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178 探偵事務所、起縁のこと
しおりを挟む今日は事務所の電話が鳴ることもなく平和だった。
そろそろ穏やかな一日が終わろうとしている。
差し込む夕陽がキツイ。
すっかりオレンジ色に染まる室内。
陰影が濃い。
おれは目を細めながら窓に近づき、ブラインドをおろす。
たちまち薄暗くなる視界。
おや、今度は暗くなり過ぎたか。これでは夕刊が読めない。
だから部屋の明かりをつけようと玄関ドアの脇にあるスイッチへ近づいたところで、バタンと扉が勢いよく開かれる。かといってカラス女が蹴破るときほどではない。あくまで常識の範囲内での勢い。
誰かとおもえば助手の芽衣であった。
「なんだ、女子限定のお茶会とやらはもうお開きになったのか。で、お土産のスイーツは?」
「ええ、さっき終わりましたよ。あと残念ながらお土産はありません。スイーツ、とっても美味しかったです。っと、そんなことよりも四伯おじさん」
つかつか詰め寄ってきた芽衣がおれをじっと見上げる。
「初代助手の、伽草奏さんのことを教えて下さい」
タヌキ娘からいきなりかつての相棒の名が飛び出したもので、おれはびっくり。危うくくわえていたタバコを落としそうになった。
「はぁ、カナデのこと? どこで聞きつけたのか知らんが、また古い話を拾ってきたものだなぁ」
しばらく口にしていない女の名前。発したひょうしにタバコの灰が落ちそうになり、おれはあわてて灰皿へと手をのばす。
タバコの灰を処理するかたわら芽衣の方をチラと見れば、鼻の穴をぷくぷくさせながら「話を聞くまでは逃がさない」との態度がありあり。
おれは内心で深くタメ息をつく。誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、いらぬことをしてくれたものである。おかげで静かな黄昏時が台無しだ。
「うーん、カナデのことを話せと言われてもなぁ。ちょいと口やかましいのは玉にきずだが、快活でいい子だったよ。この事務所の旗揚げが成功したのは彼女の尽力が大きい。とても感謝している」
◇
おれこと尾白四伯が探偵業についたのは、芽衣の爺さま、おれの化け術の師匠でもある先代の第二十八代目芝右衛門、洲本一成が元凶。
人は彼を伝説の勇者と呼ぶ。なにせあの蒼雷との異名を持ち恐れられた鬼タヌキ・葵を嫁にした男だからだ。
人徳のある豪放磊落な御仁ながらも、散歩に出かけるたびに何かを拾ってくる悪癖持ち。そのせいで家にはわりとモノがあふれていた。
そしておれも彼に拾われたモノのうちの一つである。
「変装の名人といえば探偵か怪盗だろう。だが世間さまに迷惑をかけるのはいかん。だから尾白よ、化け術が得意なおまえは探偵でもやればよかろう」
病床にて余命いくばくもない状況下、ジジイが発した世迷言。
すべてはそこからはじまった。
妙ちきりんなことを言い出したと思ったら、布団の中にてモゾモゾしつつ、てきぱきとあちこちに連絡を入れ、あれよあれよというまにお膳立てを整えてしまう。
おれは半ば強制的に探偵に仕立てられた。
まぁ、結果的にはこの商売が性に合っていたらしく、わりと気に入っている。
だからとて我が師に慧眼があったなんぞとは微塵も信じちゃいない。
なにせジジイが拾ってきた品は九分九厘ガラクタばかりであったのだから。
彼の死後、故人を偲ぶでもなく「ようやくせいせいするわ」と容赦なく遺品を処分する葵ばあさんの無双っぷりときたらもう……。
かくしてトラック三台分ものガラクタといっしょに放出されたおれは、その足で高月の地へと渡り、現在に至る。
で、いざ尾白探偵事務所を開店してみたはいいものの、ここにきてようやく肝心なことを忘れていたことに気がついた。
「あっ、せっかくいろいろ化けられてもダメだ。操者がいないと意味ねえじゃん」
尾白探偵、変幻自在の化け術を駆使して華麗に大活躍。
という計画は早々に頓挫し、細々と探偵業をこなす日々。
しかし信用も実績も土地勘すらもない、しょぼくれ探偵にロクな依頼なんて舞い込むわけもなく、じり貧の時期がしばらく続く。
毎日、貰い物の食パンの耳をかじっていたら、惨状を見かねた花伝オーナーが「まったく宝の持ち腐れとはこのことだねえ。おっ、そうだ! とりあえず助手でも雇ったらどうだい?」とアドバイス。
「アルバイトを頼むにしたって、払うべきモノがない」
「それぐらいは用立ててやる。先代から頼まれていることだし、仕事が軌道に乗るまでは面倒をみてやるさ。で、こいつが肝だ。いいかい尾白、耳の穴をかっぽじってよーくお聞き……」
花伝オーナーよりごにょごにょ耳打ちされたのは、助手のアルバイトを募集するにあたって、ある文言をチラシの隅に掲載すること。
『成功報酬あり。依頼達成ごとに五割譲渡』
報酬三十万円の依頼をこなせば、十五万円のボーナス。
報酬百万円の依頼をこなせば、五十万円ものボーナスが!
がんばればがんばるほどにドーンと儲かる。
しかし半分も助手にもっていかれては、諸経費を差っ引いたら、手元にはたいして残らない。
それでも実績と信用を得るための先行投資とおもえば、けっして高いものではない。
と力説する花伝オーナー。
「昔から損して得とれって言うじゃないか。なぁに失敗したらしたで遠洋漁業の船を紹介してやるから安心しな」
「いや、それはちっとも安心できないんだけど……」
ぶっちゃけこんなうさん臭い文言に釣られてやってくるヤツがいるとは思わなかった。
しかし一人だけいた。
それが伽草奏である。
ジーンズにトレーナー姿。化粧っけは微々。見た目よりも機能性を重視する、勝ち気そうな女子大生。
雇用主としておれはいちおう面接っぽいものを行うも、カナデはきっぱり「志望動機は成功報酬です。五割は超魅力的」と言い切った。
「あー、ヘンに気を持たせたら悪いからあらかじめ言っておく。うちは新興の探偵事務所だから、依頼がひっきりなしに舞い込むようなところじゃないぞ。っていうか、ぶっちゃけ閑古鳥が鳴いている日の方が多い。だから」
と、おれの言葉はここでカナデに遮られた。
「閑古鳥なんてバンバン撃ち殺してしまえばいいんですよ。客はいくらでも転がっています。ようはマッチングの問題なんです。心配いりません。そっちは自分に任せて下さい」
それがなんら誇張でも見栄でもなく、真実であったことをおれはじきに知ることになる。
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