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031 手投げ式催涙弾
しおりを挟むそろそろ西日が厳しくなってきた尾白探偵事務所。
「へー、そっちはなんとなくいい話っぽくまとまったんですねえ。わたしとしては黒幕さんの正体が気になるところですけど。あと栗原さんの方はだいじょうぶだったんですか? なにせお下劣キューちゃんですし。いやぁ、あれはひどい。わたしなら家に防音室を作って一生閉じ込めておきますね」
学校帰りに制服姿のままで事務所に顔を出した芽衣。
助手からせがまれるままに、おれは九官鳥のプリぺーラ・オンブレを巡る騒動の顛末を語って聞かせた。その感想がこれ。
「依頼人のところ? さぁねえ。なにせおれが受けた依頼はあくまで『行方不明のペットを探し出すこと』だからな。夫婦喧嘩の仲裁まではとてもめんどうみきれねえよ。でも、まぁ、なんとかなったんじゃねえの。いちおうサービスで九官鳥の名前の意味は教えておいてやったから」
「あー、プリぺーラ・オンブレって、たしかスペイン語で『一番目の男』でしたね。なるほど」
溺愛している九官鳥にそんな意味深な名前をつけていた栗原さんところの奥さん。
そこをつつけば黙り込むのか、あるいは逆切れするか。
これまでの夫婦の様子を聞いたかぎりでは、なんとなく後者のような気がしなくもないが夫婦の形はそれぞれ。おれとしては血の雨降って地が固まることを祈るばかりである。
「それから黒幕の正体だったら、とっくにわかってるぞ」
「えっ! いつのまに調べたんですか?」
「いや、べつに調べちゃいねえよ。そんなことしなくてもプリぺーラ・オンブレのやつがベラベラしゃべっていたからな。『萩原幹久はブラがスキー』って」
「……はい? 誰ですかそれ。あとブラって、あのブラですか?」
「あいにくと男のおれには他にどんなブラジャーがあるのかはわからないが、たぶんおまえが想像しているそいつで合ってるはずだ」
「はぁ」
萩原幹久なる男。
その正体は高月の中堅市議である。
四期連続で勤め上げているベテランにて、市政の運営には欠かせない人物。
堅実な仕事ぶりと実直な人柄にて市民の支持は厚く選挙基盤は盤石。より大きな舞台での活躍を期待する声も多いと聞く。
だが政治の世界とは複雑怪奇にて、とかくストレスが溜まるもの。
そのはけ口として男が求めたのが……。
「ブラジャーだったというわけさ。つけると安心するらしい。まぁ、ひそやかなお楽しみってやつだな」
「おっふ、わたしたちの街ってばそんな人に動かされているんですか。これってまずくないですか? なのにこのまま見過ごしの放置でいいんですか? 四伯おじさん」
「うん? べつにかまわんだろう」
「えー」
「あのなぁ、おまえは政治家にいったい何を期待しているんだ。清廉潔白さか? そんなもんは丸めてドブにでも捨てちまえ。ぶっちゃけやることさえきちんとやってくれたら、どうでもいいんだよ。いろいろたいへんなお仕事なんだから、公私の私の部分くらい好きにさせてやれ」
公を騙って、夜な夜な高級料亭にくり出してはコンパニオンを呼んで「げへへ」と鼻の下をのばしているよりも、よっぽど健全。
「それに大半の野郎はブラジャーが好きだ。ついでにパンティも嫌いじゃない」
おれがそう言い切ったらタヌキ娘は心底あきれ顔。
「いまどきパンティって……。なんだか泣けてくるので、そこはせめてショーツと言って下さい」
ここから会話の流れは「女性の下着名称と種類、多すぎ問題」へと波及していくのだが、内容が内容なのでざっくり割愛する。
で、白熱する議論のさなかにふと頬に風を感じて、おれは「うん?」と首をひねり事務所入り口へ顔を向けた。
するとドアがわずかに開いており、そこから隙間風がひゅるり。
おや、芽衣のやつが閉め忘れたのか。ったくだらしない女だ。
でもそれはおれの早とちり。
なにせ直後に隙間からにょきっと生えた手によって、何かを投げ込まれたのだから。
カラン、カラン、カラン。
床の上を転がるのは空き缶みたいな物体。
そいつが勢いよくシューッと煙を噴き始め、おれと芽衣の二人はきょとん。
「おや、また発煙筒ですか? ここのところ続きますよね。でも、あれ? なんだか涙がでちゃう。あとノドの奥がひりひりするような、けほけほ」
「ちがうっ! ちくしょう、催涙ガスだ。すぐに鼻と口をふさげ、芽衣!」
物体の正体は手投げ式の催涙弾。暴徒鎮圧とかに用いられるアレだ。
おれはすぐさま事務所の扉に向かう。こんなことをしやがったやつをとっ捕まえるためだ。しかし目前でドアがバタンと閉じられた。
ノブを掴んでがちゃがちゃするがビクともしない。
こんちくしょうめ! 向こう側から誰かが開かないように抑えていやがる!
そうしている間にも室内がどんどん煙に占拠されてゆく。
咳、クシャミ、涙、胃のムカつき……。
数多の不快感が一度にどっと押し寄せてきて頭がクラクラ。このままだとマズイ。
「ぐえっ、うぷっ、芽衣は換気扇を回せ。おれは窓を開け、げほっ」
涙目にてかすむ視界の中、あちこちにぶつかりながらも、どうにか窓際までたどりついたおれは気力を振り絞っていっきに窓を開けた。
続いて換気扇の回転音も聞こえ始める。
◇
目元に濡れたおしぼりをのせ、ソファーにひっくり返るおれと芽衣はぐったり死に体。
これを見ながらニヤニヤしているのは、全身黒づくめのカラス女。
高月警察署の女刑事、安倍野京香。この女こそが犯人だったのである。
「おー、使用期限が過ぎて廃棄するってんでもらってきたんだが……。なんだよ、ちゃんと使えるじゃねえか。もったいねえなぁ。やれやれ、やたらと賞味期限とかを気にするのは国民病なのかねえ」
これだけの暴挙におよんでの、この言い草。
さすがに温厚さでは中央商店街屈指のおれさまの堪忍袋の緒もブチリ。
だからとっちめてやろうとしたんだが、ごらんのありさまにて立ち上がることもままならない。
ちっ、しようがねえ。今日のところはかんべんしておいてやる。
するとカラス女がテーブルの上にバサッと投げ出したのは、クルマのパンフレット数冊。それもスポーツタイプの高級車ばかり。
そいつをトントン指で叩きながら、不良刑事は言った。
「おい四伯。おまえ、ちょいと私にチカラを貸しな」
それが人にモノを頼む態度かっ!
と、おれは心の中でだけ威勢よく吠えつつ、うーん。
うぅ、気持ち悪い……。
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