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その百三十五 二頭の山狗

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 連合により第四次討伐戦が実施されるかもしれない。
 その報を受けた翌日のこと。
 はや、冬毬に見送られて風の民の逗留地を出立した緒野正孝ら一行。
 コハクの姿もその中にあった。いまはビゼンと並んで前を歩いている。二頭にて一行を先導しつつ、伏せっていた間になまった体を馴らしがてら進む。傷口は完全に塞がっており、経過も良好。抜糸あとが少々疼く以外には、さほど不自由は感じない。
 むしろ気になったのは、人間たちと行動を供にすることになったこと。
 あまりにもひさしぶりすぎて、コハクは戸惑うことしきり。ひとりのときとは勝手がちがう。ともすればイラ立ちそうになるところをビゼンがよく支え、ときには指摘をしては、コハクの一助となる。

 山狗の言葉は人間にはわからない。
 それでも二頭の掛け合い、仲睦まじい姿に、南部弥五郎もつい目元を細めずにはいられなかった。

  ◇

 一行は赤涙川沿いをふたたびさかのぼり七之助山を目指す。
 あれほど赤く染まっていた川の水も、かなり色味が薄くなっており本来の清流の姿へと戻りつつあった。鉱石や土中の鉄の成分が溶けだして、数年おきに一度、不定期に起こるあの現象もそろそろしまいなのであろう。

 すでに一帯の地形をある程度把握しており、沢登りを何度も経験しているので、一行は手慣れた様子にて難所を越えていく。
 ときおり黒翼経由にて届く港街方面の状況は、あまりかんばしくない。
 執政官の十基侑大をはじめとする島の主だった者らが、どうにか人心を落ちつかせて、無謀な第四次討伐戦への動きを押さえようとしているらしいのだが、いかんせんいったん火がついた戦いへの気運の勢いが強い。ここにきて鬱積していたものがこらえきれずにあふれたのであろう。
 この調子ではもって数日、下手をすれば明日にでも大勢が出征へと傾くだろう。

  ◇

 七之助山への道すがら。
 伊瑠からの便りに「やれやれ、やはりこうなるのか」とため息をもらす緒野正孝。
 けれども並んで歩く南部弥五郎は肩をすくめつつ「どうせ止められないのであれば、連中にはせいぜい目くらましになってもらおう」と言った。

 軍勢が動けば、禍躬シャクドウとて無視はできまい。
 相応に対応を迫られる。その分だけ注意があちらに向く。
 その隙を自分たちが突かせてもらう。
 第四次討伐戦へと参加する連中を囮にする。

 かつて祝い山にて禍躬シャクドウとの決戦に臨むとき。シャクドウが保存していた女の遺体を、囮にしておびき寄せるという非人道的な作戦を敢行した。
 死してなおその遺骸を辱めるような行為。ましてやそれが若い娘の身体ともなれば気持ちのいい話ではない。同行していた面々はみな強い嫌悪感を抱いたものである。
 けれども作戦を提案した伝説の禍躬狩りの男は、そんな仲間たちにこう言い放つ。

『あえて鬼となろう。すべての責め、罪咎は俺が引き受ける』

 非情なれども、強大な禍躬の裏をかくには、ときには心を鬼にせねばならない。いやさ、己が鬼にならねばならぬ。
 生きるか死ぬかの闘争、あるいは喰うか喰われるかの生存競争。
 そんな局面では、ヒトの感傷なんぞはなんの足しにもなりやしない。
 禍躬との戦いに身を置き続けていれば、否応なしに思い知らされる。
 そのことが骨身に染みているがゆえの南部弥五郎の決断。旗下の隊員たちや緒野正孝らに異を唱える者は、もちろんいない。

  ◇

 そんな南部弥五郎は、出立してからずっと手の中で深緑色の弾丸を弄んでいた。
 いや、より正しくは、その運用方法について思案を続けていたのである。
 隊員らのひとりが「それほど効果が期待できるのでしたら、いっそのこと量産してはいかが?」と提案するも、南部弥五郎は「ダメだな」と即答。
 そして「おまえ、ちょっとこれを持ってみろ」といきなりひょいと投げたもので、投げられた側はあわててこれを両手にて受け止める。
 とたんに「なっ、これは!」と受け取った者は目を見開く。

「わかっただろう。見た目からは想像もできぬほどに重いんだよ。隕鉄というのは相当にやっかいなシロモノだ。そんなものでこしらえた槍やら小太刀を軽々と扱っている、正孝殿やコハクこそがどうかしている」

 深緑色の弾丸に充分な威力と飛距離を持たせようとすれば、どうしたって通常よりも多めの火薬が必要になる。
 いかに新式火筒・可変忠吾式であろうとも筒身がきっと耐えられない。一発が限界だ。それすらも最悪、手元で暴発して破裂する。火薬の量を見誤れば腕が吹き飛ぶか、目がつぶれるか……。

「ここぞという時にしか使えない。それも命懸けだ。冬毬殿め、しれっととんでもない品を託してくれたものだ。文字通りの隠し玉になりそうだな」

 部下から返却された深緑色の弾丸をしげしげと眺めつつ、南部弥五郎はこれまで培ってきた経験と知識を動員しては、最適な解を得るべくふたたび熟考に入った。


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