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390 寄り道
しおりを挟むルクレツィア・ギアハートは派手な活躍とは裏腹にプライベートがナゾに包まれている。
ようは公私をきちんと分けるタイプだということ。
だからどこそこのホテルに滞在中とか、そういった情報が表に漏れることは滅多にない。
にもかかわらずフランスの某ホテルに滞在していた彼女のもとに一通の手紙が届いた。
差出人は怪盗ワンヒール。
これはと目をつけた麗人のハイヒール、その片方のみを奪う変態紳士は、律儀にも事前に相手へ予告状を送る。
手紙には消印はなく切手も貼られておらず。いつ、誰が、どうやってセキュリティの厳しいホテルのスイートルームまで運び込んだのか不明。
興味を覚えたルクレツィア・ギアハート、ボディガードや秘書らが制止するのもきかずにみずから手紙の封を切る。
するとそこには流麗なフランス語にて、熱烈な犯行予告が綴られており、ホームページのアドレスが記載されてあった。
さっそく調べてみたら、アドレス先は怪盗ワンヒールのファンサイト。
やたらと充実しているコンテンツ。
運営者の本気度、熱量がモニター越しに伝わってくるかのよう。
溢れる情熱に惹かれてサイト内を閲覧しはじめたルクレツィア・ギアハートが、じきに喰い入るように読み始めたのは、怪盗ワンヒールと尾白探偵との戦いの軌跡をまとめたページ。この世界的美女、じつはマルチリンガル(多言語話者)の才媛。ゆえに日本語もぺらぺらのすらすら。
白のタキシード姿の怪盗紳士と探偵が高月という街を舞台にして、追いつ追われつ、くんずほぐれつ、時に地を駆け、時に空をも飛び、時には高所から川に落っこちたりと、知力と体力を無駄遣いして激しい攻防をくり広げているではないか。
「ふふふ、彼女が教えてくれた通りだわ。タカツキってところは本当におもしろい。ちょうどミスター亀松からのお誘いもあったから今回の仕事を引き受けたけれども、受けて正解だったわ。あっ、そうとなったらすぐに先方に連絡を入れて、配役を整えなくちゃ」
いつになく上機嫌となったルクレツィア・ギアハート、早速、ミスター亀松に街の探偵屋さんを手配してくれるようにお願いメールを送信と。
◇
高月中央商店街内にあるバー「フェール・アン・ドゥトール」
フランス語で「寄り道」との意味を持つ店名。
ムーディでダンディなシベリアンハスキーの柴田将暉がマスター兼オーナーをしている、おれの行きつけの店。
カウンター席にて並んでグラスを傾けていたのは、おれこと尾白四伯、カラス女こと安倍野京香、ドーベルマンカマの千祭史郎の三名。
亀松百貨店で初顔合わせがあった日の夜のことである。
来店した奇妙な取り合わせをひと目見て気を利かせてくれたマスター。表のかけ看板をクローズにして貸し切りにしてくれた。
こういうことをさらりとやってのける。さすがはおれが憧れ目標としている渋い男だ。もしもおれが女の身だったらとっくに抱かれてる。
周囲の目を気にする必要がなくなったところで、いっきにグラスの中のウイスキーを飲み干し、ダンっとカウンターを叩いたのはドーベルマンカマ。
「ちょっと尾白、いったいどうなってるのよ! なんであんたみたいな雑種とあのルクレツィア・ギアハートが……。キーッ、なんだか悔しい。ちゃんと説明しなさいっ!」
もの凄い剣幕におれはタジタジ。
「いや、説明も何もこっちが知りたいぐらいだ。っていうか、おれもそうだが何だよ、あのおっさんは? ひとの話をまるで聞きやがらねえ」
あのおっさんとは室温警部補のこと。
本日、亀松歳蔵氏からルクレツィア・ギアハートの滞在中の身辺警護依頼を正式に受けた我が尾白探偵事務所。
えっ、いやなら依頼を拒否すれば?
ムリムリ、絶対にムリだから!
相手は高月屈指の名士、そして今回の世界ハイヒール展は国内外の注目を集める一大イベントなもので、行政側も少なからずからんでいる。というかむしろ市をあげてのお祭り騒ぎ。とどのつまりは方々のえらい人が大なり小なり首を突っ込んでいるということ。
もしも今回の依頼を断ろうものならば、翌日にはきっと芥川にうつ伏せで浮かぶことになるだろう。
だというのに室温警部補ときたら「おまえ、ひょっとしてそのワンヒールやらとグルなんじゃねえのか? 共謀してイベントに潜り込むために」とか、いきなり難癖をつけてきては胸倉を掴んで「正直に白状しろ、いまならばまだ御上にも慈悲があるぞ」とかとんちんかんなことをのたまう始末。
なんていうか思い込みがやたらと激しい。後先考えずに突っ走る猪突猛進タイプ。そしていまだに「捜査の基本は足だ。何足も靴底をすり減らしてこその一人前の刑事」とか堂々と言って、若い連中から鬱陶しがられる上司の典型っぽい。
個人的には嫌いじゃない。むしろ親近感が湧く。だが、いざ対面してみるとやっぱりウゼぇ! あとオシャレなのにダサい不思議な直属の部下二人も、いっしょになっておれに突っかかってくる同類だった。
「あー、悪い。ほら、前に話したことがなかったか? 府警から左遷されてきたバカがいるって。あれがそうなんだ」
いつのまにやら三杯目をやっているカラス女が言いながら「けふ」と小さなゲップ。
それを聞き流しつつおれは「あっ」とあることを思い出す。
すっかり忘れていたが、呉服店「阿紫屋」のお嬢さんの出灰桔梗が「禍つ風」として市内で暴れ回っていた時のこと。
別件経由で事件に関与することになったおれは、市内某所に罠を張った。
そこに大勢の部下を引き連れて突っ込んできては、盛大に罠に引っかかったバカがいたのだが、あれって室温警部補だったのか……。
「府警のえらいさんも、うちの署の上の連中も『頼むから余計なことはしてくれるな』ってクギを刺しまくったんだけどねえ。そりゃあもうクドイぐらいにブスブスと。なのにあのおっさん、ちっとも効いちゃいねえ。ちくしょう。あんなののお守りを押しつけられるだなんて、この安倍野京香、一生の不覚! どうして私はあそこでグーを出してしまったんだ」
誰がネコの首ならぬおっさんの首に鈴役をやるか、散々に押しつけ合ったあげくに最後は公正にじゃんけんで決めた高月警察の面々。
うーん、どいつもこいつも阿呆ばかり。
おれは早くも先行きに垂れ込める暗雲にげんなりしつつ、マスターにおかわりを所望する。
「今夜は酔いたい気分なもんで、次はちょっと強めのお酒で」
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