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145 反抗期
しおりを挟む依頼人から事前に聞かされていた話では……。
誰もいないのに廊下で足音がしたり、黒い影が横切ったり、扉やら窓が開いたり閉まったり。イスなどの配置が変わる、ときにはひっくり返っていることもある。階段を降りているとうしろから突き落とされる。ただし残り数段ほどのところにてちょっとつまずく程度。
無人のトイレから「ジャーっ」という水を流す音。子どもの笑い声が聞こえることがある。いきなり部屋中のあちらこちらからドンドンと叩く音が一斉に鳴る。照明が勝手についたり消えたり。壁に大小無数の赤い手形が浮いたと思ったら、じきにスーッと消えて見えなくなる。
カーテンの裏に何者かが潜んでいるような気配がして、足の先が見えていたのにめくってみたら誰もいない。廊下の角を曲がるときに誰かとぶつかりそうになってあわてるも、誰もいない。急に扉が開かなくなって部屋に閉じ込められる。ときには屋敷全体がビリビリ震えることも。
あとは不意に生臭い腐臭がどこからともなく漂ってくる、などなど。
「テレビ局やオカルト雑誌に売り込んだらいい小遣い稼ぎになるかもしれんなぁ。うっかりしてたぜ。こんなことならビデオカメラを持ってくるんだった。そうだ! 芽衣のスマートフォンで撮影しようぜ」
ものの見事な幽霊屋敷っぷり。
おれが感心しつつ玄関の軒下でそんなことを口にするも、芽衣はいまいち乗り気ではなさそう。
「うーん、どうでしょう。それで迷惑な物見客が増えたら近隣からクレームが殺到して、たちまち京香さんが飛んできてボコられますよ、四伯おじさん、催涙弾はもうこりごりです」
息をするように蹴りを放ち、感情にまかせて銃を発砲し、催涙弾のピンを抜いては、善良な一般市民相手に使用をためらわない不良刑事。おれが知るかぎり良心と引き金がもっとも軽いカラス女。ヤツならばやりかねないと、おれもブルル。
これは割りに合わない。せこい小遣い稼ぎは断念するとしよう。
◇
黒ヤギの首を模したブロンズ製のドアノッカーがついた玄関扉は両開き仕様。
業務用のどでかい板チョコみたいな扉は、見た目よりも反応が軽やか。たいしてチカラを込めなくてもあっさり開く。うちの事務所よりもよっぽど立てつけがいい。
おれは開いた扉のところに敷地内で拾った石を置きストッパー代わりとする。万が一のための用心。逃走経路を確保しておくにこしたことはない。
なのに、おれと芽衣と車屋千鶴の三人が玄関ホールへと立ち入ったところで、背後の玄関扉が勝手にバタン。
はて? 突風でも吹いたのかな。
おれはふたたび扉を開けようとドアノブに手をのばす。
しかしノブを握ったとたんにビリビリ電気ショック。ジョークグッズの比ではない衝撃。
びっくりしたおれは「うぎゃ」とみっともない声をあげた。
「おー、痛ぇ。ちくしょうめ、電気ビリビリなんて聞いてねえぞ」
「これは……。話に聞いていたよりも怪奇現象が激しいです」
せいぜい悪質なイタズラ程度だったはず。探偵と助手が「変だな」と首をひねっていたら、そばにいた車屋千鶴が「あー、それはたぶん自分のせいかも」とぽつり。
捕食者があらわれれば、エサにされる側はピリピリしちゃうもの。タイガー姉妹を前にしたときのおれみたいに。
車屋千鶴は腕利きの陰陽師。怪奇案件のエキスパート。ゴーストバスターのような女。
この洋館に巣食っている何者かにとっては、かつてない強敵である。
そんな輩が乗り込んできたからには、迎える側とて気合いが入ろうというもの。
「ほら、その手のテレビ特番とかで演者らがそろってわざわざ心霊スポットにくり出すコーナーがあるでしょう? あのときに気分が悪くなったりする人がいますけど、あれって反抗期なんですよ、尾白さん」
「反抗期?」
「ええ、いっしょに行っている霊能者の方を警戒して、ふだんよりもハッスルしちゃうんです。『来るならきやがれ、やってやるぜぃ!』みたいな感じで」
えーと、それってつまり車屋千鶴がいるから、おれたちはいきなり閉じ込められたわけで。だとすればこれからもっと熱烈な歓迎を受けることになることも確定していると。
「これは申し訳のないことを。うっかり説明するのを忘れておりました」
しれっとそう言った車屋千鶴がにこり。
絶対にウソだ! この女、わざと黙っておいておれたちを巻き込みやがった。
なぁにが「二人より三人の方が仕事がはかどる」だよ。はかどるのは囮や肉の壁を手に入れたてめえだけであって、こっちは負担が激烈に増すばかり。
そのことには芽衣もすぐに気がつき、ツツツと寄ってきて小声で「四伯おじさん、どうします? いっそのこと壁を破って脱出しますか」とささやく。
しかしおれは首を横にふる。
「ダメだ。ヘタに家を傷つけたら修繕費を請求されちまう。こうなったらあの女の思惑にのるしかない。せいぜい上手く立ち回って元凶をとっとと取り除いてもらおう」
探偵と助手がひそひそ今後の方針を相談している一方で、玄関ホールにてキョロキョロしていた車屋千鶴。
進めるルートは三つ。
まるで舞台セットのような二階へと通じている階段。その階段の脇から一階奥へとのびている薄暗い廊下。玄関ホールを入って左側の壁にある扉。
その中から車屋千鶴が選んだのは階段。
「お掃除は上から下へというのが基本なんです。覚えておくといいですよ」
などと言いつつ彼女が腰のホルダーから取り出したのは特殊警棒。
ジャキンとのばした棒の表面には経文みたいなのがビッチリ印字されている。
これにおれと芽衣はそろって「えー」と不満を表明。
だって陰陽師だよ。「急急如律令」とか呪文を唱えつつ指で九字を切ったり、お札で「えいやっ!」とやっつけるじゃないの?
すると車屋千鶴が「いまどきはこんなものです。書くのが面倒で、すぐにくしゃくしゃになったり、濡れたらダメになる紙のお札を使う人なんて、ほとんどいませんよ」と警棒をブンブン。
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