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785 二階の怪
しおりを挟む百貨店の二階も婦人服売り場。わりと日常使いのカジュアルなブランドが集まるフロア。そのため内装には華やかさと季節感がある。
とはいえ野郎の身には縁が遠い場所なので、おれはひさしぶりに足を踏み入れた。
来たのはたぶん芽衣に福袋争奪戦に付き合わされて以来だろう。
そのときのことを思い出し、おれはぶるると肩を震わせる。
あれは悪夢……。飢えたライオンの群れの中に放り込まれるようなもの。いい加減に福袋商戦はやめたほうがいいと思う。きっと死人がでる。
なんぞと考えていたら隣の芽衣が「四伯おじさん、おしっこですか? 歳をとると近くなりますからしょうがありませんね。ほら、さっさと済ませてきてください」と言った。
◇
深夜にフロアをひとりランウェイする女性のマネキン。
それが二階の怪。
「ちゃんと所定の位置に戻ってるんだろう? だったら放っておけばいい。今日び掃除機だって勝手に室内をくるくる徘徊するんだから。それに下手な警備員よりも、よっぽど防犯に役立ちそうだ」
マネキンがかくかく追いかけてきたら、きっと泥棒もちびって逃げ出すことであろう。ついでにゴミでも拾ってくれたら言うことなし。
おれがそんなことを口にすると、芽衣が「やれやれ、これだから男は……。ちっともわかってませんね」と呆れた様子で首をふるふる。
「あのね、ヒールのカカトだってタダじゃないんですよ。動けば動いた分だけ減るんです。傷むんです。それに動き回るせいで起こる着崩れを、毎度毎度直すのも手間ですよ。ポージングだって狂っているだろうし」
店内売り場の各所やショーウインドウ内にて、なにげなく展示されてあるおしゃれなマネキンたち
その一体一体には、担当した者のこだわりや意図が詰まっている。売上に直結するばかりか、周囲の反応いかんによっては己のセンスを問われかねない品。いわばひとつの芸術作品のようなもの。
そいつを勝手にされたとあっちゃあ、担当した者はさぞや業腹なことであろう。
あとマネキンに衣装を着せるのはけっこう面倒臭かったりする。
自分で着るのと、誰かに着付けをするのとでは雲泥の差。小さい子の着替えがままならぬのと同じこと。子どもとちがってじっとしているから楽だとおもったら大間違いなのだ。
得々とどこかで仕入れてきたであろう知識を、まるで我が物顔で語るタヌキ娘。
おれはそれを「へー」と適当に聞き流しながら、フロア内を巡回。
怪異が出やすいように照明は完全に落とし、懐中電灯片手にとぼとぼ歩く。
「ふわぁ、しかしなかなか姿をあらわさねえなぁ。あー、なんだか無性にタバコが吸いたい気分になってきた。ちょっと一服してきていい?」
「ダメです。というか知らないんですか、四伯おじさん? 亀松百貨店さんはとっくに全館禁煙になって、備え付けの灰皿もすべて撤去されてますよ」
「えっ、うそ、マジで!」
老舗百貨店にまで押し寄せる禁煙の波。
そういえば代替え品として登場したはずの電子タバコも結局ダメになるかもって、ちょっと前にニュースでやっていた。健康によくないからとの理由で、海外ではその動きが加速しているそう。
冗談じゃない! 愛煙家の立場から言わせてもらえば、そんなのは間違っている。
人間が健康で長生きすればするほどに、地球環境にとってはマイナスなのだ。
適度に生きて、人生を謳歌し、とっととぽっくり逝く。
ちゃっちゃと個体数を減らす方が、よほど環境にも国庫にも優しいというもの。短く極太に生きろよ! それをちょろちょろ、だらだら、切れの悪いじじいのションベンみたいな……。
おれがぶつぶつ不平を並べていたら、芽衣が「しっ!」
カツン、カツン、カツン、カツン……。
床をリズムよく打つ小気味よい音はハイヒールのもの。
いつのまにか足音がひとり分増えている。
おれと芽衣は目配せ。素知らぬふりにて、次の角を曲がった。
わずかに遅れて続くハイヒールの音の主。やや早足で追いかけてきたところで。
いきなりピカッと、懐中電灯を照射したのは待ち伏せていたおれ。
あらわとなる女性マネキンの怪。逆ドッキリにびっくりしてマネキンがたたらを踏んだところで、「おらーっ!」と躍りかかったのは芽衣。
水着売り場にて展示されてあった浮き輪を、頭からずぼっとね。
疑似的に縛られた格好になったマネキン。あわててきびすを返し逃げ出そうとするも、ぐきりと足首をひねってすてんとこけた。
なにせ上半身を固定されるとうまく走れないもの。加えて足下は不安定なハイヒール。あとフロアの固い床はピカピカにてわりと滑ったりもする。
でも大丈夫、そのためにあえて浮き輪を拘束具としてチョイスしたのだから。
ぶよん、ぼよんとクッションとなって転倒の衝撃を吸収。
女性のマネキンが転がったところに、探偵と助手がおおいかぶさり「とったどーっ!」
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