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368 男たちのエアホッケー
しおりを挟むしなびた温泉といえば卓球。
湯治の合間に、浴衣の裾をぺろりとしながら小さな白球を真っ赤なラケット片手に追いかける。
キャッキャウフフとはしゃぐうちに出会う縁もあれば、結ばれる男女がいたり、壊れる人間関係があったり……。
数多のドラマを産み出したであろう温泉卓球。
だがしかし、高月は摂津の湯にそんなシロモノはない。
まず若いカップルが寄りつかない。地方の国道沿いにある蔦まみれのラブホテルの廃墟もかくやという古風な外観ゆえに。
好んでやって来るのは地元の者か温泉マニアぐらい。あとはおれのように有名な温泉地に出かける余裕が心にもサイフにもないしみったればかり。集団よりも一人客の方が圧倒的に多い。
だから「あんなものは邪魔になるだけだ」と言い切ったのは摂津の湯のご主人。
そのくせエアホッケーは置いてあったりする。
「似たようなもんじゃねえか、なんでだよっ!」
湯治客の誰かがツッコんだらご主人はこう胸を張る。
「否っ! 卓球は素人と玄人とでは明確な差がでる。足運びが玄人だとキュッキュッと床が鳴る。ましてや下手なダンスよりもよほど激しい運動量となり、なおかつ膝関節にもキツイ。あと球の回転がよくわからん。スピンがとにかくややこしい。その点、このエアホッケーであれば女子どもからお年寄りまでみんな楽しめる。それに時間制限で料金が設定できるから効率よく稼げる」
いろいろもっともらしい口上を述べたが、最後の部分が本音であろう。
あと若い頃に卓球でいやな目に合ったことがあるのかもしれない。
◇
カンッ!
おれの攻撃。
「くたばれ!」
マレット(エアホッケーのラケット)より鋭い打撃音が鳴り、はじかれたパック(エアホッケーの円盤)が競技テーブル上を疾走する。
カンッと壁面に一度当たって進路変更。パックの軌道がくの字に折れ曲がり、相手ゴールへと向かう。
これを千祭のマレットがガード。
防ぐのと同時に反撃へと転じる。
「あんたこそくたばれっ!」
いい歳をした男二人が向かい合ってのエアホッケー。
負けた方がビールとソフトクリームを奢ることになっている。
酒と甘い物をいっしょにやりだしたら本物の呑んべえ。
とはどこかの誰かが言っていたような気がする。意外かもしれないがおっさんはソフトクリームとかが大好き。ごついトラックの運ちゃんとかも、よく高速道路のサービスエリアでぺろぺろしている。居酒屋での会合の締めにパフェやらアイスを注文する野郎も案外多い。
勝利の美酒と甘味をゲットすべく、おれと千祭は帯がほどけて浴衣の前がはだけるのも気にせず、「おらぁっ!」と気合一閃マレットを振るう。
「くらえっ、必殺、ダブルアタック!」
「なんの、お返しよ。シャープエッジクライマックス!」
「やるな、ならばタイムコントロールで仕切り直しだ」
「甘い、私のグレートウォールは越えさせない」
ときに壁面を利用し、ときに直接ゴールを狙い、ときにマレットでパックを抑えてリズムを変える。
ちなみにダブルアタックとは、アルファベットのWの文字の軌道を描くようにパックを放つ技。シャープエッジクライマックスはド直球攻撃、タイムコントロールはマレットでガンっとパックを押しつぶし強引に試合の流れを止めること。そしてグレートウォールは自陣ゴール前にて左右にしゅばしゅば素早くマレットを動かすガード技。
互いに秘技を出し尽くし、死力を尽くす。
なかにはその場のノリで思いついたモノも多分に含まれていたが、細かいことは気にしない。
白熱する勝負。
一進一退の攻防。
たまさか遊技場をのぞきにきたどこぞのおばちゃんが、おれたちのあられもない格好を目にして「きゃあ」と顔を手で覆うも、指の間からしっかり観察していようとも、おれたちは止まらない。
じきにプレイ時間十五分に達しようとしている。
残りはあと一分を切った。
時間がくれば台から吐き出されるエアーがぴたりと止まり、強制終了となる。
エアーが止まってもある程度はパックが滑るので遊び続けることは可能だが、おれたちは大人なのでそんな中坊みたいなマネはしない。
現時点での得点は双方ともに十九点。この分では二十点目を取った方が勝ちとなりそうだ。
「どうやらこれがラストの攻撃になりそうだな。いくぞ! 最終奥義、影分身の術」
おれがパックを勢いよく放ったとたんに、もうひとつパックがテーブル上に出現する。
「なんですって、そんなバカなっ!」
驚愕する千祭。
だが誤解なきよう。べつにインチキなんぞはしていない。そもそもこのエアホッケーの台はパックをひとつずつしか吐き出さない仕様。
なのに増えたのはなぜか?
答えは、ひとつはニセモノだということ。
正規のパックの他にテーブル上を暴れていたのはおれが放った自身のマレット。
みずから武器を手放し囮とする捨て身技。
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ……。
壁面にあたり激しくジグザグに動きながら相手ゴールへと進むパック。
パックの動きを目で追うだけでは間に合わない。反射する軌道をある程度予測して対処する必要がある。
刹那の見極めが必須。
ほんの一瞬の判断ミスが命取り。
その「ほんの」部分をおれが強引にかき乱す。
いきなり二つに増えた観測対象、千祭の目が泳いで滑る。分散される注意力、視線、生じる迷い、イラ立ち、戸惑い。
二兎追う者は一兎も得ず。
さぁ、どうする? どう出る? どう動く千祭?
おれのラストアタック。
これを受けて立つ千祭。
「しょせんは二択。ええい、ままよ」
よもやの「天運にまかせる」という一手。
そこに迷いは微塵もない。
カッッコーォォォォォオン……。
ゴールの余韻が響き渡る中、ゲーム終了を告げるブザーが鳴る。
決まったのは千祭のカウンター。やつは賭けに勝った。なんという、ここ一番の引き。これがいくつもの事業を手がけ、成功させている男の強さか。
ガックシ膝をつく敗者と雄叫びをあげる勝者。
「さてと、いい汗をかいたことだし、もうひとっ風呂浴びるとするか」
「……そうね」
ゲームが終わればノーサイド。
それが紳士のマナー。
おれと千祭は遊技場をあとにして浴場へと向かう。
するとロビーに置いてある大画面テレビにてニュース映像が流れていた。
『本日未明に滋賀の瀬田の唐橋付近で発生した多重事故の続報です。どうやら横転したトラックの積み荷の一部が川に落下した模様。なおコンテナの中身は運搬中の大型の淡水魚類らしく……』
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