おじろよんぱく、何者?

月芝

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285 イノブタの野望・夢幻

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 嗚咽が零れそうになるのを懸命にこらえている富貴さん。
 仲間たちに担がれて女王の遺骸が静々と運ばれていく。
 女王の葬列が遠ざかってゆく。
 あわせて潮が引くように大勢のイノブタたちも姿を消した。

 見送りながらおれはタバコに火をつける。
 ゆらりと天へと昇る白い煙。
 そいつを焼香がわりの手向けとし、冥福を祈る。

「えーと、アレってばやっぱりわたしのせいだよ、ねえ?」

 いまさらながらに己の仕出かした所業におずおずしている芽衣。
 おれはそんなタヌキ娘の黒髪おかっぱ頭をわしゃわしゃ。乱雑に撫でては「気にすんな。どのみち速いか遅いかのちがいでしかなかった。むしろ娘や仲間たちに看取られて逝けたんだから、暴君の最期としちゃあ上出来な部類だろうよ」と慰めてやる。

 もしも岩上神社での戦闘を制し、猟友会のメンバーたちを血祭りにあげたところで、次はない。
 あとには人間たちによる苛烈な報復、無残なイノブタ大虐殺が待っていただけのこと。
 それにこれだけの騒動を引き起こした首謀者なのだから、どう転んだところで土鍋牡丹が生き残る目はなかった。
 彼女自身にもそのことはわかっていたはず。
 それでも立たねばならぬ理由があったのだろうが、今となってはもう知るよしもない。
 あるいは先に冥府の住人となっているという彼女の夫や息子に起因するのかもしれないが、興味本位でわざわざほじくり返すのは故人に失礼というもの。
 うっかりつついて、あんなおっかない大イノブタが枕元に化けて出てきたらたまらない。

  ◇

 命拾いをした猟友会のメンバーたちは、そこいらでへたり込んだり、ぐったりうな垂れたり、大の字に寝そべったり。
 おもいおもいに生き残ったことをかみしめている。
 うちの一人がおれに近づいてくる。
 最後まで勇ましかったあの女猟師だ。
 目の前にて彼女がおもむろに帽子を脱ぐ。
 とたんに結ってあった長い黒髪がほどけてばさりと垂れた。
 なにやら見覚えのある容姿。

「……あれ? ひょっとしてキミはクリーニング屋の血染めのワンピースの!」
「ええ、やっぱりあのときの人だったのね。私は新島八重子(にいじまやえこ)。ご覧のとおり、ちゃきちゃきの狩猟ガールよ」

 差し出された手をとり、おれもご挨拶。そのときに「しがない街の探偵さ」と自己紹介をしたら、ずいぶん柳眉を寄せてものすごく胡乱そうな顔をされた。
 あー、それもそうか。なにせ目の前で派手なイリュージョンをやらかしたからな。

 猟友会という組織と動物界とのつき合いは古い。
 ゆえに彼らは化け術を使える動物たちが、人間の街に混じって暮らしていることを認知している。
 とはいえ所属メンバーの全員が知っているわけじゃない。
 いらぬ騒ぎを起こさぬためにも、組織内にてある程度の情報統制が為されている。
 彼女の微妙な反応からして、新島八重子は腕前こそは認められているものの、情報を与えられるまでには至っていないらしい。
 うーん。これならばいっそのこと「じつは知る人ぞ知る。世界をまたにかけて活躍しているマジシャン」とでも名乗ればよかったか。
 後悔しているおれを新島八重子はしげしげ興味深げに見つめてくる。
 が、じきにニコリと魅惑的な笑みを浮かべた。

「まっ、なんにしても助かったことだし。細かいことはいいわ。それよりも一本いいかしら?」

 乞われるままにタバコの箱を与えると、慣れた手つきで一本抜き取りくわえる彼女。いきなり顔を近づけてきて長い髪をかきあげ、おれのタバコから直に火を移す。
 近い、近い、近い。
 不意打ちである。距離を詰められておれはドキリとさせられる。おっさんドギマギ。
 そんなおれにジト目を向けてくる芽衣。

「なんだよ。言いたいことがあるんならハッキリ言えよ」
「べっつにー」

 タヌキ娘はプイっとそっぽを向いた。

  ◇

 おれと新島八重子。
 二人してしばらく無言のままタバコの煙を楽しんでいると、彼女がぽつぽつ口を開く。

「尾白さんはさぁ、『山怪』って知ってる? 文字通りの意味で、山で体験した不思議なことや、見かけた奇妙なことなんだけど。狩猟小屋で他の猟師らといっしょになったら、夜にはたいていこれの座談会になるんだよねえ」

 自分の庭のようによく見知った場所なのに、いくら歩いてもぐるぐるぐる、同じところを彷徨うことになる話。
 霧の向こうから「おーい、おーい」と呼ぶ声がする。うっかり誘われたら危うく谷底に転落しそうになった話。
 杉林を分け入っていたら天から「ははははは」と豪快な笑い声が降ってくる話。
 どこからともなく石礫がぽんぽん飛んでくる話。
 たしかに仕留めたはずなのに、行ってみたら獲物がどこにもいなかった話。
 焚き火にて暖をとっていると、いつの間にやら影がうねうね奇妙な動きをしていた話。
 山深いところにある青沼にてありえないほどの大蛇を見かけた話。
 などなど……。

 指折り数えながら山怪について語る新島八重子。
 どうしていきなりそんな話を始めたのかというと、彼女は自分なりに今回の不可解な騒動についてココロの折り合いをつけるため。

「宇宙にはまだまだ手が届かない。海の底だってぜんぜんさ。もっとも身近な山々ですらもがわからないことだらけ。私の爺さん、その筋では有名なマタギなんだけど、そんな爺さんがいつも口を酸っぱくして言うんだよ。『うぬぼれるな、山を知った気になるな。自分のこともよくわかっちゃいない人間風情が、かんちがいをしたってロクなことがない』ってね。まったく、今日は本当にその通りだと思い知ったよ。私は本当にまだまだだ……」

 祖父の教えを戒めとし、本日の総括とした女猟師。
 山の不思議は不思議として受け流しあえて追求しない。すべてをただあるがままに。
 その姿勢はこちらとしてはありがたい。
 しかし今回の騒動、結果的に彼女を救うことになったが、このことが近い将来、動物界にとって吉と出るか凶と出るか。
 もしかしたらおれや土鍋牡丹は、知らず知らずのうちに最強の女猟師の誕生に手を貸していたのかもしれない。

  ◇

 女王倒れるの報は、瞬く間に島内を駆け巡る。
 すると各地で暴れていたイノブタたちはただちに撤収し、何処かへと消えてしまった。
 これを機に淡路島イノブタ問題は軽減する。
 実際のところ、騒乱のときにけっこうな数が猟友会の手により間引かれた。当面は安心だろうとの専門家の見解が後日地方紙に掲載された。
 なお岩上神社の悲劇もまた同紙にて報じられるも、こちらは単なる落石事故として処理される。
 どうやら葵のばあさんが裏から手を回したらしい。えらい人たちにとっても人間対動物の争いなどという真実は不都合。
 かくしてすべては夢幻となり、朝露のごとく儚く消えた。
 だが終わりではない。沸騰している鍋にいくらフタをしたとて、いずれまた吹きこぼれるのだから。


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