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07 勇者の妻という女 Ⅱ
しおりを挟むルイ・ポーウェルという男性の存在を初めて見知ったのは、結婚式の当日であった。
新郎側の参列者の中に見かけたときには、はっとしたものである。
涼やかな目元に通った鼻筋、青い瞳をした金髪の精悍な偉丈夫。
まるで物語の中から飛び出してきたかのような男性に、周囲の女たちも花嫁そっちのけで色めき立っていた。そんな彼が実は妻帯者ですでに子供もいるとガトーより教えらえれて、内心でガッカリしたのをよく憶えている。
近衛騎士をしている彼は忙しい勤務の合間をぬっては、花やらお菓子などの手土産を持って私の様子を心配して見に来てくれた。
初めは友人である夫に頼まれてのことだとばかり思っていたのに、それが自発的な行動であると知ったときは本当に嬉しかった。人妻の身で異性に胸を高鳴らせるだなんて悪いことだとはわかっていたが、どうしても自分の中の乙女な部分が止められない。一番しんどい時に側で支えてくれる彼に、どんどんと惹かれていく自分の気持ちを誤魔化しきれない。
でもそんな彼の優しさですら私を支えきれないようになっていったのは、夫が最果ての地を目指して王都を旅立った直後からのこと。
華々しい式典にて王より訓示を賜り、勇者が旅のお供の方々と恭しく傅いてるとき、私の視線は主役である夫ではなくて、壁際にて警備についているルイの姿ばかりを追っていた。
城から都の外へと通じる大門へとパレードが続き、馬車にて勇者の隣に座り澄ましている間も、これから死地にも等しい場所へと赴く夫に気持ちが移ることはなく、車窓を流れる街頭の賑わいをぼんやりと眺めているだけの私は薄情なのであろうか?
ガトーのことは端から愛してなんぞいない。
結婚したのは生活の安定を求めてのこと。
夫婦によっては共に過ごすうちに愛情が芽生えることもあると聞くが、うちにはそれがない。たぶん結婚してから今日までに彼と交わした言葉よりも、たまに会うルイとの会話の方がずっと量が多い。そんな希薄な関係を続けてきたツケが、ここにきて弾けたのであろう。
私はいま恋をしている。
夫の親友である近衛騎士のルイ・ポーウェル様に。
だが彼も私も互いに家庭を持つ身、だからこの想いにはそっと蓋をして、これを想い出のよすがに私は生きていこう。そう決めていたというのに……。
これまでは言葉のみに終始していた嫌がらせに、物理的手段が込められるようになったのは夫が旅立った直後のこと。
勇者という存在が抑止力となり、防波堤の役割を果たしていたことに気づいたときには、すでに手遅れであった。
日常茶飯事的に動物の死骸なんぞが送られてくる。筆舌にしがたい文言が並ぶ手紙に、茶会や夜会などで私を嘲る女たちの態度に遠慮がなくなる。作り笑いで挨拶をすれば無視されたり目の前で舌打ちをされる、面と向かって「貴女には勇者の妻は分不相応だ」と罵られる。無遠慮な視線にて舐め回すように見られては、扇子で隠した向こう側にてクスクスと笑われる。夜会でわざと飲み物をかけられたことも一度や二度ではない。濡れそぼった体を拭こうと給仕にタオルを頼めば、汚れた雑巾が用意されたこともある。
惨めだった。どうして自分がこんな理不尽な目に合わねばならないのかと、悔し涙で枕を濡らさぬ夜はない。
それでも私が逃げ出さなかった理由のひとつは、この家の存在であった。
ここは私が手に入れた私の居場所、絶対に手放したくない。幼少期の記憶と重なってそれだけは断じて許されない。意地とかを通り越して、妄執に近いとは自覚している。それでもどうにもならないものが自分の中に蠢いていた。
ルイの存在もまた大きな理由となっている。
もしも私が夫と別れて、この家を出たら彼と会う口実がなくなり、縁が切れてしまう。
彼の顔が見れない、その声が聞けない、笑顔を向けてもらえなくなる。そんな生活にはとても耐えられないほどに、私の中での彼への恋慕は大きくなっていたのである。
ある嵐の夜だった。
吹き荒れる風が王都中の建物を揺らし、木々を薙ぎ倒し、黒い空へと巻き上げるほど。
家が揺れてぎしりぎしりと不気味な音を立てる。足下すらもが揺れているようで、命の危機を感じて、ただただ恐ろしかった。
自宅の寝室にて私は頭から毛布をかぶって一人引き篭り、ずっと震えていた。
そんな中にあって雨風の音に混じり玄関扉をドンドンと叩く音がする。
恐る恐る扉越しに声をかけると、返ってきたのはルイの声であった。
「心配だから、様子を見に来た」
そう言われたときの安堵感、こんな危険な状況にもかかわらず自分のために駆けつけてくれたという嬉しさ、その頼もしさ。
私の心の堤に穴が開き、それがどんどんと大きくなって、もはや抑えようもない。
これまでずっと抱え込んできた想いのすべてが噴出して濁流となり決壊したとき、私は己が身を彼の厚い胸板の前にさらけ出していた。
その夜、私たちはついに一線を越えてしまった。
夫が旅立ってから一年ほど過ぎた頃のことである。
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