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その百三十二 小太刀と槍

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 治療を終えたコハクは、まだ目を覚まさない。
 けれども呼吸や心音は安定しており問題はない。いまはきっと心と体を休めて力を蓄えているのであろう。ふたたび駆け出し、戦いへと赴くために。

 冬毬から経過は良好との説明を受けて、ほっと胸を撫で下ろしたのは緒野正孝と南部弥五郎。
 そのうえで冬毬が取り出したのは上等な布にくるまれた品。
 折れた小太刀「霊の永遠白(たまのとわしろ)」である。
 深緑色の刃を目にして、緒野正孝はすぐに自身の槍と同じであることに気がつく。

「もしや、これも隕鉄より鍛えられたのか?」
「はい。もとは私が母より受け継いだ守り刀でした。それをこちらの犬神さまの眷属の御方、コハクさまに託したものです」

 そのさいの経緯を冬毬の口から語られて、「なんと!」「そんなことがあったのか」と驚きを隠せないふたり。
 ここでやおら冬毬が頭を下げる。

「どうやら私がこの地に導かれたのは、この折れた霊の永遠白を打ち直すためであったようです。ですが肝心の素材、星の欠片の手持ちがいささか足りませぬ。そこで無理を承知でお願いします。緒野さま、どうかその天霊矛(あまのたまほこ)を少しばかり削ることをお許しくださいませんか」

 武官、それも名人達人と呼ばれる者にとっては、愛用の得物は一心同体であり、何物にも代えがたいものである。
 それを一部とはいえ分けて欲しい。
 不躾な申し出。
 最悪、その場にて無礼討ちにされてもおかしくない。禍躬狩りであらば「火筒を寄越せ」と言われているようなもの。だから南部弥五郎はこのやりとりを内心ではらはらしながら見守る。いざともなれば、激昂する緒野正孝を身を呈して止める覚悟。だがしかし……。

「よし、わかった。好きにしてかまわない。今日の自分があるのは、忠吾殿とコハク殿が居たからこそ。その厚恩に報いるのに、たかが槍の一本、何を惜しむことがあろうか。
 とはいえ全部失くなってはそれがしも困るので、穂先だけでも残してもらえるとありがたいのだが」

 そう言ってあっさり槍を差し出す。
 態度には微塵も迷いがない。
 あまりのことに逆に不安になった南部弥五郎が「おい、本当にいいのか?」
 すると緒野正孝はにっと笑った。

「あぁ、かまわぬ。こうして我らがふたたび再会し、巡り合うのもまた天命というやつなのであろう。それに霊の永遠白と天霊矛、この小太刀と槍はいわば兄弟みたいなもの。なれば困ったときには助け合うのが筋というものだ」

 その言葉に南部弥五郎は「貴殿という男は……」と感心するやら呆れるやら。

  ◇

 風の民の逗留地よりほど近いところにある洞穴。
 奥には天然の岩場を利用して造られた窯や炉がある。排煙は天井近くにある横穴へと通した管により行われており、おかげで内部に悪い空気がこもることはない。もっともさすがに熱をすべて逃がすには至らず、火を入れればたちまち蒸し風呂状態になってしまうが。
 ここは彼らの先祖が作った秘密の鍛冶場。じつは宝雷島内には、他に二か所ばかり同じようなところがあり、風の民のみが利用を許されている。

 そこへと冬毬より招き入れられたのは緒野正孝と南部弥五郎のみ。
 旗下の山楝蛇の隊員らは、集落の方で他の鍛冶師らの手を借り、火筒や道具の整備をしている。彼らの相棒である黒翼たちは周囲の警戒、山狗のビゼンはコハクに寄り添っては看病に努めている。

 これより小太刀の修繕が行われる。
 ではどうしてふたりだけが鍛冶場への立ち入りが許されたのかというと、ひとつは南部弥五郎からのたっての頼みゆえに。
 彼の奥方である小夜は博識で鳴らした人物。じつに好奇心旺盛にて、いろんなものをこねくりまわしては、新たな道具を産み出したりもする。それが隕鉄にはまるで歯が立たなかった。
 だからこそつねづね星の欠片の秘密について知りたいと強く願う。
 それを知っていたがゆえに、「この機会にぜひとも見聞させてもらいたい」と熱望する。
 なんだかんだで南部弥五郎は愛妻家なのである。

 そして緒野正孝の方だが、こちらは以前に隕鉄を持ち込み、天霊矛を打ってもらったときには、「秘伝ゆえにご容赦ください」と見せてもらえなかった。
 しかし今回は愛槍を提供し、その槍身を削ることになった。
 さりとて闇雲に削ったのでは、槍本来の力が大きく損なわれてしまう。遣い手との兼ね合いを考えなければならない。ゆえに削りがてら細かい調整が必要不可欠。

  ◇

 ふたりの男たちが緊張した面持ちにて見守る中。
 もろ肌を脱ぎ、サラシ姿となった冬毬が、力強く鞴(ふいご)を足で踏む。
 そのたびに、轟っ、轟っと炎がうねり渦を巻く。ひょうしに窯や炉の口から飛び散る火の粉。薄闇の洞窟内にてちらちら、パッとあらわれてはすぐに闇へと溶け消えゆく。
 しばし火の具合を凝視していた冬毬。
 続いて取り出したのは治療用にも用いる小刀。その刃をおのれの左手首に当てたかとおもえば、おもむろにすっと引く。
 とたんに皮膚に線が入って、ぷつぷつと肌表に浮かんできたのは赤い玉。じきにそれらがひとつとなって、とろりと垂れる。
 赤い雫がぽたりぽたり。落ちた先には作業台の上に据えられた天霊矛があった。


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