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608 気まずいの三重奏
しおりを挟む作業途中に尾白がトイレへと行ってしまい、ひとり残された芽衣は手持無沙汰となった。しかしくれぐれも勝手をしないようにと厳命されている。
そこで目についたのが、すぐ前にデデンとある王座。
「どれ、ひとつ高いところから愚民どもを見下ろしてやるとしますか」
が、いざ座ってみると、お尻のところも背もたれもカッチカチ。座り心地はたいそう悪い。まぁ、舞台道具に快適さを求めるほうがどうかしているのだけれども。
どっかと腰をおろし、足を組み、ひじ掛けにもたれるようにして体を傾げて、物憂げな表情を浮かべれば、気分はもう万人を見下す暴君。
「余は退屈じゃ。よし、隣国を侵略して蹂躙し暇をつぶそう」
タヌキ娘が演じる暴君はとんでもない独裁者であった。
ひとり遊びにてグフグフ気色の悪い笑みを浮かべている芽衣。するとその耳にチリンと聞こえてきたのが風鈴の音色。
急に室温が下がりキンと冷えた。
あわせて天井の蛍光灯が明滅し始める。
陰と陽。白と黒が交互に入れ替わる。その瞬間のことであった。
まるでフィルムのコマ割りのようにパッと浮かんでは消える人影。
芽衣は遅まきながら「あっ、噂の風鈴幽霊!」とおもったものの、タヌキが人間に化けている女子高生は、幽霊とかちっとも怖くない。
かつては鬼やら天狗ともガンガンど突き合いをしたこともあるので、若い娘のお化けなんぞは屁でもない。ぶっちゃけ武の師である祖母葵の方が百万倍怖い。
とはいえ、である。
このタイミングでの幽霊との遭遇に芽衣は戸惑いを禁じ得ない。
ちょ~っと童心にかえってはしゃいでいたところを、他者にバッチリ目撃されたときの気まずさといったら、もう……。穴があったら入りたい。
どんな顔をして幽霊と対峙するのが正解なのかわからなくなった芽衣は、そのまま演技を続けることにする。拙い照れ隠しである。
でもって開口一番、居丈高にこう言い放つ。
「王の御前である。頭が高い。ひかえおろう」
するといきなりそんなことを言われた幽霊の方が面喰らってしまった。
そして風鈴幽霊は思った。
「あれ? なんだかこれまでの子たちと反応がちがう。ビビるどころか、めっちゃえらそう。でも妙な迫力がある。
っていうか、王座に腰かけては足をぷらぷらさせながら、ぶつぶつ独り言、ニタニタ顔を歪めて悦に浸っている時点で、かなりヤバい。この子は人としていろいろダメなような気がする」
なんぞとごちゃごちゃ考えているうちに、気がつけばつい「ははーっ」と頭を下げていた。
そのタイミングで勢いよく飛びこんできた探偵が心底呆れ顔にて。
「へっ、おまえらなにやってんの?」
第三者の乱入により理性を取り戻した偽王と風鈴幽霊は、そろって顔を真っ赤にする。
王さまごっこを目撃された芽衣はとても恥ずかしい。
その場面を目撃したばかりか、はずみで付き合ってしまった風鈴幽霊も赤面もの。
女たちの秘め事をまのあたりにした探偵は、見てはいけないものを見てしまい反応に苦慮する。
探偵と助手と幽霊。
三者三様に気まずい、気まずいの三重奏。
居心地の悪い沈黙の中、せめてもの救いは照明が常夜灯に切り替わっていたこと。
お互いの顔が薄ぼんやりと橙色にまぎれているので、まだどうにか耐えられる状況であった。
けれどもそこに第四の闖入者があらわれて、かろうじて保たれていた均衡が崩されてしまう。
いきなりパッと明るさを取り戻した室内。
壁際にある照明のスイッチを押したのは御堂由佳。公演初日を目前に控えて忙しい主演女優。リハーサルの合間をぬって、わざわざ様子を見にきたところで、この場面に出くわす。
明るくなった室内。
すかさずガバッと両手で顔を隠したのは芽衣と風鈴幽霊。
「うぅ、恥ずかしい」
「み、見ないでください」
タヌキ娘は王座にてうつむき身悶え、風鈴幽霊はしゃがみ込んだままで縮こまっては悶々としている。
探偵はそんなふたりにかける言葉が思い浮かばず、オロオロするばかり。
でもって御堂由佳は困惑顔。「えー、なんなの、このカオス」
◇
逃げ時を失い、なし崩し的に捕獲された風鈴幽霊。
以降は殊勝な態度にて素直に取り調べに応じる。
名前はなく、生前のことはほとんど覚えていないとのこと。ただ舞台にかける情熱だけが胸の奥に燻っては、彼女を突き動かしていた。
ゆえにこっそり稽古に勤しんでいる練習生がいたら、ついふらふらと出向いては「気のきいたアドバイスでも」と目論むも結果は散々たるありさま。
当人いわく。
「けっして脅かすつもりは……。むしろ頑張れって激励する気持ちが高じるあまり」
とのこと。
フム。けっこういい奴なのかもしれない。
「じゃあ、どうしてうちに化けて出たの?」
との御堂由佳の問いには「自分、浮遊霊なもんで。基本的には宿なしなんです、はい。だからあちこちを転々としておりまして」と風鈴幽霊がテヘペロ。その流れであちこちふらついていたところ、「だったら劇団みどりがめのところに行くといいわよ。あそこは所帯が小さいからうまくしたら役がまわってくるかも」と親切にも勧められたんだとか。
「どこのどいつよ、そんな無責任なことを言ったのは!」
「えーと、劇団すえひろがりの白部天音さんですけど」
元凶の名前を耳にしたとたんに「あんの腐れビッチかぁーっ!」と御堂由佳が激怒。
はてさて、ふたりの間にはいかなる因縁があるのやら。
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