おじろよんぱく、何者?

月芝

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093 冷静と情熱のはざま

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 芽衣から「やられた、四伯おじさん」との報せに、おれは飲みかけの缶コーヒーを盛大に噴きゲホゲホむせた。
 しかもハイヒールのつま先に仕込んでおいた発信機はしっかりはずされており、残された方に突っ込まれてあったという。
 くそっ、いくらなんでも早すぎる。よもやの宵の口の犯行。てっきり寝静まった頃合いを見計らって動くとにらんでいたのに。
 マンションを見張っているウインドサイズの連中に連絡を入れ確認するも、どこも異常ナシとのこと。そればかりか綾ちゃん先生たちが帰宅してから犯行が行われる間に、誰もマンションから出入りした者はいないという。
 おれは引き続きしっかり見張っておくように伝えてから、マンションへと向かった。

  ◇

 オートロックを開けてもらいマンション建物内へ。
 エレベーターを待つ間、おれは用意しておいた花粉症用のゴーグルに不織布マスクとウレタンマスクの二枚重ね、鼻にはテッシュを丸めてつめ、それから革手袋を着用。
 本当は防護服でも用意したかったのだが、あいにくと高月中央商店街では扱っている店がなかった。
 芝生綾の身には大古の忍びの血が流れている。そいつは動物を使役するチカラを有しており、感じやすいおれは影響をモロに受けてしまう。
 それに対抗するための重装備。
 どこまで効果があるかはわからない。だがやらないよりかはマシだろう。
 しかし我ながら不審人物丸出しだな。もしもマンションの住民に見咎められたら、まちがいなく通報されてしまう。
 だというのに、三階の廊下を歩いていたら二号室を前にして住民と遭遇してしまった。
 隣室の三号室のスチール製の扉がガチャリと開き、姿を見せたのはつっかけを履いた主婦。夕飯の準備をしていたら足りないモノがあったのでちょいと買い足しにといった雰囲気。
 げげっ! あわてたおれはオタオタ。不審ぶりに磨きをかける。
 当然ながら胡乱な視線を向けられるも、主婦はなぜだかすぐに独りごちて警戒を解いた。

「たいへんですわね花粉症。うちの人も朝夕の寒暖差でひどくなるからいつも苦労してるんですのよ。どうぞお大事に」

 見知らぬ主婦に誤解されたうえに同情までされた。
 おかげで助かったけど、知らなかった。花粉症で苦しんでいる人たちにとっては、このぐらいの重装備が当たり前なのか。本当にたいへんなんだな、花粉症って。

  ◇

 現場検証。
 とはいえ独身女性の部屋を隅から隅まで漁るわけにはいかない。
 っていうか、それ以前の問題だった。
 ムリムリムリ! こんなのぜったいにムリ!
 重装備にも関わらず部屋に一歩入っただけでクラっときた。
 なにせここは芝生綾の巣。もっともニオイが濃く染みつく場所という意味では、人間も動物も同じ。彼女が無意識に垂れ流している使役フェロモンとかがムンムン満ち充ち。
 玄関から廊下を抜けてリビング入り口まではどうにか到達できたが、そこが限界だった。
 ぐるぐる目が回る。頭の中に手を突っ込まれてかき回されている。かき氷機にかけられた氷のようにガリガリと自我が削られてゆく。
 とても立っていられず、おれは片膝をついた。
 芽衣に支えられなかったら倒れていたかもしれない。
 事情を知っているタエちゃんは気の毒そうな顔をし、まったく事情を知らないミワちゃんはおっさんが冷や汗ダラダラになってる意味がわからずキョトン。
 やさしい綾ちゃん先生が「尾白さん、だいじょうぶですか」と案じて声をかけてくれるが、その声自体がおれにとっては甘美な毒。
 ここはおれにとっては自我と理性の死地。
 けれども、そんなおれだからこそいち早くアレに気がついた。

 動物を惑わすフェロモンだらけの空間に小さな違和感があった。
 密室状態にもかかわらず、ほんのわずかながら清浄な空気の流れが発生している。
 彼女の魅力に溺れかけているおれにとっては、それはまさにすがりつきたい藁、あるいは天からのびてきたクモの糸のようなモノ。

「ぐっ、どこだ? どこからどこへ流れている?」

 苦しい中で懸命にかすかな痕跡を辿る。
 けっして気のせいなんかじゃない。たしかに見えない流れが存在している。
 視線をすばやく動かすうちに、おれが目を止めたのは寝室として使っている部屋の奥、壁に飾られてある姿見。

「あれは?」
「あの鏡ですか、あれは物件に備え付けのモノですけど」

 おれと綾ちゃん先生とのやり取りを聞いていた芽衣がすぐさま姿見を調べる。
 縁に手をかけ少し持ち上げただけで、簡単に外れた鏡。
 その向こうにあったのは……。

  ◇

 翌夕刻、尾白探偵事務所にて。
 来客用のソファーでふんぞり返り、不機嫌そうにタバコをふかしているのはカラス女。組んだ足をブラブラさせつつ。

「怪人と怪盗にそろってしてやられるとは情けねえ話だなぁ、おい」

 面目次第もなく、おれと芽衣はしゅんとうな垂れている。
 しかし言い訳が許されるのであれば、おれは声を大にして叫びたい。
 たかがスニーカーの中敷きを盗むためだけに光学迷彩なる超ハイテクを持ち出すバカと、ハイヒールの片方を盗むためだけにターゲットの隣室を借りあげてコンクリートの壁をぶち抜くバカ。
 超ド級のバカが二人もいると誰が予想しえたであろうか!
 そんなもの世界一のスーパーコンピューターでもお釈迦さまでも気づきやしねえよっ!

「どうやらあいつらはおれが考えていたよりも、遥かにスケールのデカい変態だったらしい」

 どこぞの女王の所有しているキラっキラな王冠とか、世界一の微笑を誇る超有名絵画とかもサクっと盗めるであろうスキルを持ちながら、そいつを全力で注ぐ対象があまりにもニッチでミニマム。
 冷静と情熱のはざまで蠢く変態たちに、すっかりしてやられた尾白探偵事務所は意気消沈。そしてカラス女はとってもおかんむり。
 かくして変態二番勝負は怪人インソールと怪盗ワンヒールに軍配があがり、うちのボロ負けに終わった。
 ポイント的には三者揃い踏みにて一勝一敗?
 なのかどうかはよくわからないけど、とりあえず勝負の行方は最終戦へと。


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