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其の十一 番屋
しおりを挟む九坂藤士郎、いきなり番屋へしょっぴかれた。
茶屋での騒動があった翌々日のことである。
朝っぱらから伯天流の道場へと顔を出したのは、定廻り同心をしている近藤左馬之助。
てっきり事件になんらかの進展があったのかと期待したのだが、さにあらず。
いきなり腕を掴まれて「藤士郎、ちょっと面を貸せ」と強引に連れ出されてしまう。
そしてそのままとある番屋へと。
「左馬之助、これはいったい何の冗談だい? 悪ふざけにもほどがあるよ」
藤士郎が頬を膨らませるも、左馬之助は「おまえの言い分はあとで聞く。まずはそこの仏さんらの顔を拝んでくれ」という。
またぞろ死体を診ろといわれて、藤士郎は口をへの字にしたものの、しようがないので検めてみれば「はてさて? この顔、どこぞで見たような……」
しばし思案してから「あっ!」
すっかり変わり果てた姿ゆえにすぐには気がつけなかったが、たしかに見覚えがある。
おみつの茶屋で騒ぎを起こした、あの牢人者たちだ。
今朝方、永代橋のたもとに引っかかっているのを発見されたという。
ふたりともにばっさり殺られている。ひとりは袈裟懸けにされ、いまひとりは腹を真一文字に斬り裂かれている。
ともに深く抉るような傷。
これまた見覚えのある切り口にて、藤士郎は「もしや」
するとここで左馬之助がよもやの物言い。
「藤士郎、おまえ、こいつらと揉めていたんだってな? 多数の目撃証言があがっている。まさかとはおもうが……」
あらぬ疑いをかけられた藤士郎はあわてて首を振り、「何を言い出すのかとおもえば」と呆れるばかり。
しかし左馬之助はまじめな表情を崩さず。
「もちろん、おれだって本気でおまえが殺っただなんて考えちゃいねえよ。だがな、おまえも知っているだろう? 同心や岡っ引きの中には、手柄欲しさに思い込みだけで突っ走る阿呆どもがいるってことを」
残念ながらそれは本当のこと。
与力や同心は一代限りのお務めとされているが、実際には世襲に近い形で受け継がれるのが慣習となっている。おかげでつねに一定の人員が確保できるかわりに、弊害としてときおりはずれを引くこともある。
御上から預かった十手をひけらかし、店から店へと渡り歩いては賄賂(まいない)をせびる姿は、「しょば代を寄越せ」とたかる地回りのやくざ者らとさして変わらない。
そしてそんな同心の下につく岡っ引き連中は、上の態度に倣うわけで……。
もしもそんな連中に目をつけられたら、問答無用で番屋に連れていかれて、「やれはけ!」「それはけ!」「とっととはけ!」と無茶な責めをされることになりかねない。
九坂藤士郎、いちおうは士分ということもなり、さすがにそこまで無法はされずとも、今のご時世、やりようはいくらでもある。いったんしょっぴかれたら、待っているのは荒っぽい詮議。たとえ嫌疑が晴れようとも、きっと五体満足では出てこれまい。
「だからこそ大切な友の窮地を救うべく、こうしておれがわざわざ真っ先に出張ってやったんだよ。感謝しろよな、藤士郎」
にかっと白い歯をみせ相好を崩す左馬之助。
なんとも怪しい笑み。やたらと友人であることを強調しては恩に着せてくる。
嫌な予感がした藤士郎はすすすと距離をとろうとするも、逃がさないとばかりにがっちり肩を組んできた左馬之助。あげくに耳元で言うことにゃあ。
「まぁ、その代わりといっちゃあなんだが、ちょいと手を貸せ。じつは……」
じつは近頃、江戸のあちこちで似たような事案が頻発している。
べつに斬られた死体なんざぁ、珍しくもなんともないが、問題はあがる遺体が二本差しばかりなのと、その裏でまことしやかに囁かれている物騒な噂。
なんでも真剣を手にした侍同士を戦わせては高見の見物としゃれ込み、どっちが勝つかを賭ける悪趣味な見世物が密かに興行されているという。
もしも本当ならばとても許されることではない。
だからお奉行さまより命を受け、隠密が内偵を続けていたものの尻尾は掴めず。
興行の開催は不定期、一見さんはお断り、場所も毎度ころころ変わるせいもあろうが、あと少しというところでするりと逃げられる。
どうやらこちらの動きがどこぞより漏れているらしい。
ならば早々に穴を塞いでしまいたいところだが、それをすると相手方に気取られる。
雲隠れされたらそれまで。
「そこでだ。このままでは埒が明かんから、もう一歩踏み込んでみようかということになってだな」
見世物の興行主は、つねに腕に覚えありの武士を求めている。
ならばそれをこちらで用意してやればいい。
しかし奉行所の人間では面が割れているから囮にはなれない。
市井の道場に助力を求めようにも、どこに連中の目が光っているのかわからない以上はうかつに頼めない。
人柄よし、腕前よし、信用ができ、口も固く、暇を持て余しており、気兼ねなく頼める相手となるとなかなか……。
あっ、ちょうどいいのがいた!
ぷすりと白羽の矢が立った。
藤士郎としては迷惑この上ない。けれども渡りに舟でもあるところが悩ましい。
なにせ牢人者らの遺体の傷が、山本宗吾が受けたものと同じであったからだ。それすなわち彼らを斬ったのが、妖刀を持つ春日部高綱ということ。
どうやら次郎の仇は、見世物の興行主のところに身を寄せているようだ。
ここにきてすべてが繋がっていく。
まるで見えない糸で操られているかのようで、どうにも薄気味が悪い。
藤士郎はぶるると肩をふるわせた。
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