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06 勇者の妻という女 Ⅰ
しおりを挟む子供の頃に父が事業で失敗して家を失ったことがある。
幸いなことに、すぐに別の仕事が決まり生活に困窮することはなかったが、住み慣れた家を逃げ出すようにして去ったあの日の出来事は、幼い私の心に深く刻み込まれることになった。
一度不安定な時期を経験したせいか、私は極端なまでに暮らし向きに安定を求める性格に育つ。
やがて大人になり結婚相手に求めたのも、第一に生活の安定であった。
酒はともかく賭け事などは論外、女遊びは稼ぎによる。充分な生活を保証してくれるのであれば、目を瞑ってもいいと考えていた。そもそも結婚相手に恋愛感情すら求めてはいなかったのだから。
そんな私が選んだ結婚相手は、王城に務める事務員の男。
友人の主催したパーティーで出会った中肉中背の朴訥とした彼は、真面目だけが取り柄のような人物であった。だが堅実で誠実な人柄は安定志向をモットーとする私にとっては理想的なお相手。稼ぎも悪くないし、野卑た言動や暴力を振るうようなこともなし、穏やかな気性も都合がいいと判断し、私は彼を目標に定め邁進する。
あまり色恋に興味がないのか、どうにも反応が鈍くて苦労したが、それでも一年近くをかけてようやく結婚へと漕ぎつけたのは、彼が29才で私が27才の時のこと。
結婚を機にして夢のマイホームを手に入れられたことが、何よりも嬉しかった。思い切っておねだりして本当によかった。
一度、悲しい想いをしているせいか私の中で家という存在は、思いのほかに大きなモノとなっていたのである。
家は大きすぎず小さすぎず、住み良いモノを吟味して選んだ。
あえてこのサイズを選んだのには理由がある。もしもの時にちゃんと維持できるからだ。大きくて立派な家は素敵だけれども、いざという時になると手放すはめになる。あんな悲しい想いをするのは二度とごめんだ。かといって小さすぎては持つ意味がない。資産価値の乏しい家を持ち、王都内の割高な土地税だけを支払わされるのは業腹がすぎる。
夫は私の意見に唯々諾々で少々張り合いがなかったけれども、余計な口を挟まないだけマシだと考えることにした。
場所は王都の中心部より若干離れているが、歩いてもせいぜい二十分ほどだし、その分だけ閑静な住宅街にて落ち着いて暮らせる。家の表と裏にちょっとした庭があり、ここで園芸が愉しめるのも気に入っている。
夫は基本的に朝仕事に行き、夕方に帰ってきては食事を済ませると、早々に書斎にこもるので手間がかからなくていい。休みの日も静かにしているので、置物だと思えば気にもならない。これを指して夫婦生活が円満だとは言えないが、さりとて私に不満はなかった。
刺激はないが穏やかな生活がしばらく続く。
それが突如として破られたのは、結婚生活四年目のことであった。
城より使いの人がきて「夫が聖剣に選ばれて勇者となった」と聞かされたときには、なんの悪い冗談かと思ったものである。
夫にはもったいない友人だと常々思っていた近衛騎士のルイ・ポーウェル様ならばともかくとして、どこにでもいそうな地味な男の代表格のようなあの人が勇者だなんて、とても信じられない。
でも真実であった。
そして私の悪夢が幕を開ける。
勇者の妻として上流階級と接することを余儀なくされ、招かれる先々にて礼儀がなっていない、作法がなっていない、品がないなどと陰口をたたかれ嘲笑に晒されるばかりか、ついには勇者の奥方として相応しくないとまで言われる始末。
名目上は招待客の一人となっていたが、実際には私という女の品評会の場であった。そして女は同性にはどこまでも厳しい目を向けて、残酷になれる生き物。じっと耐えていても事態は沈静化するどころか日に日に苛烈さを増していく。やんごとなき御方とは無縁の中流階級の主婦には荷がかち過ぎる。
「勇者の妻ってどんなのよ! 知ってるんなら教えてほしいぐらいだわ!」と何度、叫びそうになったことか。
勇者となった夫に愚痴を零そうにも、彼は忙しくてほとんど家に帰ってこない。
たまに帰って来てもボロボロの姿で疲弊しており、どこか殺気すらも漂っていて、とてもではないが話しかけることなんて出来やしなかった。
仲のよかったご近所や友人知人らは、勇者の肩書に尻込みしたのか意図的にこちらを避けるようになり、疎遠となる。
穏やかだった暮らしは、針のむしろのような生活になり、私は孤独だった。
そんな私の唯一の慰みは、たまに訪ねてきてくれるルイ・ポーウェル様だけだった。
いつしか彼の来訪を待ちわびている自分に気がついたのは、いつのことだったかしら。
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