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その百二十八 出水
しおりを挟む怒りに目がくらみ、攻撃がおざなりとなったばかりか、そのせいで大切な小太刀をも折られてしまった。
すべては己が未熟さゆえに……。
しかしいまは戦いのさなか、のんびり悔やんでいる暇などない。
間髪入れずに禍躬シャクドウの追撃。黒爪による切り上げ。
とっさに相手の体を蹴り飛ばして、間合いをとったコハク。山狗の身がひらりと宙を舞う。
けれども着地する寸前のこと、前方より飛来したものがギラリと光る。
それは先ほどシャクドウによって折られた霊の永遠白の切っ先部分。口に含んでいた破片をぺっと吐き出すなり、これを打ち出すかのようにして叩き飛ばす。シャクドウによる投擲。
深緑の刃がずぶり。めり込んだのはコハクの胸部と左足の付け根近くの箇所。
もしも気づくのが遅れて、身をひねるのが間に合わなかったら、心の臓をひと突きにされていたかもしれない。
かろうじて致命傷をまぬがれたものの、それでもかなりの深手を負ったコハク。たちまち胸元が血に染まる。
踏ん張りがきかず、着地と同時にがくりと片膝をつく。
すぐさま立ち上がろうとするも、左足が震える。まるで棒になったかのようにて、うまく力が入らない。それでも「グルル」と唸りながら、強引に身を起こすも、そこに迫る赤胴色の肉塊。
頭から突っ込んできた禍躬シャクドウ、巨躯による体当たり。
ドンッ!
強い衝撃によりはじき飛ばされる山狗。その身がたちまち石橋の外へと。
そのせいで五連滝の三段目から二段目へと落ちることに。
流れ落ちる水に濡れた岩肌に打ちつけられる体、あちこちにぶつかりながら転がり落ちていく。
痛みをこらえ、どうにか受け身をとったコハクが上方をにらむと、目が合ったシャクドウがにやりと笑った。
かとおもえば何を考えてか、急に背を向ける。
足場としている岩棚が崩落間近ゆえに、逃げ出すつもりなのか。
ならばその背に追いすがって爪を振るい、牙を立てんとコハクが動きだそうとするも、ここでシャクドウが意外な行動をとる。
あろうことかシャクドウは滝の裏側へとめがけて、その豪腕を振るい始めたのである。
傍目には流れ落ちる滝へと拳をぶつけて遊んでいるかのような姿。
気でも狂ったのかとコハクは怪訝顔となるも、すぐにはっとして自分の足下へと顔を向けた。
「なんだ? 地面から伝わる振動がじょじょに大きくなっているのか」
ずんと下から突き上げるようなものではなくて、右へ左へとゆらゆら長く続くときの地震のような気持ちの悪い揺れを山狗は感知。
ここは五連滝のただなかゆえに、水の勢いにて絶えず微細に揺れている。けれどもこれは、明らかに質がちがうもの。
その原因は禍躬シャクドウにて、奇怪な行動の答えはすぐに判明する。
シャクドウがさっと身を引いたかとおもったら、すぐさま崩落間際の石橋から退避。
それと前後して、滝の形状が変化した。
下へ下へと向かっていた水の流れが、突如として前へと激しく噴き出す。
五連滝に、第六の水の流れが出現っ!
これにともなって三段目の滝が豹変し、暴れだす。
急激に増えた水量が、崩れた岩棚の橋を完全に押し流し、怒涛の出水と化す。
水の流れは上から下へと向かう。
五連滝の二段目にいたコハクのもとへと襲いかかる出水。
最初に、この地で禍躬シャクドウを見かけたとき。やつはぼんやりと滝を眺めているようにみえた。だがちがった。あれは「どこを崩せば、出水を起こせるのか」を思案していたのだ。
王の余裕? 禍躬の驕り? 地の利を味方につけ損ねた?
とんでもない! コハクは読み違えた。
逆だ。そうじゃない。じっくりと地形を吟味し、シャクドウは意図的に出水をも引き起こしてみせた。味方につける以前の問題にて、この赤い川を完全に掌握していたのである。
眼前へと迫りくる激流。逃れる術はない。
「シャクドウーッ!」
コハクに出来たのは仇の名前を叫ぶことぐらい。
「ははは、なかなか楽しい余興だった。もしも生き残れたらまた遊んでやるよ『コハク』」
忠吾の声真似。その声で名を呼ばれることは、コハクにとっては最大の侮辱。だからすぐにでもその屈辱を晴らしたかったが、そこへ轟々と殺到する大量の水。
山狗の姿はたちまち呑み込まれて、見えなくなってしまった。
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