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366 熱風魔人四千形
しおりを挟むせっかく摂津の湯にきたというのに肝心の温泉には浸からず。
サウナに入り浸り、あげくのはてにはドーベルマンカマこと千祭史郎と我慢比べとしゃれ込むおれこと尾白四伯。
五分経ち、十分経ち、十五分が経った。
しかし双方譲らず。
「まだまだ」
「なによこのくらい、ふんっ」
ベンチにどっかと腰をおろして腕組み、おれと千祭は不動を貫く。
するとそんなおれたちに感化されたのか、この我慢比べに無言のまま参加する男たちもちらほら出始める。
はっきり言って不毛な戦いだ。
この勝負の果てに栄光なんぞはありやしない。
あるのはただの自己満足だけ。
それでも男たちは熱と汗にまみれて、ひたすら耐え忍ぶ。
二十分が経ち、ついに三十分へと差し掛かったとき、ソイツはあらわれた。
「やってるな、この愛すべきサウナ野郎どもめ」
つるりとしたハゲ頭に豊かなアゴひげ。
地獄に落ちたサンタクロースのような容姿のごつい老爺が室内にてがんばる男どもをギョロリと見まわしてから、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
するとここの常連らしき客がカッと目を見開き、老爺をガン見しながらぽつり。
「熱風魔人四千形……」
熱したサウナストーンに水をぶっかけて、蒸気を大量発生させたのちに、タオルでバサバサ仰ぐサービスを担う者。これをアウフグースもしくはロウリュという。
アウフグースの発生させる熱風は、炎熱地獄の風のごとし。
並みいる屈強なサウナ戦士たちを一撃ノックアウトし、敗走せしめる破壊力と熱量を誇る。
それだけでも充分に脅威なのだが、気になるのが老爺の異名。
熱風魔人というのはなんとなく理解できるが、問題は四千形である。なんのこっちゃい?
馴染みのない単語におれと千祭が戸惑っていると、常連客がこっそり教えてくれた。
「蒸気を自在に操ることから人呼んで熱風魔人。だがそれだけじゃない。あの御方の発する熱量は超ド級なんだ。あまりの激烈、猛烈ぶりから、世界最強の蒸気機関車ユニオン・パシフィック鉄道四千形蒸気機関車になぞらえられている」
何千トンもの重たい荷を運んでは山脈を越えて、シュッシュッポッポッ。
ビッグボーイとの愛称でも呼ばれているモンスター機関車。そんなシロモノからあだ名を拝借しているアウフグース。
ちなみに本名は佐門清というそうな。
どこからともなく男たちの戦いの気配を察して、いざ降臨。
◇
柄杓二刀流にてびしゃっとサウナストーンに水をかける熱風魔人四千形。
たちまち視界を埋め尽くすほどの蒸気が室内に満ちる。
白い渦が巻き、風がうねる。
モヤの彼方にゆらめくのは大判のタオル。
熱風魔人四千形がばさり、ばさり。優雅にして華麗。その動きはマタドールのマントさばきにも匹敵するであろう。
「なんだ、これは? 熱気が視覚化されていやがる」
「熱いけど、ちょっぴりロマンチック、でも熱いけど」
おれと千祭がぽかんとまぬけ面にて眺めていたら、近くにいた常連が叫ぶ。
「ばか、すぐに目と口を閉じろ。熱波で脳みそと肺の奥が焼かれちまうぞ!」
これを聞いたとき、おれたち二人はともに「なにを大袈裟な」とへらへら小馬鹿にしたものである。
だがそれがけっして誇張なんぞではなかったことを直後に身をもって思い知る。
「用意と覚悟はいいか? サウナ野郎ども! ゆくぞ、気合いを入れやがれっ! 波ぁーっ」
ドンっと正面からぶつかってきたのは熱気の壁。
上下左右どこにも逃げ場なし。
問答無用で押しつぶされる。
「く、苦しい、息ができない」
「うぎゃあ、何よこれ」
おれと千祭はあまりのつらさにうつむいて苦しみから逃れようとする。
だがしかし、そこに襲いかかってきたのが床を這うかのごとくスルスル近寄っていた別の熱の流れ。
高温の上昇気流が天を目指して舞い上がるドラゴンとなって獲物に喰らいつく。
閉じたまぶたが意味をなさない。目の奥が、目ん玉の裏側が痛い。
ちっとも息ができない。懸命に口を動かすも、入ってくるのは熱ばかり。
鼻の奥が、ノドの奥が焼ける。胸が、胸の奥も熱い。心臓がじりじり丸焼きにされているかのような感覚。血がぐつぐつと沸く。
身が焦がされる。耳から染み込んでくる熱が頭の中をぐるぐる周回し、回るほどに熱量が増していく。
ともすれば飛びそうになる意識。
それでもおれはどうにか耐えた。千祭も放心状態ながらもからくも試練を乗り切る。
供に死線をくぐり抜けた戦友だらかというわけではないが、おれたちの間に奇妙な連帯感が生まれようとしていた。それは同室していた他のサウナ野郎たちもいっしょ。なるどほ、これがサウナの醍醐味なのか。
なんぞとおれがほくそ笑みかけたとき、熱風魔人四千形が恐ろしいことを口走る。
「では肩慣らしはこのぐらいにして、次はちょいと本気でいくぞ」
なん……だと?
衝撃の告白を受けてぐらつくおれの心。
そこに横殴りの熱風の一撃がガツンときた。
先のものを熱の壁によるビンタとすれば、これは熱の拳。
的確に急所を狙い、えぐり、打ち抜く。
左右のワンツーフックにストレート、ボディ、そしてうつむいたところにスマッシュ気味の大振りアッパー。
そしておれたちは燃え尽きた。
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