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その百五十三 極致
しおりを挟む「シャクドウの声に気をつけろ! 惑わされるなっ!」
駆けながら叫んだのは緒野正孝。
忠吾の声を模した禍躬の呼び声。あれは危険だ。「えっ?」となり混乱する。戦いのさなかに放たれたら、おもわず思考が停止し硬直してしまう。
おそろしく陰湿で性質が悪い初見殺し。
身をもって味わったがゆえの忠告であった。
コハクは五連滝での戦いのおりに、禍躬の呼び声が原因にてシャクドウに敗れたので言わずもがな。ビゼンもそのときの話をコハクから聞かされており、いっそうの警戒を強める。
唯一、この場にて経験のない南部弥五郎ではあったが、彼は友の忠言を無碍(むげ)に扱うような男ではない。ゆえに「応っ」と答えしっかりと心に留め置く。
◇
腰から下が埋まって身動きを封じられた禍躬シャクドウへと三方より迫る者ども。
真っ先に到達したのはシャクドウより見て左側から向かっていた山狗の二頭。
並走していた二頭、途中から前後左右にと位置をめまぐるしく入れ替えながら疾駆。
黄金に近い明るい茶毛のビゼン。
銀の地に黒毛が混じっているコハク。
二頭の駆ける軌跡が二筋の線となり、それが交わり離れをくり返すうちに、やがてひとつとなったところで接敵。
山狗の牙がギラリ、獲物を狙う。
させじとシャクドウ、一撃のもとに粉砕せんと豪腕を振るう。
けれども拳が当たる直前にぱっとわかれた二頭。これにより攻撃はむなしく空を切る。
矢先のこと、シャクドウの真紅の隻眼がよりいっそう赤を増した。
ただしそれは流れ出る血のせい。
まぶたの上を斬り裂いたのはビゼン。駆け抜けざま、爪により一閃する。
◇
コハクとビゼンらに遅れることほんのわずか。
今度は右側から緒野正孝が突っ込んできた。
あわてて対処するシャクドウ、あいている方の腕をくり出す。黒爪により相手をひと息に串刺しにせんとする。
五丈へと達するほどの巨躯。腕の長さは二丈ほど、これに黒爪をのばした分を合わせれば二丈半にも届こうか。
体格ゆえに深い懐、槍よりもなお長い間合い。それらでもって緒野正孝の武を封じ、一方的に刺し殺すを目論む。
だがこの選択は致命的な失敗であった。
なぜなら相手の武官は槍の誉れ、紀伊国にそのヒトありとうたわれた天下無双の豪傑なのだから。
黒爪の突端と天霊矛の切っ先。
ふたつが正面より激突っ!
ギィイィィィンと硬質な音が鳴り、火花が生じる。
けれどもその刹那のこと。深緑色の穂先、平刃がふいにぐにゃり、捻じれたように見えた。
まるで槍が生きているかのように動き、黒爪を絡めとる。
これは緒野正孝が手元にて槍の柄にひねりを加えたことにより生じた回転によるもの。
かつて海の暴君イッカクを退治するときに披露したことがある大技。相手の剣に槍を絡めて払う、槍術の巻き落としなる技の応用。
しかし今回の相手は禍躬、それも尋常ならざるシャクドウを相手どってのこと。もしもシャクドウの状態がつねの通りであれば、とてもではないが技は成功しなかったことであろう。だが現在のシャクドウは身動きもままならぬ状況。ほとんど腕の膂力まかせにつき、動作も雑にて単調であった。だからこそさばくことが可能。
黒爪の軌道がわずかながらも外側へとそれる。がら空きとなったのは脇。
そこめがけて天霊矛が突き入れられる。
緒野正孝は無意識のうちに雄叫びをあげていた。
◇
両側面からの怒涛の連続攻撃。
右に続いて、左の視界にまで不良を抱えたシャクドウ。
両腕はふさがれており、これにより無防備に上体をさらすことになる。
そこへ正面より駆けつけたのが南部弥五郎。
走りながら火筒の先端に装着するのは小剣。ほんの半尺ほどの長さながらもこれを付けることにより、飛び道具である火筒でも近接戦闘が可能となる。
これを突き入れるのは禍躬の口腔内。そこで零距離射撃を狙う所存。
普段ならばとても無理であろうが、いまならばイケる。
禍躬にヒトの手が届く!
「シャクドォォォオウっ」
叩きつけるがごとき大声で名を呼ぶ南部弥五郎。
しかしこれが功を奏する。期せずして死者の呼び声にて相手を惑わすのを得意とする禍躬、そのお株を奪ったのだから。
殺気が篭った声ゆえに反応し、ついそちらへと顔を向けるシャクドウ。
その半開きとなった口へとめがけて、南部弥五郎が刃をつけた火筒を猛然と突き入れた。
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