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108 出灰竜胆(いずりはりんどう)
しおりを挟む「おい、尾白。ちょいとこいつを配達してきてくれ。それがすんだら、今日はもうあがっていいからな」
「へーい」
古書店「知恵の森」の店主、母玄福郎から渡されたのは一冊のぶ厚い本。
着物の柄について書かれた研究書にて、どこぞの大学のえらい先生の自費出版らしい。一般には出回っていない希少な品。
愛用のジャケットは羽織り、重たい本を脇に抱えておれは店を出た。
探偵であるはずの尾白四伯が、どうして古書店の小間使いのようなことをしているのか?
それは先の依頼でのウソがバレたからである。
あぁ、バレたのは怪本を解放したことじゃなくって、地震のせいで店内が荒れたって作り話の方ね。
あのあとしっかり片付けをしたこともあって、幸いなことに報酬が減じられることはなかった。壊した扉についても不問。けれどもそのかわりに時おり手伝いに駆り出されるようになる。
手伝いといったってジイさんが食事に行ってる間とか、所用で席を外している間の店番や、掃除とか細々としたことばかり。それとても微々ながらバイト代が出るもので、おれはしぶしぶ従っているという次第。
で、言われるままに配達先へと向かったわけだが……。
「うぅ、敷居が高い」
おっさん探偵が物怖じするほどの貫禄あるいかつい店構えを誇るのは、高月城北商店街にてもっとも古い歴史を誇る呉服店「阿紫屋」である。
本を届ける相手はここの女主人である出灰竜胆。
任侠映画に登場しそうな女傑にて、高月の商工会議所の会長をも兼任しているやり手。そのじつキツネの一門を従える御方でもある。
小股の切れあがったいい女ながらも、おれはちょっと苦手。
というわけで店先にてとっとと頼まれた品を渡して退散しようとしたのだが、なぜだか奥の座敷に通された。
◇
同じ着物でも身にまとう者によってこれほどの差がでるのか。
おれは内心でドキドキ。
目の前の浮世絵の美人画から飛び出したような、粋でいなせなキツネの姉御と比べていたのは、うちの雑居ビルのオーナーである化石タヌキである。
枯れ枝か鳥ガラみたいない細腕のくせしてバカチカラ。痛みが目立つ白髪、すっかり酒とタバコにやられたノド、しわくちゃの顔で葉巻をバフバフふかしている姿は、まさに安達ケ原の鬼婆のごとし。
でも……と、おれは目の前の出灰竜胆をちらり盗み見。
あっちの鬼婆とはギャンギャンやり合えるんだけど、こっちとはそんな気すらも起きないんだよなぁ。なんていうか超えようのない溝というか見えない壁みたいなのがあってピシャリ、どうにも近づこうという気になれない。
そんなことを考えつつ、ふるまわれた緑茶をすすり菓子をつまむ。
その間、出灰竜胆が何をしていたのかというと、おれが届けた本を膝の上に置いてページをぺらぺらめくっては流し読みしているばかり。
そろそろおれのしんぼうと正座をしていた足が限界に達しようとした頃。
パタンと本を閉じたキツネの姉御がようやく口を開く。
「じつは尾白さんにお頼みしたいことがありまして」
彼女が軽く手を打ち鳴らすと、音もなく開いたのは隣室へと通じる襖。
奥に飾られてあったのは一枚の着物。
荒磯と菊柄の艶やかな振袖。
ずいぶんと華がある。若い娘用か?
出灰竜胆はこの振袖の経歴を探って欲しいと言った。
とある伝手にてたまさか手に入れた品なれども、どうにもあまりいいウワサが聞こえてこない。
この手の商いをしていれば、ときおりそういったいわくつきの品と遭遇することもあるし、相応の対処法も心得てはいる。だからきちんと処理しようとした矢先のこと。
上得意の客がひと目でこれを気に入ってしまい、「ぜひとも譲ってほしい」と言ってきた。
先方が欲しいと言っている以上は、無下にも断れない。さりとて災いをもたらすような品をおめおめと譲ったとあっては「阿紫屋」の看板に傷がつく。
そこでこの振袖の経歴を辿って、ウワサが本当かどうかを調査してもらいたい。
とどのつまりは歴代の持ち主を当たれということ。
正式な依頼とあればうちとしては大歓迎だが、どうにも解せないのがどうしてわざわざこんな手間をかけておれを呼び出したのかということ。おそらくは母玄さんも一枚かんでいるのだろう。
「あぁ、そのことですか。うちが知恵の森のご店主にお願いしたんですよ。ほら、すぐ近所に千祭さんのところがあるでしょう。そこを差し置いてわざわざ駅向こうの探偵を頼ったとあっては、あまりいい気はしないでしょうから。それにこの手の仕事はそちらさま向きだと思ったもので」
千祭史郎は手広く商売をしているかたわらで、業界最大手である桜花探偵事務所の高月支店の支店長をもしている。
彼への配慮というのも本当だろうが、きっと桜花探偵事務所の看板を気づかってのこと。
どこでどう繋がっているのかがわからないのが複雑怪奇な商業の世界。用心するのにこしたことはないということ。
う~ん、こういうところも怖いんだよなぁ。
なんぞと考えつつ、おれは依頼を引き受けることにした。
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