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092 消えたルージュ
しおりを挟む怪人インソールは芽衣たちを出し抜き、まんまと犯行を成功させた。
こうなれば怪盗ワンヒールの方だけでも阻止しないと……。
ターゲットに選ばれた不運な美人教師・芝生綾は、市内某所にあるこじゃれたオートロックのマンションに一人住まい。
おれは感受性が豊かゆえに、綾ちゃん先生の能力に当てられすぐメロメロになるから身辺には近寄れない。もっともたとえ平気だとて独身女性の部屋にあがり込むわけにもいかないので、室内の方は引き続き芽衣たちにまかせる。
女同士で楽しげにキャッキャうふふしている裏で、こっちはマンションの周辺を警戒するつもり。
しかし一人では張り込みにも限界があるので、カラス女に「手が足りない。応援をよこしてくれ」と頼んだら「警官は無理だが、かわりの連中を向かわせる」との返事。
今回の件は表沙汰に出来ないので、それもしようがない。
で、誰が来るのかと待っていたら……。
「ちーっす、安倍野の姉御からの指示でやってきました」
ぞろぞろ姿を見せたのは、だぼだぼのシャツを着たダラしない格好をしている若い連中。
高月の郊外にてファイトクラブを運営している半グレ集団「ウインドサイズ」のガキども。
以前にとある事件でからむことがあって、なんやかやあっていまはカラス女の庇護下にて、健全? に賭場を運営している彼ら。ちなみにその正体はイタチの集団である。
ネコの手も借りたいとは言ったが、よもやイタチの手を借りることになろうとは……。
人選ならぬ動物選にいささか不安は覚えたものの、背に腹はかえられぬ。
おれはガキどもをマンション周辺に配置。異変があったらすぐに報せるようにと頼んでおく。
◇
日がとっぷりと暮れた。
じきに芝生綾が、洲本芽衣、タエちゃんこと白妙幸、ミワちゃんこと山崎美和子をともなって帰宅。
若い女教師と教え子の女生徒たちが戯れる姿は尊い。見ていて心が和む景色。眼福眼福。
一方でこっちときたら、ヤンキー座りでイキっているかわいげのないクソガキどもと、こそこそ隠れんぼ。
暴落する就労意欲。無性に一杯ひっかけたい気分だ。
おかげでテンションを維持するのがたいへんである。
綾ちゃん先生の住んでいるマンションは七階建て。各階に十戸が横並びというシンプルな造り。
彼女の部屋は三階の二号室。
おれが陣取っていたのは、マンション全体を正面に望める場所。
ここからだと帰宅した住人、もしくは出かける住人がいたら、ドアの開閉が丸見えなのですぐにわかる。もちろん綾ちゃん先生の部屋に近づく輩も一目瞭然。
たったいまエレベーターから降りた彼女たちが、廊下を渡って自宅へと入っていくのを視認した。
とたんに愛用のパカパカガラケーがふるえる。
芽衣からの報告。「室内は異常なし」とのこと。
おれはマンションから目を離すことなく「引き続き警護を頼む」と伝え通話を切った。
◇
尾白たちが外で目を光らせている一方。
綾ちゃん先生の自宅にあがり込んだ芽衣たちは、興味深々にてそこいらを勝手に物色。引き出しやら棚を容赦なく開けてまわる狼藉にて、女教師をおおいに困らせる。
「なんだよ、男が写ってるのが一枚もねえぞ」
棚の上や壁に飾られてある写真立てをしげしげ眺めて「つまらん」とボヤくのは金髪リーゼントのタエちゃん。
「ダメだ。洗面所にも異常なし。男物の歯ブラシとか、整髪料の類は一切なかったよ」
台の下まで確かめたけど、不審物は見当たらないと報告したのはミワちゃん。
「うーん、こっちも収穫なし」
部屋の隅に置かれていたクズ入れをがさごそしていた芽衣。ゴミ漁りは探偵業務の基本である。
元気な十代の女子高生たち三人組に振りまわされ、二十代の女教師がすっかりげんなり。
「もうっ、あなたたちいい加減にしなさい。はぁ、とりあえずお茶でも淹れるからおとなしく座っていて……って、あら?」
綾ちゃん先生がいつも使っている電気ポット。すぐにお湯が沸いて便利なのだが、単身者用にて扱えるお湯の量が少ない。
四人でお茶をするには少々心許ないので、キッチンのケトルを使うことにする。
準備をしてケトルを火にかけたところで、遅まきながら芽衣が「あっ、そういえば例のハイヒールはどこ?」とたずねた。
食器棚から人数分のカップを用意していた綾ちゃん先生。「それなら、箱ごとテレビ台の横に」
箱をリビングのローテーブルの上に置いた芽衣。
タエちゃんとミワちゃんら三人で囲み、さっそく中身をチェックする。
艶やかなルージュのハイヒール。怪盗を名乗る変態紳士からの贈り物。
七センチ以上もの高さがある鋭いカカトをしげしげ眺めつつ、タエちゃんが「こんなの履いてよく歩けるもんだなぁ」と不思議そうにつぶやけば、ミワちゃんが「ちょっと憧れるけど、自分には似合わないかなぁ。それに足首をグキっと捻挫しそうでこわい」とタメ息。
「そういえば綾ちゃんはいつもパンプスだよね」
芽衣の言葉に「そりゃそうよ。教師はハードな立ち仕事だもの」と綾ちゃん先生。トレイにティーセットを載せて運んでくる。
カチャカチャふらふら、ちょっと危なっかしい手つき。
だからタエちゃんが手伝おうと腰を浮かせたところで「ピューィ」と景気よく鳴ったのは笛吹ケトル。
自分で火にかけておいて背後の音にビクリとした綾ちゃん先生。
そのせいで手元が暴れてトレイがいっそう激しくカチャカチャ。あわててタエちゃんが駆けつけたので取り落とすことはなかったが、ちょっと危なかった。
当人のみならず室内にいた全員が「ふぅ」と胸を撫で下ろす。
で、ケトルの火を消してやれやれとなったところで、「あぁーっ!」と叫んだのはミワちゃん。
ローテーブルの上に置いてあった箱。
その中にきちんと左右そろっていたルージュのハイヒール。
右の片方だけが忽然と失せていた。
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