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743 タヌキと狂トラ、破
しおりを挟む猛獣の唸り声のようなものがした。
ばさばさと頬を打つ風が強い。
気圧が急激に変化したのか耳の奥がキーンとする。
それらにともない圧力がみるみる増幅されてゆく。
猛然と迫ってくる何か。
その正体を確認するよりも先に身体が反応する。
危険を察知し、ぱっと横へと転がったのは芽衣。
英円の斬馬刀に吹き飛ばされたときの衝撃で、軽く脳震盪を起こし意識がぼんやりしており、無意識下での行動であった。
直後、つい先ほどまで芽衣がいた場所に深い裂傷が刻まれる。
床をざっくり抉ったのは、英円の放った見えない音の刃。
間一髪のところで難を逃れた芽衣。それと同時にたちまち覚醒する意識。
すぐさま跳ね起き、状況を確認したところでタヌキ娘は「なんじゃこりゃーっ!」
銀毛のトラ獣人が奏でる狂気のレクイエムにより音刃が乱舞。
彼女を中心にして破壊の嵐が吹き荒れており、フロアを席捲!
ここには障害物がなく身を隠す場所もない。下手に防ごうとすれば身を切り刻まれる。ゆえにひたすら攻撃の範囲外へと逃れるしかないのだが、性質が悪いことに演奏をしながら一歩一歩、向こうから近づいてくるではないか。
ばかりか室内であるがゆえに反響する不協和音がさらなる苦痛を生み、こちらを責め苛んでくる。気持ち悪い。酷い頭痛に襲われ、なまじ三半規管が優れている者から片膝をつくことになる。
たまらずどうにか演奏をやめさせようと、燐火や仲間の白羽らが英円へと向かって棒手裏剣による投擲を行うも、唸る風によりたやすく軌道をそらされ、あるいは見えない刃によって叩き落とされてしまう。かといってうかつに近寄ればやはり見えない刃の餌食となるばかり。
攻防一体である英円の最終奥義「音嗚滅爛虎慄紅武爪術、五の段、怨嗟」を前にして、芽衣らは成す術なし。じりじりと後退するを余儀なくされる。
しかしそれもじきに限界を迎えた。
退路はとうに断たれており、ついに芽衣たちはそろって壁際にまで追い詰められてしまった。
「くっ、せめて青龍が使えれば活路を見い出せたものを」と燐火。
青龍は蒼炎を操れる不思議な小太刀。代々、白羽を率いる者に継承されてきた秘伝の武具。その切れ味は凄まじく、高威力の炎を放出することも可能。しかしそれゆえに連続での行使はできず。一度使うとしばしのインターバルを必要とする。
先のサーバルキャットの弟ボーンとの戦いにて、勝負を急ぐあまり使用してしまったことをいまさらながらに悔やむ燐火であったが、そんな彼女に芽衣が告げた。
「わたしに考えがあります。ただし、ちょっと荒っぽい作戦ですけど」
◇
蒼い光を帯び、オカッパ頭の髪の毛を逆立てたのは芽衣。
狸是螺舞流武闘術の終の型、唯我独尊により、体内に溜め込んだタヌキの悶々パワーをいっきに解き放つことにより起こる現象。
これにより芽衣は短時間ながらも爆発的なチカラを発揮し限界突破をする。
ドンっ!
床を蹴った芽衣。おもむろに駆け出す。
そのさまはさながらイナヅマのごとし。
凄まじい突進。
しかし英円は動じず。
「無駄だよ。どれだけあんたが速く動こうとも、無数に乱舞する音の刃のすべてはとてもかわしきれない」
しかもその音の刃は英円へと近づけば近づくほどに、より数を増し、密度も増し、威力も増す。絶対の防壁となって行く手を阻む。
生身で接敵することはまず不可能。
だからこその英円のこの余裕。
対する芽衣ではあるがここで奇妙な動きをとった。
直進からカクンと曲がっての進路変更。かとおもえば、壁や天井をも利用して、英円の周囲を高速移動。
さながら蒼い稲光がフロア内を縦横無尽に駆け回っているかのよう。
この行動を攪乱と読み、隙をみてきっと攻撃へと転じるつもりであろうと英円は考え「悪あがきだね」と口角を歪める。
はたしてその通りにて、英円の後方の天井に張りついた芽衣がおもいきり天板を蹴飛ばし、勢いをつけて突撃を敢行。
ただし迎え討たんと迫る音の刃を潜り抜けつつ向かった先は、英円のところではなくて、床。
狙ったのは最上階のフロアの中心部分。
「狸是螺舞流武闘術、終の型、唯我独尊派生・震撃」
解き放たれたチカラの奔流を自在に操り、調整し、チカラに指向性を持たせることで、さらなる破壊力を産み出すことを可能とする奥義。
この状態にて放たれた拳は凄まじく、小山ほどもある頑強な巨岩をも一撃にて粉砕するほど。
限界を越えてたその先へと昇華された蒼い拳。
触れた瞬間、フロアの床全体が大きく波打ち、一面に大小無数の亀裂が走る。
第九の塔全体をも揺れて、がくんと視界が下がった。
芽衣の拳により床が抜けたせいである。
崩れる足場に巻き込まれる英円。「そんなバカなっ!」
あわてて爪を引っ込めて技を中断し、どこかに掴まろうとするもそこへ飛んできたのは膝。
芽衣の攻撃。不安定な足場を伝っての八艘跳び、からの飛び膝蹴り。
渾身の一撃を鼻頭にまともに喰らった英円、その身が大きくのけぞり、のばしていた手が空を掴む。
銀毛のトラ獣人の姿はそのまま瓦礫とともに階下へと消えた。
だがこれを成した芽衣もまた……。
しかも破壊の影響は五階のみに留まらず。受けた衝撃と降ってきた瓦礫の重量によって、四階の床も耐えきれず、続いて三階、二階をもぶち抜き、第九の塔はさながら廃墟に残された煙突のように成り果ててしまった。
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