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508 喜怒哀楽の哀
しおりを挟む世紀末学園の後門にて荷物を受け取った黒いバンが向かったのは湾岸地区。
大きな倉庫が建ち並び、貨物輸送用のコンテナが山と積まれて迷路を形成している。
ここはかつて大文字桃子が勇名を馳せた、あの「港湾地区の決戦」の舞台となった場所。
助手席のスモークフィルムが貼られた窓から流れる車外の景色を眺めつつ、「ちっ、あいからわず陰気なところだ」とぼやいたのは桐生喜怒哀楽。
自分がブタ箱に入るきっかけとなった因縁の地にて、きっちり落とし前をつけてから別天地にて再起をはかろうと考えたものの、いざ、足を踏み入れてみるとどうにも胃のあたりがムカムカしてしようがない。
内心で毒づきながら桐生喜怒哀楽はバックミラーをちらり。
後部座席には両手両足を縛られ、猿ぐつわをかまされてぐったりしている茂木優里亜の姿がある。
ハンドルを握っていた男が言った。
「わざわざ俺たちを雇ってまで手に入れたその娘、どうする気ですか桐生さん」
「こいつか、こいつはあの忌々しい保険屋のババアへの仕返しに、適当に遊んだら海外行きのコンテナに放り込んで出荷する予定だ」
その言葉に車内でドッと笑いが起きる。
黒いバンに同乗している面々はみな桐生喜怒哀楽に雇われた者たち。裏サイトを徘徊している連中にて、金次第でどんな汚れ仕事も請け負うゲスばかり。
軍資金は前回の逮捕前に海外の口座に隠しておいた金で賄う。
少々痛い出費ではあったが桐生喜怒哀楽は新生活よりも私怨を優先させた。
そろそろ目的地である廃倉庫へと到着するという段になって、ダッシュボードから桐生喜怒哀楽が取り出したのは小型のビデオカメラ。彼はこれで撮影した映像を母親に送りつけて、存分に留飲を下げる腹積もり。
「出荷は夜だ。それまでおまえらで好きにしろ」
雇い主からの恩恵に、車内がふたたびドッと沸き野卑た笑いがニタニタ。
◇
湾岸地区でもいっとう奥まった場所にある廃倉庫。持ち主の会社が経営不振となって以降、放置されてひさしい。そのせいで天井や壁には穴が開いており、ツタなどの植物の侵入するのを許している。
昼日中でも薄暗く、外界から切り離されたかのような不気味な空間はまるで心霊スポットのごときあり様。けれども悪さをする者どもにとっては、とても都合がいい場所でもある。
そんな場所に拉致されて連れ込まれてしまったガングロ姫の茂木優里亜。
はや貞操の危機にて、乙女花を散らすのか!
そう思われた矢先のこと、ゲスのひとりが「あれ?」と素っ頓狂な声をもらす。
あまりにも場にそぐわない様子に桐生喜怒哀楽が「どうした?」
するとおずおず差し出されたのは一台のスマートフォン。
若い娘の身体を堪能する前に、「何か金目のモノはないかしらん」と茂木優里亜のカバンをひっくり返して中身を床にぶちまけたところ、奥底からこいつが転がり出てきた。
べつに若い娘が自分のスマートフォンを持っていたとしても不思議なことではない。
が、それはあくまでふつうの場合であって、いまじゃない。
桐生喜怒哀楽は学園側の協力者から茂木優里亜の身柄を受け取るときに、こう聞かされていた。
「位置が特定されたらやっかいでしょう? だからスマートフォンはこっちで処理しておいたから」と。
なのにどこぞに捨てたはずのスマートフォンがここにある。しかも電源が入った生きた状態にて。
自分が謀られたと知り激昂して顔を赤らめる桐生喜怒哀楽。
あわててスマートフォンの電源を切り、怒りのままに投げ捨てるなり、「くそっ、あのガキども。舐めたマネをしやがって、いったいどういうつもりだ! ……って、いかん、まずい。こっちの居場所が筒抜けじゃねえか。グズグズしてられねえ。すぐに場所をかえるぞ、おまえら急げ!」と一同に移動を促す。
カチャカチャとベルトをいじってはズボンをおろし、すっかりその気になっていたゲスどもはいきなり中断されて、「ちぇっ、なんだよ」と不服顔。
それでも事態を理解してすぐにズボンを履き直そうしたのだが、股間まわりがビーストモードに入っているので、ちょいと手間取ることに。片足立ちでふらふらしたあげくに、すってんころりんする者もいて、気が急くばかりでモタモタ。
すると遠くに聞こえてきたのはパラリラパラリラという、バイクの音。
ずんずん近づいては大きくなっていく音。乱雑な合唱。吠え猛るエンジン音は十や二十ではきかない、たぶん百を優々越えているだろう。
その規模を察して顔面蒼白になる桐生喜怒哀楽とゲスの仲間たち。
だらしのない格好のまま、すぐさま表に停めてある黒バンのところへとあたふた向かう。
気を失ったままの茂木優里亜を後部座席へと放り込み、自分たちも乗り込んですぐさま急発進させようとしたのだが、運転手はアクセルを踏み込むことはできなかった。
いきなりクルマの屋根を突き破って乱入してきたのは、先端が斜めにカットされた二メートルほどもある鉄パイプ。
これを槍投げのように投擲したのはバイク集団を先頭で率いていた大文字桃子。
ハンドルと運転席の間にぶすりと突き刺さった鉄パイプ。
あとほんの数センチ狙いがズレていたら自分が串刺しになっていたとわかって、ぶくぶく泡を吹いて気を失った運転手。
ある意味、ここで意識を失くせた彼は幸せだった。
なぜならここから先は、くだらぬ逆恨みに対する猛女たちの凄惨な報復がビシバシと展開されたからである。
あまりの苛烈さに桐生喜怒哀楽が哀を叫ぶ。
「ぎゃーっ! 産まれてきてごめんなさーい」
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