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070 それはありふれた話
しおりを挟む決勝戦の序盤は様子見のまったり展開。
というか、あまりにも動きの悪いグアンリー相手に、コォンが戸惑っている様子。
敵の不調を知って槍の穂先が鈍るとか。
やはり若い。とんだ甘ちゃんである。弱点があればそこを徹底的に攻めるのが、野生の王国では基本中の基本だというのに。
ついわたしがそのようなことをつぶやくと、「まったくその通りですね」と師であるフェンホアもうなづき同意を示す。
しばしモタモタした戦いが続く。
それを眺めていたらフェンホアが言った。
「ところでチヨコ殿……。あなたは遠い故郷から初めてこの聖都へとやってきて、どう思われましたか? 実際に皇(スメラギ)さまとお会いして言葉を交わし、多くのやんごとなき方々と接し、その姿をじかにご覧になって。この国の在り方を知り、何を感じましたか?」
それは波紋ひとつない水面を連想させるような、とても静かな声。
問いかけであって問いかけではない。
台詞こそは意見や感想を求めているようではあるが、そうではない。
ちょっと表現がムズカシイのだけれども、たぶんわたしが何をどう答えようとも、彼の中ではすでに確固たる解が出てしまっている。
そんな気がする。
わたしはたいして思案することもなく、ただ「いろいろヘンテコだよね」と口にした。
それが旅の間中も、聖都についてからもずっと感じていた率直な気持ち。
やんごとなき者とそうではない者。
両者を隔てる数多の溝と壁。
権威や体制を守る。その目的のために垂れ流され浪費される膨大な資金と労力。
おそらくは皇を現人神(アラヒトガミ)として神格化するのも、その一環なのだろう。
すべては、国という得体の知れない巨大なバケモノを御するため。
まるでムダというエサをむさぼり喰らって生きているように、わたしの目には映る。
きちんと理解しているのかと問われれば首をひねるものの、なんとなく必要なことという大人の理屈もわからなくはない。
けれどもその一方では切り捨てられる者たちがいる。ないがしろにされている者たちがいる。
頭ではわかっていても、心にて納得がいくのかと言えば、そんなこともなくって……。
みんなしあわせになりたいと願っている。
そのために各々の立場にて毎日がんばっている。
目指すべき場所は同じはず。
なのにうまくいかない。
なぜだかズレが生じてしまう。
わたしが心情をつらつらと吐露したら、フェンホアは「それこそがこの国の抱える歪みなのですよ」と言った。
そして今度は彼が自身のことや、その内に秘めた想いを語りだす。
いつしかグダグダの決勝戦そっちのけにて、わたしはフェンホアの話に聞き入っていた。
◇
八武仙の一雄にして、雷槍使いとして名高いフェンホア。
その出自は、とある高位貴族に代々仕える武家である。
幼少期の彼は、のちに武仙入りをするとはとてもおもえない、小柄の痩せっぽちな子どもであった。
連日、父親から施される厳しい稽古。そのたびにピーピーと泣きじゃくるばかり。
周囲もあきれ、「これは武官には向いておらぬ。早々に見切りをつけて他の道を」と考えるほど。
けれどもそんな幼子を一変させる出会いがあった。
父親に連れられて、初めて主家へと年始の挨拶に赴いたときのことである。
緊張のあまり尿意をもよおした彼は厠へと立ち寄るも、帰り道がわからずに広い館内を彷徨うことになった。物怖じしてキョドキョド。誰かに道をたずねることもできない彼は、柱の陰に隠れて上衣の裾をギュツとつかみ立ち尽くすばかり。いまにも泣き出しそう。
そんなときに「どうしたの?」と声をかけてくれた娘がいた。
主家の三番目の姫君であった。
お互いに幼かったこともあったのだろう。すぐに打ち解けた二人。
そしてこの出会いを機に、彼は心に強い想いを抱くようになる。
