おじろよんぱく、何者?

月芝

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510 おじろ死す?

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 神戸の街を一望できる山の高台。
 時刻は午後十時を少し過ぎた頃。
 天候に恵まれたこともあり夜景がいつも以上に鮮明で美しい。
 だというのに周囲にはおれたち以外に見物客の姿はなし。
 貸し切り状態にて夜景を独占するという贅沢な状況。

 色とりどりの明かりが織りなすナイトパレードに見惚れていると、ずんと背中に重たい衝撃。
 たちまち腹部がカッと熱くなる。

「えっ」

 おれが視線を夜景から自分の腹へと動かすと、そこには鋭く尖った大きな爪が生えていた。血に濡れた白い爪はトラのもの。
 背後から刺されたのだ。
 理解するのと同時に「ゴホッ」と咳き込み、口から漏れたのは血泡。
 どうにか首をねじりおれはうしろに立つ女を見た。

「なん……で……トラ美、こんな……こと……を」

 絞り出した疑問に対する答えは、涙。

「ごめん、本当にごめん、尾白さん」

 泣きながらあやまっているのは弧斗羅美。
 畿内屈指の荒事師にて、滅爛虎慄紅武爪術の遣い手であるトラ女。かつて奈良はシカ王国にて行われた嫁獲り競争にて面識を得て以降、何かと絡むうちに親睦を深めていった女性。
 そんな彼女から「ちょいと仕事を手伝って欲しい」と頼まれたのでいっしょに神戸くんだりにまで出かけたものの、おもいのほかにサクサク片付いてしまい、おれはいささか拍子抜け。
 だがせっかくなんだからと二人で港や中華街をぶらついたり、おしゃれな店を冷やかしたりしているうちに、はや日が暮れた。
 だもんで一杯ひっかけてから、「よし、夜景見物へとくり出そうぜ」というノリになったのだが、よもやよもやの展開!

 ゆっくりと引き抜かれたトラの爪。
 滅爛虎慄紅武爪術の奥義「一の段、徒花あだばな」は、人の姿を保ちつつトラの強力な爪のみを自在に出し入れできる。その威力はご覧の通り。
 とたんに胸の奥からこみあげる不快さ。腹と背中がいちだんと熱を持つ。だというのに全身が寒気に襲われる。大量に血が抜けて体温がみるみる下がっているせいだ。
 よろめきながらも、おれは手すりにもたれかかるようにして、どうにか立ち続けている。
 肩が小刻みに上下する。かすむ視界に次第に呼吸の乱れも激しくなってきた。
 どうにか顔をあげると、そこには弧斗羅美の他に見知らぬ女の姿もあった。
 銀の長髪が夜風にゆらめく。ちらりとのぞいた右目のところには三本傷がある。弧斗羅美と遜色のない高身長だが肩幅はひとまわりほど小さいか。
 そんな見知らぬ女が、呆然と立ち尽くす弧斗羅美に背後から腕を絡ませてはまとわりつき、抱きしめ耳元でささやく。

「それでこそ私の好敵手。友情ごっこや色恋にうつつをぬかすのなんて、貴女には似合わない。貴女に似合うのは血の赤。飽くなき闘争こそが、生死を賭けた修羅場こそが、我らトラという肉食獣を最大限に輝かせる場所」

 まるで幼子に言い聞かせるような優しい声音。
 だが内容はかなり物騒である。
 おれはハアハア肩で息をしつつ、「あんた……は、いった……い?」と問う。
 すると銀髪の女はにへらを厭らしい笑みを浮かべる。

「私? 私は英円はなふさまどか。この子の姉弟子だったんだけど、師匠の不興を買いまくって破門されちゃった。でもあんまりにも悔しいから、いつか師匠をぶっ殺してやろうと世界中を武者修行の旅で巡ってたんだけど、ひさしぶり帰って見れば妹弟子がずいぶんとヌルくなってるじゃない。だから元姉弟子としては、『ここは一発、ビシっと気合いを入れ直してあげなきゃ』って張り切ったわけ。というわけで、あんたはもう用済みだから、とっとと死んでちょうだい」

 言うなり弧斗羅美から離れた英円がスタスタと半死半生なおれのもとへと向かってくる。トドメをさすつもりだろう。
 姉弟子ということは彼女も滅爛虎慄紅武爪術の遣い手。しかもさっき口にした「我ら」という言葉から、その正体はトラ。
 まともな状態でもヤバい相手なのに、手負いのいまのおれではまるで太刀打ちできない。
 だからとて逃げ場はなく、偶然誰かが通りがかりそうな気配もなし。
 今宵の貸し切り状態も仕組まれたもの、か。
 どうやら最初から最後までおれは英円の手のひらで踊らされていたらしい。

 英円の右腕からジャキンと白い爪が生えたとおもったら、そいつを無造作に振り下ろす。
 おれは身をよじってかわそうとし、背中をざっくり裂かれた。

「もう、いちいち面倒くさいおっさんだね。見苦しいマネはよして、さっさと死んでちょうだい」

 ぶつくさ文句をつぶやきながら、ふたたび白い爪が閃く。
 その時のこと、手すりについていた腕がガクリとチカラを失い、よろけたひょうしにおれのカラダは柵の向こう側へと。
 とっさにのばした手はどこにも届かない。
 宙に踊り出て落下。
 ぐんぐん遠ざかる高台。
 そんなさなか、おれは自分の名を叫ぶトラ美の声と、英円のけたたましい嬌声を聞いたような気がした。


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