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948 獣王武闘会本戦 準々決勝第四試合 二分十五秒の攻防 後編
しおりを挟む灰色鬼の強烈な拳撃を受けて、トラ美は天井に叩きつけられたばかりか、ひょうしに開いた大穴の奥に消えた。
観客たちはだれもが、これで勝負ありとおもった。
けれども灰色鬼は天井の大穴を見上げたまま。全身からは闘気を放ち続け、いっかな臨戦態勢を解こうとはしなかった。
するとそこに女の声が降ってきた。
「来い! 紀田純一、あたいはまだピンピンしているぞっ」
屋根の上へと吹き飛ばされたトラ美による挑発である。
アレほどの攻撃を喰らって無事なはずがない。
それでもトラは吠えた。
これを受けて、灰色鬼が「よかろう」と応じる。
ただし、たんに挑発に乗ったのではなかった。
ここにきて、またしても鬼の身に異変が起きる。
やや前かがみとなった灰色鬼、その背中に二つの大きな瘤が出現したとおもったら、これを内部から突き破って姿をあらわしたのは二本の腕であった。
あらわれたものは他にもある。
後頭部に浮かび上がったのは第二の顔だ。
二つの顔に、四本の腕、まるで二体の鬼が背中合わせにくっついたかのような姿……。
かつて遠い古の時代、仁徳天皇の御世の頃である。
飛騨の地に異形がいたという。
一つの胴体に二つの顔があり、四本の腕にて左右の手に大剣を帯び、強弓をよく用いた。力強く軽捷(けいしょう)で、暴虐を好み、その性は残忍にて、帝を蔑ろにし皇命に従わず。
これを討伐するのに数多の英傑と軍勢を用いて七日七晩晩攻め立て、ようやく誅したという。
その者の名を両面宿儺(りょうめんすくな)といった。
二面、四本腕の異形が雄叫びをあげて跳躍する。踏みしめた足下がべこりへこみ、四方へと地割れが走った。
かとおもえば、その身がひと息に天井の大穴へと呑み込まれた。
鬼とトラとの戦いは、闘技場を飛び出して外へと移行する。
屋根の上で激しくぶつかる両雄、その様子を観客たちは見ることかなわず。響いてくる衝突音や怒号、揺れ、次々と屋根に浮かぶ大小の亀裂や、崩れ落ちてくる瓦礫によって窺い知るしかなかった。
そんな状況は、急に始まって唐突に終わりを告げた。
開いた大穴がさらに拡大し、ついには天井の中央付近がごっそり抜け落ちたからである。
一歩間違えば建物内にいた大勢を巻き込んでの大惨事になりかねなかったのだが、それはまぬがれた。運よく落ちたのが、ぎりぎり闘技場の舞台内に納まる範囲であったからだ。
ぽっかり開いた建物の天井からは、広大なせのうみドームをすっぽり覆う硬質ガラスの内壁が丸見えとなっている。
圧倒的な破壊がもたらした混沌が眼前に広がる。
舞い上がった粉塵が煙る中を外光が幾筋も降り注いでいる。
そんな場所になおも立ち続けている人影がひとつあった。
その景色は、まるで宗教画のごとき神々しさを帯びており、見る者らを魅了せずにはいられない。
緩やかな風が吹き、霧煙が次第に晴れてゆく……。
立っていたのは紀田純一であった。
背中から生えていた腕が、燃え尽きた灰のようになって塵へと還り消えた。
後頭部に浮かんでいた第二の顔も、ふたたび身の内に沈んだ。
のっぺらぼうの面がひび割れ、砕けて、素顔があらわとなる。
これにともなって肌の色味が灰色から従来の緑色へと戻って、第四形態が解除された。
白の御方より許されたタイムリミットの三分が過ぎたのだ。
ごふっ。
紀田純一が血反吐をはいた。
さらに霧煙が晴れて、あらわとなったのは鬼の首筋から胸元へとかけて。
一頭のトラがその喉笛に食らいついており、ぶら下がったままで気を失っているではないか!
弧斗羅美、執念のひと噛みであった。
あとほんの少し、わずかにでもチカラを込めれば牙が頸動脈を断ち切る。
一触即発、牙に込められた想いは、まさに鬼気迫るもの。
これを前にして、紀田純一は目を閉じ「参った」と敗北を認めた。
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