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159 裏千社
しおりを挟む出灰竜胆の一人娘、桔梗。
その才媛ぶりのウワサならばおれも知っている。
かといって面識はない。
というかそもそもの話、いいところのお嬢さんと得体の知れない場末の探偵とでは接点が存在しないのだ。
高月という同じ土地に暮らしているとはいえ、生活圏も行動する時間帯も動線もまるで異なる。そんな両者が街中にて偶然すれちがうことはあれども、互いを認識するような奇跡はまず起きない。そんなのはドラマか少女マンガの世界だけでのこと。
ではそんな桔梗お嬢さまが、どうして夜な夜な街へとくり出しては強者狩りに勤しんでいるのか?
母親である竜胆の見解はこうだ。
「まぁ、私にも覚えがありますから。ある程度、武術を収めるとどうしたって疼くものなのです。自分の武がいまどれほどなのか? 己の拳が、身につけた狐崑九尾羅刃拳がどれほど世間に通用するのか? などと考えてつい確認したくなるもの」
狐崑九尾羅刃拳。
古くからキツネたちに伝わる武術。まるで伝説の傾国の美姫、九尾のキツネのごとく、手が九本もあるような疾風怒涛な攻めが特徴。
トラ美こと孤斗羅美が遣う滅爛虎慄紅武爪術はパワー型の剛の拳。
タヌキ娘の芽衣が遣う狸是螺舞流武闘術は速さと強さを兼ね備えたバランス型の柔剛の拳。
一方で一切のかまえや防御を排除し、攻めの速度にのみ特化したのが狐崑九尾羅刃拳なのである。
出灰家では婦女子の嗜みとして茶道や華道やお琴を習わせるかたわら、祖母から母へ、母から娘へと代々伝授されているだけでなく、京の都は伏見にある道場にも定期的に通わせている。
「うちの桔梗は親の欲目を抜きにしても相当の才を持っているようです。だからでしょうか。余計に試してみたくなったのかもしれません。名刀を手にすれば斬れ味を試したくなるのが人情というもの。
もっともこの手の熱は麻疹みたいなものですから。放っておいてもじきに勝手に飽きて冷めるだろうと、経験上から様子見を決め込んでいたのですが」
そこに起こったのが昨夜のから騒ぎ。
個々の案件ならば笑って見過ごせたのだが、警察まで巻き込んでの大乱闘となれば話が少しばかりちがってくる。騒動がちょっと大きくなり過ぎてしまった。
そろそろ火消しをしないと収拾がつかなくなる。
「だから早急に手を打ちました。関係各所にはすでに根回し済みですし、警察への被害届もすぐに取り下げられるでしょう。あとは……」
「あとは? まだなにかあるのか」
「ええ、むしろこれが一番肝心なところです。いくら火消しをしたとて、根本となる火種を始末しないことには、ずっと燻り続けることになりますから」
「火種というと……、この場合は娘さんになるのかな?」
「ええ、私も当初はてっきりただの腕試しの類かと思っていたのですが」
単に強い者と戦いたい。自分の強さを確かめたい。
というだけではないらしい。なんら確証があるわけではないが、母親の勘がピコンとそう告げている。
柳眉を寄せて力説する出灰竜胆。
「そんなに気になるのなら直接本人に訊けばいいだろうに。それこそ血を分けた母娘なんだから」
おれが嘆息すると「やれやれ」と出灰竜胆から艶のあるタメ息を返された。「尾白さんはちっともわかっておられませんね。年頃の娘の気難しさを。プライベートに土足で踏み込んだら、たとえ敬愛する母親であろうともたちまち嫌われてしまうじゃありませんか」
自分で自分のことを「娘に敬愛されている母親」と豪語。すごい自信だ。
でもって話の着地点がまるで見えてこない。あれ? 気のせいかな、さっきから家族間の問題を延々と聞かされているだけのような……。
けれどもグチだけで「はい、おしまい」と解放されるわけもなく。
「そういう次第ですので、尾白さん。きちんと責任をとって下さいませ」
おれが流したニセ情報のせいで騒ぎが大きくなった。
そのせいでシレっと軟着陸させるつもりだったのが、強行着陸をするハメに。
余計なマネをしてくれた罰として嫌われ役をしろ、とのご無体をおっしゃる出灰竜胆。
とどのつまり「娘の本心を聞き出し、可能であれば対処しろ」ということ。
ちなみに断るという選択はない。これは強制ミッションである。
にしてもヒドイ話だ。自分が娘に嫌われたくないからって、汚れ仕事を探偵に押しつけるとは。いくらおっさんでも若い娘に嫌われるのは、けっこうつらいというのに。
まぁ、せめてもの救いは、依頼を達成すれば成功報酬を払ってもらえることぐらいか。
◇
出灰竜胆とのモーニング会合が終わったので、おれは駐車場へと戻る。
合流しカラス女のクルマにて自分の事務所まで送ってもらう道すがら。
「禍つ風の正体、そっちはいつ知らされたんだよ」
おれの言葉に安倍野京香は「昨夜だ」と素っ気ない。「何にせよ、伏見の裏千社が動いた以上、この件は手打ちだ。まったく、あの女狐め。娘かわいさでとんでもないカードを切りやがった」
裏千社。
京の都は伏見稲荷に居を構える組織。高位の稲荷や妖狐を上位に戴き、キツネどもを従えている。とはいっても支配しているのではなくて、加護を与えてかわいがっているといった側面が強い。眷属を守る互助会のようなもの。
ただし怒らせたら怖い。全国の稲荷とキツネどもが牙をむく。その影響力は津々浦々にまで浸透しており絶大。あっという間に干される。
「うちとしては街が静かになってくれさえすれば何でもかまわないが、四伯はとんだ貧乏くじを引いたみたいだな。せいぜい気張れよ」
カラス女が珍しく励ましてくれている。
それを聞き流しながら、おれは内心で頭を抱えていた。
乙女の胸のふくらみ。その奥にある秘密の扉の開け方なんて、おっさんは知らない!
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