山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その百二十六 呼び声

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 禍躬シャクドウの三本腕が唸り、黒爪による斬撃が暴れては風を切る。
 これをかわしながら、山狗コハクもまた小太刀を走らせる。
 しかし戦い続けるうちに違和感を覚えるコハク。
 それはシャクドウの攻めの内容。
 突きは一撃にてこちらの身を抉らんばかりの勢い。
 横薙ぎの一閃もまた同様。
 なのに縦の攻撃、それも振り下ろし気味となるものに関してだけは、やや動きが鈍くなる傾向にあった。
 先にコハクより受けた傷が……と考えたいところではあるが、それはない。全身に火筒の玉を大量に浴びまくってもなお動けるほどの頑強さを誇るシャクドウが、あの程度のかすり傷で怯むわけがない。

 はじめのうちは釣り、わざと隙を演出して、自分を誘い込む罠かとコハクは思った。けれどもよくよく観察して、シャクドウの動きがときおり鈍くなる理由を察する。
 原因は足下にあった。
 ここは天然の石橋のような岩棚。加えてシャクドウは以前よりも体の厚みが増して、膂力も強くなっている。うっかり足下を殴りつけたらたちまち足場が崩れてしまう。さすれば真っ逆さま。
 滝の高さはさほどでもないが、いかんせん流れが急だ。これにまともに呑み込まれては、いかに禍躬の身とて危うい。それを警戒してのこと。

「なるほど。どうやら禍躬シャクドウは、地の利を味方につけ損ねたらしいな」

 素早い山狗。その動きを制約する戦いの場へと誘い込んだまではよかったが、少しばかり考えが甘かった。自分の剛力を計算に入れていなかった。
 もっとも、それでも爪のひと掻き、あるいは腕のひと殴りにてたやすく相手を倒せるのだから、失態と呼べるほどのものではない。もしも相手がコハクでなかったのならば、だが。

 腕を思い切り打ち下ろせない。
 上からの攻撃にためらいがある。
 必殺にわずかばかりの綻びが生じる。
 それを見抜いたコハク。無闇に体を浮かすことなく、地表すれすれを滑るように移動しては、シャクドウの嫌がる場所へ場所へと。加えられる攻撃は腰から下に集中する。
 シャクドウを中心にしてまとわりつき、これを厭ってぶん回される腕をかいくぐっては、つむじ風のごとく深緑の刃を振るう。
 初手にて大胆にもいきなり首を刈りにいったとおもったら、一転して足まわりを削りにいく。それも無理して深く踏み込むことなく、つねに一撃離脱を心掛けて。けっして調子には乗らない。ただ淡々と切っ先を走らせるばかり。

 これにたいそうイラ立つシャクドウ。
 チョロチョロと動き回るのもうっとうしければ、払おうとした手をひょいとかわすのもうっとうしい。例えかすり傷程度とはいえ、それがずんずん増えていくのもうっとうしい。だがなによりもうっとうしいのが、そんな相手を思いっ切りぶん殴れないといういまの状況。いいようにしてやられている。そのことが何よりも許せない。
 瞬間、衝動が禍躬の身の内を駆け巡る。
 それは破壊衝動。
 禍躬を禍躬たらしめ、暴虐へと突き動かす渇望が爆発する。
 ぎらりと隻眼に宿る剣呑さ。
 目の色が変わったのを見咎めたコハクは、さっと回避行動をとる。
 直後に頭上より降ってきたのは破壊の塊。両の手を組んでの一打。まるで大金槌を振り下ろすかのごとき一撃。込められた力、殺意はこれまでの比ではない。

 気づいてすぐに身を引いたことにより、ギリギリそれをかわすコハク。
 そのすぐそばには固い岩場を叩き割ったばかりでは飽き足らず、深々とめり込んでいく禍躬シャクドウの両の剛腕の姿があった。
 もしも喰らえば背骨を砕かれ即終わっていたことであろう。

 衝撃により、足下に大きな亀裂が走る。水飛沫と石の破片らが盛大に飛び散る。岩棚そのものががくりと一段下がった。それは天然の石橋に致命的な傷を負わせた証拠。じきにこの橋は崩落する。
 四散する破片のひとつがコハクの頬をかすめて、わずかに切った。傷口よりじわりとにじむ血がつーっと垂れる。それを舌先にてぺろりと舐めたコハク。
 その時にはすでに駆けており、いっきに間合いを詰めていた。

 禍躬シャクドウの両腕はいま半ばまで地面に埋まっている。
 すぐには動けないと判断したコハクは、あえてその脇を駆け抜けて、相手の背後をとる。
 そこには第二の顔と第三の腕がある。
 かつての祝い山での戦い、そしていまの七之助山の五連滝での決闘を経て、コハクが導き出した答えは、「先にやっかいな背の眼と腕を封じること」であった。
 いまが好機、ここでそのふたつをまとめて刈り取る。
 そうすればシャクドウは、ただのデカいクマに成り下がる。あとはどうとでも料理できるとの算段であった。

 足が得意な相手がいれば、まずその足をどうにかする。
 翼が自慢の相手がいれば、まずはその翼を使えないようにする。
 体が大きいのが取り柄の相手がいれば、まずはその体を存分に動かせない場所へと誘い込む。
 牙に毒を持っている相手ならば、その口が開かないように抑えつけてしまえばいい。
 野生では各々が生き残るための術を身につけている。なにがしかに特化している。
 なのに相手の得意なことで勝負するのは、あまりにも無謀だ。
 いかに相手の能力を封じ、自分の能力を発揮するか。
 そこにどれだけ考えを巡らせ、工夫を凝らすのかが狩りの成否の鍵を握る。

  ◇

 初手にていきなり首を狙いに行ったことにより、またぞろ首を掻きくるかと警戒していた禍躬シャクドウ。
 コハクの狙いがちがうと気づいたときには、すでに霊の永遠白の深緑の刃が第二の首の間近へと迫っていた。
 急いで腕を抜こうとするも、もう遅い。
 首筋に食い込む刃、獲った!

 だがしかし、その時のことであった。

『コハク、コハクよぉ』

 ふいに自分の名前を呼ばれて、山狗がびくり。
 幾年月を経ようともけっして忘れようがない。とても懐かしい声。それはまぎれもなくかつての主人にして、育ての親であり、よき師であり、家族であり、相棒であり、伝説の禍躬狩りと呼ばれた男の声。
 声はすれども姿はなし。それもそのはずだ。
 声を発していたのは、いままさに刈られようとしていた背中の顔であったのだから。


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