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その百二十五 天の時、地の利
しおりを挟む流れにのって落ちてきた丸太。
五連滝の三段目、そこの岩棚にいた禍躬シャクドウは、これをひょいと引っ掴むなり、無造作に滝下めがけて投げた。水が染みて重くなっているはずなのに、まるで小枝でも拾うかのようにじつに軽々と。
ぐるぐる回転しながら飛ぶ丸太、向かう先には駆け登ってくる山狗の姿。
コハクは頭上より迫る障害物をちらり、タンッと脇へ軽く跳躍、これを難なくかわし、そのまま登り続ける。
その軽やかで力強い動きを見て「ほぅ、図体ばかりがデカくなったわけじゃないらしいな」とシャクドウ。あくまでその場からは動こうとしない。自分と戦いたくば、ここまでやって来いとの態度を崩さない。
はやくも二段目の滝を越え、岩棚を捉えたコハク。
ここでわずかに進路を変える。ずっと最短距離を突き進んでいたのにもかかわらず、やや外側に膨らんだ。
いったい何をするつもりか、禍躬シャクドウが首を傾げた瞬間。それは起きた。
滝の飛沫にて濡れた岩肌。とくにツルツルとなった場所へと山狗が差し掛かったところで、おもむろにその姿がかき消えてしまう。
だからとて実際に消えたわけじゃない。
雲間からのびてきた光の筋。それが鏡面のごとき箇所へと当たったことにより、ぴかりと強く反射。
刹那、山狗の行方を目で追っていた禍躬シャクドウの視界が白に埋まる。そのせいでコハクの姿が光に呑まれて見えなくなってしまったのだ。
目くらまし、すべては山狗の計算のうち。天の時を味方につけてのこと。
まぶしさを厭い、目元を手でこするシャクドウ。
それを横目にコハクは跳躍、いっきに岩棚へと到達する。しかし止まることなく疾駆、勢いのままに向かうは禍躬シャクドウのもと。
地を這うかのような低い姿勢のままに、頭をわずかに横に振る。その動作だけで首から下げてあった小太刀がカチリと鳴く。生じるのは鞘走り。抜き放たれた深緑の刃。星の欠片より鍛えられた霊の永遠白、その柄をくわえての一閃。
様子見なんぞはしない。
コハクは大胆にも初手から相手の首を獲りにいく。
いきなり懐へと飛び込んでからの、振り上げ。
もしもそのまま決まっていれば、ストンと首が落ちていたことであろう。
とっさに上半身をひねり、迫る刃の切っ先をからくもかわす禍躬シャクドウ。
すぐさま「お返しだ」とばかりに、六本爪による斬撃をお見舞いしようとするも、腕を動かそうとしたとたんに肩口に走った激痛、「うぐっ」と顔を歪める。
たしかに刃による一撃はかわした。けれどもコハクの武器はそれだけじゃない。山狗には鋭い爪もあれば牙も揃っている。それはときに火筒の玉をすら耐え忍ぶ、強靭な禍躬の肉体を引き裂くほどの威力を秘めている。
一の太刀をかわしたとおもったら、間髪入れずに爪での二の太刀が炸裂。
傷の深さはさほどではないが、不覚をとったことにイラ立つ禍躬シャクドウ。
「ええぃ、しゃらくさい!」
怒りのままに左の剛腕を振っての裏拳。ぶぅんと横薙ぎ。
いまだ宙にいる山狗を叩き落そうとした。
だがこれをうしろの足裏にて器用にも受けたコハクは、相手の膂力を利用して間合いを確保。ひらりと少し離れた場所へと軟着陸する。
にらみ合う両雄。壱合目の打ち合いは、山狗に軍配があがった。
◇
三段目の滝の前方を渡すように存在する岩棚。
天然の石橋のごとき場所。
片側からは絶えず轟々と水が流れ落ちる音、飛沫が降り注ぎ、足下は濡れて苔むしており滑る。もう片側は落ちたら滝つぼへと真っ逆さま。もちろん転落防止の柵なんぞはない。だが何よりも難儀なのが幅が中途半端なこと。
禍躬としては小型の部類に入るとはいえ、それでもクマよりもずっと大きな巨躯であるシャクドウ。それがデンと居座るだけで、ほぼほぼ空間が埋まる。左右にわずかに残る隙間、山狗の身なれば駆け抜けることは可能だが、さなかに体当たりでもされたらたちまち宙へと放り出されることであろう。
隻眼のシャクドウ、コハクを見下ろしながら無事な左目を細める。
わかっていて、あえてこの場に居座っていたのだ。山狗を招き入れるために。
先ほどはコハクが天の時を味方につけたが、今度はシャクドウが地の利を味方とする。
逃げ場のない一本橋。
正面から打ち合うしかない。
右の剛腕により風が轟っとうなる。六本の黒爪が宙を斬り裂く。
それを回避したとおもえば、続けて左の剛腕によるすくい上げ。地面を抉りながら迫るこれをもかわしたところで、反撃といきたいところだが、さらに背中より生えた第三の剛腕が暴れる。
その腕すべてが六本爪にて、さながら大刃のごとし。
対するコハクにあるのは口にくわえた小太刀がひと振りのみ。
三刀流と一刀流が幾度も交差し、黒と緑の閃きが乱舞。戦いはいよいよ激しさを増していく。
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