「自分が主家を、この姫君を守るんだ」と。
天賦の才がなかったとはいわない。
だが、そんなものがかすんでしまうほどに、幼いフェンホアは一心不乱に武芸へと打ち込むようになる。
メキメキと腕をあげ、歳を経るごとに大きくなる身体。
頭角をあらわすまで、さほどの時間はかからなかった。
やがて誰もがその武を認め、その忠臣ぶりを褒め、いずれは武仙となるやもしれぬと期待を寄せるようになる。
主家としても自分の旗下から武仙を輩出すれば誉れとなるので、おおいに奨励する。
なにより活躍するほどに姫君がよろこんで、まぶしい笑顔を見せてくれるのがフェンホアはうれしかった。
自分が彼女へと抱く気持ちが、ただの忠義ではないことには、おぼろげながら気づいていた。
だが彼女は主家の姫君であり、己は一介の武官に過ぎない。
「どうすれば自分は大切な人の隣に寄り添い、ずっと守ることができる?」
答えは簡単だった。
出世をすることだ。
主家が認め、万人が認め、世間にも彼女にふさわしい男だと認めさせること。
しかし長らく大きな戦乱に巻き込まれていない神聖ユモ国において、武官が功をあげ名を成すのはムズカシイ。国軍に籍を置いたとてそれは同じこと。
これに代わるものがあるとすれば、それは武仙に選出されること。
皇(スメラギ)さまからじきじきに認められ、武仙を名乗ることを許されることは、この国において武のみで這いあがれる最高位。
その身分を手に入れれば、いかに主家とて無下には扱うまい。
強い決意のもと、さらなる精進を重ねたフェンホア。
ついに八番目の武仙として認められたのは、彼が二十一歳のとき。なおこれは史上二番目の快挙にて、あとほんの五十日ばかり早ければ、彼こそが最年少記録保持者となっていたという。
名実ともに武の頂点へと昇りつめたフェンホアは、満を持して主家のもとへと赴く。
報告がてら、堂々と姫への婚姻を申し込むために。
しかしそこで彼を待っていたのは、あまりにも想定外の展開であった。
沸き立つ主家の邸内。
フェンホアはてっきり自分の武仙入りを、盛大に祝ってくれているのかと思った。
けれどもちがった。
主家が騒いでいたのは、三番目の姫君の輿入れが急遽決まったから。
それも相手は誰あろう皇さま。第三の妃として迎え入れたいとのじきじきの申し出により、ナカノミヤに昇殿することになったという。
目の前が真っ暗になり、足元がガラガラと崩れていくような感覚に襲われたフェンホア。
人生を賭して必死に手をのばした至宝。ようやく手が届くはずだったのに、それをあとほんの少しというところで、横合いからかすめ取られた。
しかも奪ったのは誰あろう、自分を武仙と認めてくれた大恩ある人物。
このときの感情はあまりにも複雑すぎて、とても言葉にあらわすことはできない。
ただ、フェンホアは常のごとくふるまい、主家へのお祝いと挨拶をすませてから許しを得て、姫の御前へと向かう。
彼女の前に片膝をつき首を垂れ、武仙入りの報告をしたフェンホア。
「おめでとう。ずっと見ていましたよ。いままでよくがんばりましたね」
いつも通りの優しい春風のような姫の声。
こらえきれなくなったフェンホアは、つい顔をあげてしまう。
勢いのままに「いっしょに逃げよう」と告げるつもりだった。
遠いあの日に抱いた想いをすべてぶちまけるつもりだった。
けれどもできなかった。
いまにも泣き出しそうな姫の顔をまともに見てしまったからだ。
彼女はとっくに覚悟を決めている。こうと決めたらテコでも動かぬことは、幼少のみぎりよりよく知っている。そして彼女が家族や周囲の人々の期待を決して裏切れないことも。
フェンホアにできたのは血が出るほどに己の拳を固く握りしめることと、精一杯の作り笑顔にて「この度のご成婚、まことに祝着至極に存じます」と述べることだけであった。
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