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671 寝耳に水
しおりを挟むさばさばくだけているアライグマのうわねさん。それが急に居ずまいを正し真顔となったとおもったら、卓の上にそっと置いたのは一枚の女性の顔写真。
「彼女の名前は橋都十和子。私の親友……というのは、ちょっと面映ゆいわね。享年五十。賢く義侠心に厚い人物で、生前にはとある食品加工会社の役員をしていたわ」
五十に役員という単語で、おれがハッと思い出したのは、いっときニュースになっていたある事件のこと。
独身のキャリアウーマンが自宅の浴室で孤独死。
どうやら風呂場で心臓麻痺でも起こしたらしい。ちょうど冬場ということもありヒートショックにでも襲われたのだろう。発見が遅れたのはクリスマスから正月をまたぐ長期休暇中であったから。
なのにニュースネタになったのは、彼女がとある食品加工会社で若くして役員を務めていた才媛であったということと、けっこうな資産家だったこと、家が大きかったこと、あとは死後に発覚した養子縁組のことがあったから。
周囲の誰も存在を知らなかった養子。
いきなりぽっと出てきたとおもったら、保険金やら土地家屋、遺産の一切合切を総取りとなれば、誰だって胡散臭く感じるだろう。
当然ながら警察も動く。
ゆえに鼻の利くマスコミにも嗅ぎつけられて、ちょっとした騒ぎとなりかけていたのだが……。
「そういえば、それきり追加の記事を見た記憶がないな。本当だったらけっこうな騒ぎになりそうなものなのに」
おれが神妙な面持ちにてつぶやけば、うわねさんは「そう、あなたも知っていたのね。さすがは探偵、話が早くて助かるわ。でもその捜査ならばとっくに打ち切られているの。事件性なしの事故死として処理されたって」と言った。しかしその表情からとても納得しているとはおもえない。
「……ちなみに養子の話については?」
「寝耳に水よ。ねっ、ありえないでしょう? そりゃあ、彼女も歳が歳だったから、将来を見据えて、いろいろと考えていたのかもしれない。とはいえ私をはじめとして、周囲の誰にも相談のひとつもしないだなんて、さすがにおかしいわよ」
「そのこと、警察には」
「もちろん、何度も押しかけては言ってやったわよ! ちゃんと調べろって! でも連中、いつもへらへら適当に聞き流すだけで、『もう終わった事件ですから』とちっとも動こうとしないの」
よほど腹に据えかねているらしく、うわねさんがドンと卓を叩く。
「探偵さん、あなたにはもういちど事件について、いちから徹底的に洗い直してもらいたいの。これはあくまで手付け金。必要なら言ってちょうだい。すぐに追加分を用意するから」
なんとも太っ腹な依頼人である。
うちとしてもちょうど暇を持て余していたことだし、断わる理由もとくにはないので、「まぁ、やるだけやってみましょう」と引き受けることにした。
◇
報告はおりおり電話ですると約束して、帰っていったうわねさん。
するとそのタイミングで、コンコンコン。
窓をくちばしでつつくのは一羽のカラス。
開けてやると、カラスはバサリと翼を広げて室内へと。
たちまち人化の術にて変態したのは、カラス女こと安倍野京香。年がら年中、サングラスに全身黒でコーディネートしている高月警察の不良刑事。引き金の軽さと、手癖と足癖の悪さでは、右に出るものがいないともっぱらの評判。
「彼女、やっぱりここに来たみたいだな」
カラス女の言葉に「おまえの差し金かよ」とおれは唇を尖らせる。
「本当なら私が動いてやりたかったんだが、ちょいと動けない事情があってね」
「事情?」
「まあね。それよりも四伯、今回の依頼、気合いを入れろよ。どうにもきな臭いことが多すぎる」
「そりゃあ、まぁなぁ。ってか、だったらなんで早々に捜査が打ち切られたんだよ」
「そこだ。まずそこからしてきな臭い。だからこそ私も表立って動けなかったんだ」
「……ということは、まさか警察内部に」
「あぁ、それも事件を強引にもみ消せるぐらいの地位のヤツが絡んでいる可能性が高い。こっちはこっちで動くから、おまえもせいぜい気をつけろ」
不審死を遂げた女性。
どうやらただの資産狙いの養子縁組詐欺の類ではなさそうだ。
ひさしぶりの真面目な探偵らしい調査依頼に、おれはぶるると武者震い。
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