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939 獣王武闘会本戦 準々決勝第四試合 流砂地獄
しおりを挟む突如、闘技場裏からタヌキ娘の絶叫が鳴り響く。
これに触発されて、先に動いたのはどちらであったか。
片方が動けば、もう片方も対処せざるをえない。結果として、ほぼ同時に黄鬼とタエちゃんは動くことになった。
試合は慎重な掴み合いから一転して、打撃勝負へと様変わりする。
唸る黄鬼の豪腕、疾駆するヘビ娘の手刀、次々と繰り出される拳打を拳打が迎え討つ。
威力は黄鬼が優勢、しかし速度と鋭さはタエちゃんに軍配があがる。
四つの両腕が激しく交差しては、ぶつかり、こすれ、削り合い、また離れては、翻り、ふたたびぶつかる。
黄鬼の逞しい両腕は、さながら金棒のごとき凶悪さであった。
ヘビ娘の細くやや長めの両腕は、さながら蛇体のごとき艶めかしさであった。
直線的かつ暴力的なチカラにて振るわれる黄鬼の一撃を、体表にてぬるりといなし、ヘビ娘の前腕部分がぐにゃりと絡めとろうとし、ときに噛みつこうとする。
肩、肘、手首、指の第一から第三関節、手の甲の第四関節、それらを繋ぐ軟骨、筋肉、神経、血管……すべてが滑らかに連動し、まるでタエちゃんの両腕は自我を持つヘビであるかのよう。
息つく暇もない至近距離での応酬のさなか、不意に黄鬼の豪腕の動きが鈍くなった。
突き出した拳、わずかながらも勢いが落ち、ついで腕の位置もやや下がった。
黄鬼は訝しそうな目つきとなる。
タエちゃんがほくそ笑む。
これを仕掛けたのはタエちゃんである。打ち合いの中で、相手の攻撃を防いだり受け流しをする刹那、ちくちくと狙い打っていたのは鬼の豪腕のツボである。太い血管が交わる箇所や、神経に密接しているところ、あるいは関節と筋(すじ)の結合部分に近しい位置などなど……。それらを刺激することで、血流を滞らせ、あるいはほんの一瞬ながらも、痺れなどを誘発する。
時間にすれば、ほんのまばたき程度のこと。
さりとて、その一瞬が命取りになるのが武の世界である。
相手に自分の身体を押しつけるかのごとく、いっきにタエちゃんが大きく踏み込む。ほぼ八頭身にて足も長いヘビ娘、その一歩は大きい。するりと地を滑るようにして、黄鬼の両腕の下を掻い潜った。
かとおもえば、地から天へと跳ね飛んだのは、握った拳。ただし通常の拳のように突き出すのとはちがった。ソフトボールのピッチャーの投球フォームにも似た腕の振りにて、三日月のような弧を描く。
スコンと小気味よい音がして、黄鬼の櫟原了の首から上が大きくのけぞる。アゴ先をタエちゃんに打ち抜かれたせいだ。
これを受けて黄鬼の両膝がかくんと折れ、腰が下がった。
とはいえ倒れはしない。すぐに体勢を整えようと、はじかれた頭を元に戻そうとした。
けれど、そこにのびてきたタエちゃんの腕が、太い首に絡みつく。
女の細腕とは思えぬ強いチカラ。
首がぎちりと締めあげられる。動脈が圧迫されて、血圧が急低下を開始する。脳へと血の流れも遮断される。これにより頸動脈洞反射が起きて頸動脈洞性失神が誘発される。締め技はこの人体特性を利用した落とし技だ。
このままではマズイと判断した黄鬼は、いそいでヘビ女の腕を剥しにかかる。だがしかし、のばした手は虚しく空を掴んだ。
タエちゃんがみずから離れたからだ。
では、これにより黄鬼は解放されたのかといえば、さにあらず。
半ば絞められていた腕を外されたことにより、滞っていた血の流れがいっきに雪崩れ込み、頭がぼんやり、黄鬼は少し逆上せたようになった。そのせいで当人の意志とは関係なく、やや注意力が散漫となり、四肢からもチカラが抜けた状態となる。
その時のこと、ゴキリと厭な音が鳴った。
虚ろな瞳にて黄鬼が己の足下をみてみれば、左膝から下がおかしなことになっていた。
ヘビ娘によって関節が外されたと気づいた黄鬼は、いまだ左足に絡みついてる相手を打ち倒すべく、右の拳を振り下ろそうとする。でも、先の影響により、おもいのほかに拳の動きはのろかった。
そしてそんな気の抜けた拳を喰らうほど、タエちゃんはお人好しではない。
左膝から、右腕へとするする移動したタエちゃんが極めたのは、腕挫十字固 (うでひしぎじゅうじがため)であった。
格闘技で最も有名で頻度多く極められる関節技。だがそれゆえに、もっとも繰り返され、練磨された至高の関節技と言っても過言ではない。
完全に腕をとられて極められた黄鬼が、堪え切れずに体勢を崩し背中を地につけた。
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