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038 愛は梅干し
しおりを挟むチュリン!
小鳥が鋭くさえずるような音。
おれが化けるスーパーカーが猛スピードにて坂道へと突入。
車体の先端下部がわずかにアスファルトをこすった。
被害は軽微、おれはギリギリのところでどうにかこらえることに成功する。
けれどもホッとしている暇はない。
「右の車線をとれ」
ハンドルを握る安倍野京香におれは告げる。
意図を察した彼女がうなづき、すみやかに位置取り。
現在、おれたちは左隣に黒鉄の幽霊を置き、ほぼ横並びにて同順三位。
一位はシルバーのクルマ。ボンネットにデカい穴を一つ開けたタイプ。
これと並び僅差にて続いているのはワインレッドのやつ。前部、鼻づらが長い。
二台ともいったい腹の中にどんなじゃじゃ馬を飼っているのやら。
突入した勢いのままに坂道をいっきに駆けあがる四台。
が、この中でほんのわずかに遅れたクルマがあった。
おれが化けているヒストリックカーだ。往年の名車は、それゆえに車体がちと重い。
勾配を進むのに体重が重たい方がより足回りに負担がかかるのは当然のこと。
対して、他の三台は現代風の造りにて身軽なもの。
だが、それでいい。
なぜならこの竜骨には気まぐれにイジワルな風が吹くから。
坂と高架が連結するところ、その真下を通る芥川。
かつて氾濫しまくりにて、暴れ竜と呼ばれ下流域の農民たちを散々に苦しめた芥川だが、護岸工事にてがっちり固められてからはおとなしいもの。
だが、いまだその健在ぶりをアピールするかのごとく、ときおり水面に吹く風の気性は荒く、自分の頭上を通りかかる者たちを威嚇する。
轟っ!
暴れ竜が吠える。
直後に車体左側面を風が平手打ち。
殴られたのは先頭のシルバー。
わずかながらに車体が右へと流される。流れたとてほんの数センチ程度。
ふつうの状態であれば、少しばかりヒヤっとするだけのこと。
けれどもいまはふつうじゃない。
速度二百キロオーバーの領域。
ほんのささいなことが大事故へとつながる世界。
ずっと前方だけに集中していたところに、横からの不意の刺激。
その瞬間、ほんのわずかながらに集中力が途切れた。
ゾーンに入っていた意識が現実へと引き戻される。
とたんに狭まっていた視界が開けて明るくなった。
そこへ楔を打ち込むかのようにして割って入ってきたのは危機感。
芽生えた恐れが「あぶない」と叫ぶ。それがハンドル操作を狂わせる。
風で流された車体を戻そうとするも、自分で考えていたよりも強くハンドルを切ってしまう。
速度超過下でのこの行動。車体後部が左右にブレた。
たまらないのはすぐ側でそんな動きをされたワインレッドのクルマ。
接触を避けるために、あわてて右へ距離をとる。
刹那、シルバーとワインレッドの挙動が重なる。
その動きはさながら門が開くのに似ていた。
「ここだっ!」「いまだっ!」
安倍野京香とおれが同時に叫ぶ。
半開きとなった門へと頭を突っ込み、強引にこじ開け、ついにはこれを突き破る。
◇
トップに躍り出たおれたち。
すぐうしろには黒鉄の幽霊。
ようやく一騎討ちの状況になれたものの、これは……。
「野郎、いやなところに張りつきやがる」
バックミラーをチラ見したカラス女が軽く舌打ち。
風よけに使われるばかりか、発生した空気の渦、スリップストリームに入られた。
これにより気圧や空気抵抗が下がった状態ゆえに、同じ速度で走っていても負担が軽減される。
とどのつまり黒鉄の幽霊は体力を温存でき、こっちはじり貧だということ。
でもってゴール直前にて余力を存分に乗せた加速でもって、飛び出しゴール。
というのがヤツの狙いなのだろう。
スリップストリームを使ったレース運びとしては、まぁ、順当な考えだろう。
けれどもこいつにもデメリットはある。
それはスリップストリームの領域から抜け出すときに、周囲の乱気流の影響をモロに受け、抜き去り時の挙動が不安定になること。
他にも空気流量の減少にともなうマシントラブル、ウイングなどのエアロパーツが充分に性能を発揮できずに、クルマを地面に押しつけタイヤのグリップ力を保つためのダウンフォースが低下する等のことが起きる。
それゆえにこの技を決めるのには、かなりシビアな見極めが必要となる。
しかしこんなことは黒鉄の幽霊も承知の上のはず……。
二台が連なり、一本の矢となり高架を直進。
安倍野京香はともすれば暴れそうになるハンドルを懸命に抑えている。
エンジンが悲鳴をあげている。おれの化け術もそろそろ限界が近い。
黒鉄の幽霊はどうだろう? 微かにふるえているようにみえるが、それが速度のせいなのか、疲労からきているのかはわからない。
そのさなか、先にしかけたのは安倍野京香だった。
ラストスパートにて逃げ切りをはかる。グンと一段走りがのびた。
けれどもドンピシャにてタイミングを合わせてみせたのが黒鉄の幽霊。
こちらがのびきったところで、いっきに背後から飛び出し左に並び、そのまま抜きにかかる。
ほぼ横並びとなった。
さらに勢いのままに前へと出ようとする黒鉄の幽霊。
やはり速い、そしてうまい、だがなっ!
「ちーとばかり愛が足りないぜ。坊や」
おっさんのスーパーカーへの憧れは、うん十年漬け込んだ梅干し級。
熟成期間がちがうんだよ。そしておれの術は化ける対象への思い入れやら、理解の深さの影響を多分に受ける。そこに愛が加われば、はっきりいって無敵だね。
「スーパーカーってのはよぉ、スーパーでグレートでかっけーから、スーパーカーっていうんだぜーっ! そこんところよろしくー!」
わけのわからない気合いと思い入れをのせて、おれは最後のチカラを振り絞り、僅差ながらも一位にてゴール。
黒鉄の幽霊、ここに討ち取ったり!
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