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916 獣王武闘会本戦 閑話 接近遭遇その2
しおりを挟む聚楽第の現総帥ウル。
瞬く間に組織を掌握し強化かつ先鋭化させた正体不明の存在ながら、その異常な強さだけは知れ渡っている。
かつて高月の地をふらりと訪れたときには、市内中の猛者どもが束になってもかなわなかった。接近戦では芽衣やトラ美を圧倒し、安倍野京香の狙撃や、アニマルメイドロボの零号による雷龍の宝珠を用いた遠距離攻撃を喰らっても耐えしのぐ。どうにか撃退できたのは尾白四伯の機転と、ウル自身にその気がなかったから。
そんなヤバいのがじょじょに近づいてきている!
すぐに身を隠さねば……とあせる安倍野京香。しかしここはVIP客専用のフロア。身をひそめるのに都合のいい怪しげな場所がない!
闇雲に動けば警備システムに引っかかってしまう。かといって適当な部屋に飛び込んだら、そっちにもヤバいのがいるし。
「ちっ、しようがない。今日はここまでだ。いったん退くぞ」
「わかりました」
安倍野京香と燐火は即時撤退を選択。
が、とことんツキに見放されたらしい。
ウルから遠ざかろうと戻りかけた矢先のこと、退路にあらたな気配が出現する。
静かだが、とても重い常闇、そして暗い水底のような冷たさを秘めたそれは……。
「――錫城!」
ギリっと奥歯を噛みしめる安倍野京香。
黒鬼・錫城、ぱっと見にはどこにでもいそうな中年のサラリーマン風だが、鬼族最強の戦士にして、白鬼の女王である七宝院白瑠璃を守護する者。
前門のウル、後門の錫城。
絶対絶命の窮地に立たされたふたり。せめて通気ダクトか窓でもあれば、獣の姿に戻ってそこから逃げられたのだが、それも見当たらない。
ぐずぐずしていたら挟撃される。
ならば、と活路を見い出したのは後門の錫城の方。
ウルはとにかく得体が知れない。一方で錫城の方は体術主体の戦士だということはわかっている。かつて全盛期の洲本葵こと先代蒼雷との壮絶な一騎打ちの末に、一本角を折られ惜敗したことからも、まだつけ入る余地があると判断した安倍野京香。
だが、その見通しが甘かったと知るまでにさして時間はかからなかった。
先手必勝とばかりに、サイレンサー付きの銃を抜く安倍野京香。燐火も青龍の小太刀を抜き、ふたりして強襲をかけようとする。
けれどもできなかった。
ひとにらみ……、ただそれだけでふたりは動けなくなった。気圧されて呑まれてしまったのだ。
足が小刻みに震えており、全身冷や汗でびっしょり。安倍野京香は手にした銃が異様に重く感じる。燐火も手にした小太刀の鍔鳴りを止められない。
しかしこのままでは破滅するばかり。
安倍野京香は意地で腕をあげると、どうにか照準を定めようとする。
燐火も深呼吸にて呪縛を解こうと足掻く。
だが抵抗もそこまでであった。
ゆっくりとこちらに向かっていた錫城。その姿が急に消えたかとおもったら、自分たちのすぐ横にいた。錫城の手がのびてくる。
それを前にして安倍野京香たちは死を覚悟する。
でも、ここで錫城は予想外の行動をとった。
のばした手をそっと重ねたのは、安倍野京香が銃を持つ手。
ふっと身を縛っていた圧力も霧散し、自由となった女たち。
錫城は言った。
「やめておけ。さすがに射撃残渣はごまかせん」と。
そして錫城はアゴをしゃくり、女たちに「行け」と促す。
どうやら見逃してくれるらしい。でもどうして?
すると錫城は「ふっ」と目尻にしわを浮かべ「連中に含むところがあるのはうちも同じだからな」
鬼族にとって何よりも大事なのは白の御方さま。それ以外では我関せずとまでは言わぬが、必要最低限の関与しかしない。それが一族の方針。
そして今回の大会にわざわざ白の御方さまが足を運んでいるのは、ここで起きるであろう事の顛末を見届けるため。そのことを事前に告げられていた錫城。
なんにせよありがたい話にて、安倍野京香と燐火はすぐに駆け出した。
かくして窮地を脱した女ふたり。
それと入れ違うようにして廊下の角からあらわれたのは総帥ウル。
姿はあいかわらず滲んでぼやけており、輪郭がはっきりしない陽炎のよう。
だがそんなことはまるで意に介さず、軽い会釈にて通り過ぎようとする錫城に、ウルがぼそり。
「いまこちらにネズミがいたような気がしたのだが……」
対して錫城は「さぁ」と軽く肩をすくめたのみ。
両者の視線が至近距離で交わり、刹那、ピシリと緊迫した空気に包まれる。
しかしながらそれはほんの一瞬のこと。
ひりついた空気はすぐに解け、ふたりはゆっくりと遠ざかっていった。
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