人生に脇役はいないと言うけれど。

55 ヒーロー不在につき

　
　野太く黄色いおっさんの悲鳴で目を覚ました私は、寝室としてあてがわれていた部屋の窓から外の様子を一瞥すると、すぐにテーブルの上にあった食べ物を適当にポケットに詰め、その足でトイレへ。そしてあのフラワーロックもどきにしか役に立たなかった小さな花の鉢植えを抱え、そのまま最初に放り込まれていた屋根裏部屋へとテトテト向かいました。
　
　一日ぶりに戻った埃っぽい部屋にて、木箱の上に鉢植えを置くと部屋の暗がりにてチーチーと鳴く小動物に食べ物を分け与え、私は放置されたままであった簡易ベッドの麻袋の中へと身を潜りこませます。
　そのタイミングで騒動が始まりましたが、囚われの身の上ではじっと耐え忍ぶのみ。

　耳を済ませば階下から聞こえてくる怒号と剣戟に打ち壊しの音。
　先ほど、寝起きに窓の外を見たら、朝靄の中にズラリと人影が見えました。
　この建物の周りを取り囲む姿がびっちり、それこそ蟻の這いでる隙間もないほどに。騎士だけでなく街の人たちまでもが混ざっており、その中には少なくない数の見覚えのある姿が。
　本能的に危険を察した私は即座に行動します。
　とりあえず巻き添えを喰ったら可哀想な鉢植えと小動物だけは守ろうと思い、こちらに避難した次第です。

　爆音のような轟きにて建物全体が微かに揺れました。
　たぶん正面玄関の扉が吹き飛ばされたのでしょう。「エレナをかどわかしたのはおのれらかぁー！」それと同時に聞こえてきた雷鳴のような声はじっちゃんのモノでした。ドコンバコンと破砕音が続いております。どうやら愛用のハンマーを振り回している模様。
「うちの娘を返しやがれ！」「大切な妹を返せっ！」鋭い女性の声が重なります。お母さんとお姉ちゃんも来ちゃったみたい。この分では母娘必殺のコンビネーションが炸裂したのでしょう。誰が餌食になったのかは知りませんが、少なくとも足とアバラは持っていかれたな。
「また手前ぇの仕業か！　こんの馬鹿王子が！」ああ、第八くんがやり玉に……、今回の件に関しては主導者は眼鏡さんなのに。
「大人しく投降しろ！　でないと命の保障は出来んぞ」おや？　クラウセン隊長の声が聞こえる。ということは第五隊の面々も出張っているのですか。これは王子一行もついてない。よりにもよって一番、容赦のない方々を引き当ててしまったようですね。
「誘拐した女をどこにやりやがった」これはカインさんですね。「エレナ、どこだ！　いたら返事をしろ！」おっと、これはアデルくんです。「エレナちゃーん、どこだー」おやおや隊員Ａさんまで、他にも知り合いの声がたくさん聞こえてきました。それだけ多くの方が心配してくれたのですね。これはちょっと嬉しくてウルっときちゃいます。
　ですがここまで勝手に盛り上がられたら、逆にノコノコと出て行き辛い。
　ここは、このまま捕まったフリをして誰かが助けに来るのを待つのが得策かと。

　……そんなことを考えていた罰があたったようです。

　バタンと扉を最初に開けたのは味方ではなくて眼鏡紳士でした。揉みくちゃにされたようで少々、服装が乱れ息も荒い。彼は袋ごと私を担ぐと、そのままズンズンと。
　
　古今東西、追い詰められた犯人は上へ上へと逃げるの法則が発動して、私の身柄は屋根の方へと運ばれました。
　いささか錯乱状態の眼鏡さんは人の迷惑も顧みずに、「来るな！　来るな！」と叫びながら屋根の突端部分へと自分から追い詰められていきました。
　ちなみにここは建物の五階に相当する高所です。落ちたら全身打撲でのたうち回って血ヘドを吐いて死ぬ。はっきり言って怖いです。って思っているそばから、興奮して足を滑らす眼鏡さん。そして起こる悲劇。
　哀れ、我が身は袋ごと屋根の傾斜をツルツル滑走して、そのままの勢いにて空中に飛び出ました。

　悲鳴が聞こえました。
　悲痛な叫びが聞こえました。
　私の名前を呼ぶ声がたくさん聞こえました。
　そんな中でゆっくりと景色が流れていきます。チラホラと転生してからの想い出の名珍場面集が脳裏をよぎる。これがいわゆる走馬灯というやつなのでしょう。
　なんとも短くそこそこに太い人生でした。まさか二回連続で二十歳を迎えられないとは思いませんでしたが、これに同情したのならば、ぜひとも三回目はご長寿でお願いしますね、神様。

　ドサっという鈍い音が響きました。
　衝撃はさほどでもありません。
　随分とあっさりしています。
　もしかして死ぬときって、こんなもんなのでしょうか。
　なんて思っていたら、どっこい生きてる藪の中。
　えっ、藪！？　と驚いていたら、ワサワサと育った藪が話しかけてきました。

《おっと危ないところだったね。話は大老から聞いてるよ。さすがに建物の中じゃあ、手が出せなかったんだけど、庭ならこっちの領分だから》

　なんと！　ここにきてまさかの素敵ファンタジー第二弾が登場です！！　爽やかイケメン風のお声です。おかげで命拾いしました。とりあえずお礼を言っておきます。
　それにしてもヒロインのピンチに駆けつけた王子さまが藪とは、しかも前世と今世を通しての初めてのお姫様抱っこの相手が藪だなんて、私っていったい……。

　藪さんはそっと私の体を地面におろすと、《じゃあね》と元に戻ってしまいました。そこに救出に殺到してくれていた面々が慌てて駆けよって来ました。
　
　母に強く抱きしめられました。
　姉にも強く抱きしめられました。
　じっちゃんにも強く抱きしめられて、あまりの馬鹿力にてコテンと卒倒しました。
　だからその後のことは覚えておりません。