べられて、ことあるごとに「もっと気張れ」「姉を見習え」「しっかりしろ」とがみがみ。心無い者からは「いっそ姉弟が入れ替わったらなぁ」と陰口を叩かれる。
日に日に元気を失くし萎れていく小太郎。縮こまってうつむくことが多くなった。
だからとて小太郎に菓子作りの才能がないのかといえば、けっしてそんなことはない。
たしかに一を聞いて十を知るとはいかぬまでも、十を聞けば四ほども学び、足りぬ分はこつこつがんばる。歩みこそは遅いものの、着実に前へと進んでいる。その真面目さこそが尊く、何よりの宝。
師である父親や周囲の職人たちは、そんな小太郎を内心では認めており、好ましく見守っていた。
だからこそ期待をかけて厳しく当たる。
でも当人はそのことにちっとも気がついていない。
すれ違う想い。
これでは育つものも育ちやしない。
見かねたおゆうがそのことを弟に伝えるも、すっかり自信を失っている小太郎の心には響かず。自分が不甲斐ないばかりに慰められたと、ますます落ち込む始末。
そんなおりのことであった。
おゆうに縁談話が舞い込んだ。
相手は同じ菓子屋ながらも、ずっと格上で老舗の津雲屋。
じつは店主同士が兄弟弟子の間柄にて、若かりし頃の修行時代、互いに子が出来たらゆくゆくはくっつけて……。
なんぞという話をしていたのだが、あくまで酒の上での口約束。
だから弁天堂の店主もすっかり忘れていたのだが、津雲屋の店主がみずから訪ねてきては「頼む、おゆうちゃんをうちにくれ」と言ってきたものだから、驚いたのなんのって。
津雲屋は日本橋の通りにあって、諸大名とも取引のある大店。
そんなところの嫁にと求められる。これほどいい話はない。だがあまりにも話がうますぎる。さすがに何か裏があるのでは? 訝しむ弁天堂の店主。
すると津雲屋の店主は、ぴしゃりと己の額を手で打ち言うことにゃあ。
「いや、お恥ずかしい話。うちの倅、庄之助なんだが、菓子作りの腕がとんとさっぱりでなぁ。手取り足取りかかりっぱなしで、いっしょにこさえた菓子が、飢えた痩せ犬もそっぽを向くという代物で……。修行のためにと無駄にした粉や砂糖の袋の数だけで蔵がひとつ埋まるかってんで、さすがにもうおれも親の欲目を捨てて、匙を投げた。ここまで下手っぴなのは江戸広し、いいや、日の本広しといえどもおるまいよ。そこまでいくといっそもう清々しいやら、泣けてくるやらで。だが神仏は庄之助をお見捨てにはならなかった。菓子屋のくせして菓子作りはさっぱりながらも、人あしらいが上手く、目端が効いてそろばん勘定にも秀でていてなぁ」
職人としては駄目でも、主人として大店を任せる才には恵まれた庄之助。
だから倅にはそちらの方でがんばってもらうことにして、そんな倅を支え、店の職人らを束ねられる嫁を貰おうということになった。
なにせ津雲屋は大店だ。
ひと声かけずとも跡継ぎ息子の縁談なんぞはごろごろ、向こうから転がってくる。
けれどもいくら家柄がよくて綺麗でも、お飾りの嫁はいらぬ。欲しいのはあくまで庄之助と両輪になって津雲屋を支えられる人物。できれば菓子屋の内情に詳しければなおよし。
だがそんな都合のいい嫁、そうそう見つかるわけもなく……。
そんな時に出入りの髪結いから教えられたのが、弁天堂のおゆうの噂。
おゆうの腕前は近しい者らの間のみにて、知る人ぞ知るという程度であったのだが、実際に彼女が作った菓子を食べたという者に話を聞けば、みな「ありゃあ、本当にたいしたもんだ」とベた褒めするではないか。
とはいえ、しょせんは素人の舌の上での話。
身贔屓やら若い娘が作ったという物珍しさもあるのやも。
だから津雲屋の主人は裏から手をまわして、こっそりおゆうが作ったという菓子を手に入れる算段をつけ、自分の舌で確かめることにした。
手に入れた品をぱくり。ひと口含むなり津雲屋の主人は「むむむ」と唸る。相伴にあずかった倅の庄之助も「うん、旨い! こいつはいいねえ。どこで買ってきたんだい、おとっつあん」とすっかり気に入った様子。
そこで己のたくらみを白状したところ、庄之助は顔をしかめつつも、おゆうに強く興味を示す。
そこから先はとんとん拍子に話が進んだ。
結納もすみ、あとは輿入れを待つばかり。
でもその段になって奇怪なことが起こった。
まるでこの婚礼を邪魔するかのようにして、弁天堂の周囲に不穏な影がちらつくようになったのである。
それは言葉のあやではない。
文字通りにて、いきなりぐにゃりと影が動くのだ。
ときに障子や襖の上を人影が走ることさえも……。
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