おじろよんぱく、何者?

月芝

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830 ロス現象

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 愛娘が帰ったとたんに、おれの周囲で起きたのは伯魅ロス現象である。
 探偵事務所は火が消えたように静かとなり、以前にも増したシケシケ具合。
 とはいえ良くも悪くも元通り。でも珍しくしらたきさんがポロリと湯飲みを落として割った。彼女は女性の怨念が凝り固まって産まれた白い腕の怪異。その分、母性も強いらしく率先して子守りを引き受けてくれていたから、やっぱり寂しいのかもしれない。

 芽衣はちょいちょいタエちゃんやミワちゃん、桔梗らを誘ってはカラオケにしけこむ機会が増えた。

 事務所のある雑居ビルは、もとの胡散臭さい雰囲気に包まれて、二階のスナック「昇天」では花伝オーナーが不機嫌そうに葉巻をぷかぷか。
 高月中央商店街の面々も軒並み「はぁ」とため息。

 商会長は「どうしてうちの孫は、クソ生意気な野郎ばかりなんだろう」としんみり。

 パン屋「森のくまさん」の女神、木崎小百合さんは「そろそろうちも」なんぞとパン職人の旦那に意味深な視線を送っては、無自覚に彼女の信者たちを絶望の縁へと叩き落としている。

 いきつけのバー「フェール・アン・ドゥトール」のマスターである柴田将暉は、「元気で明るくて、本当にいい子でしたねえ。寂しくなります」とつぶやきながら、カフェメニューからうちの愛娘のお気に入りであったプリンアラモードを削除した。

 古書店「知恵の森」の店主である母玄福郎は、従業員のアニマルメイドロボ零号に「児童書と絵本の特設コーナーはもういい。もとに戻しておいてくれ」と指示して自身は店の奥へと引っ込んだ。

 テイクアウト専門のからあげ店「鳥勝」の店主である白羽次郎は、からあげをうれしそうに頬張る伯魅の写真をスマートフォンの待ち受け画面にしており、ことあるごとにそれを眺めては「いっそのこと、うちのマスコットガールになってくれないかなぁ。あと本当に尾白に似なくてよかった」とぶつくさ。

 ケーキショップ「幸蔵」にて店番のパートをしている神戸京子は、「やっぱり女の子は可愛いわよねえ。なんといっても華があるし、磨けばピカピカに光るんだもの。それに比べて男の子はダメね。どんどん薄汚れていくばかりなんだから。ったくうちの男どもときたら、もう」とグチが止まらない。
 うーん、彼女の家庭でいったい何が……。

 古き良きゲームセンター「デジボーグ」の店主である比五椎演人は、黙々と壁に貼られていた店内禁煙と達筆で書かれた半紙を剥し、片付けていた灰皿を戻し、照明の明度も落とし、駄菓子売り場も縮小、通常の営業スタイルに移行しつつ「短い間だったが、いい夢がみれたよ」と遠い目をした。

 この他には、日頃から商店街に生息している爺婆連中も、伯魅がいなくなってそろってしゅんとなって萎れた。
 なにせいまどきアメ玉やキャラメルひとつで、ニパッといい笑顔。「ありがとう!」と礼を言ってくれる子なんてそうそういやしないんだもの。
 肩が凝ると言えば「だいじょうぶ?」とトントンしてくれる。
 腰が傷むと言えば「いたいのいたいのとんでいけ」とさすりながらのおまじない。
 立ち上がるときによろければ、たちまち駆け寄り、小さな手をさしのべてくれる。
 ちょっとしたうんちくやら、先人の知恵を披露すれば、うざそうな顔もせずに「ふんふん」と真剣に耳を傾けては、「へー、すごいねえ」と感心する。
 あげくに抱きついてきては、鼻をスンスンさせながら「なんだかいいニオイがするよ」とうれしいことを言ってくれる。

「うちのケバい孫娘とはえらいちがいじゃ!」
「あー、ことあるごとに小遣いをせびるばかりのバカ孫とチェンジしたい!」
「昔は跡継ぎの男の子こそ第一だったが、いまや時代は断然女の子じゃ!」
「どうしてワシはあの子の祖父じゃなかったんだろう。神さまのいけず!」
「まだ諦めるのは早すぎる。人生八十年時代、新たに孫よ、かもーん!」
「いやいや、さすがに厳しいじゃろう。ここはいっそひ孫に賭けるというのも」
「というか、どうしてあんなしようもない男から、あれほどの素晴らしい子が生まれたんだろう?」
「たしかに……トンビがタカどころじゃないぞ」
「はっ、もしや天変地異の前触れか! 恐怖の大王でハルマゲドンか!」
「恐怖の大王って……。昭和レトロにもほどがある。いまどきの若いもんは知らないよ、きっと」
「「「「えっ、そうなの?」」」」

 ジェネレーションギャップに驚く爺婆たち。
 萎れているわりには、よくくっちゃべっているので、まぁ、放っておいても心配はいらないだろう。なにせ昭和産まれはモーレツにて骨太で、とってもタフだからな。

 でもって、おれこと尾白四伯はどうかというと……。
 ガッツリ、伯魅ロスになっているものの、せっせと仕事に精を出している。
 いや、しばらくは呆けていたよ。パチンコ屋で日がな一日だらだら過ごしたりしていたんだけど、心配して様子を見に来たトラ美に背中をばしんと叩かれて、こう言われちまった。

「しゃんとしなよ、尾白さん。そんなことじゃあ伯魅ちゃんに嫌われちまうよ。がんばれ、パパ」

 不甲斐ないおれはトラ美に喝を入れられて目が醒めた。
 というわけで、しばらく放置して溜め込んでいた仕事を、獣王武闘会本戦までの間にちくちく消化している。


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