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その百二十三 赤涙川
しおりを挟むひたすら島の中心部を目指していたコハクであったが、眼下の光景におもわず足を止める。
「なんだこれは?」
七之助山の方面から流れてくる川。
幅はさほどではない。せいぜい五丈程度。山狗ならば助走をつければ楽々跳び越えられる。ただし流れが急だ。地面の傾斜がきついせいもあるだろうが、地形が小さな滝がいくつも連なっているようになっており、段々を落下するごとに水が勢いを増している。小川と呼ぶにはいささか荒々しい。長い体を持つ竜が地面をのたうち回っては暴れているように見える流れ。
しかしコハクの目を惹いたのはそこではない。
川の水が紅く染まっていた。
時間帯や季節によっては朝陽や夕陽が差し込んで、滝や川が燃えているかのように見えることがある。だがこれはそれとはちがう。正真正銘、水そのものの色が変わってしまっているのだ。
上流にて戦いがあったのか?
またぞろ人間どもが無謀な戦いを挑んだのやも。
そんなことを考えながら川へと近づくコハク。しかし鼻先をかすめたニオイにより、これが大量の屍より流れ出た血のせいではないことに気がつく。
「ほんのり鉄のニオイがする。これは……、もしかして岩から染みでたものが川の水に混じっているのか」
雪が解けて、冷たい水となり、川の流れとなるように、岩の中の鉄が溶けたがゆえに川が紅く染まっているとコハクは推察する。
それは正解であった。
数年に一度、不定期にて起こるこの現象。短ければ三日、長ければ十日ほども続く。かつては不吉の前兆だと恐れられていた時期もあったが、学者の研究により正体が判明してからは、悪戯に騒ぎ立てることもなくなった。これはこういうものなのだと、みな受け入れた。
その上で宝雷島に住まう人間たちはここを赤涙川と呼び、その期間は鉱山を封鎖し、何人も山に立ち入ることを禁じ、鉱夫ら共通の休息日とする慣わしとなっていた。
「この川をさかのぼれば、あの山へ、やつのいるところへ行ける。水のニオイはちょっと不快だが、だからとて鼻がきかなくなるほどでなし。よしっ」
コハクはすぐさま川沿いを上りはじめる。
足下は石だらけの河原にてゴツゴツしており、とても歩きにくい。うっかり足首を痛めないように注意しつつ、慎重に、でも極力急いで進む。
◇
コハクが川沿いを進み七之助山を目指していた頃。
ずっと下流域にいたのは合流し補給と休息を済ませた緒野正孝、南部弥五郎、その相棒の山狗ビゼン、旗下の山楝蛇の隊員ら。それとここまでの道案内である西街の元締めの火乃。
異様な川の色を前にして目を丸くする一同に、火乃が得々と赤涙川のことを語って聞かせる。
「なるほどそんなことが。さすがは豊かな資源を誇る宝雷島だけのことはある」
「あぁ、つい金銀や宝石類などの派手な方にばかり目がいきがちだが、ここの鉄は良質だと聞いたことがある。なにせずっと西方の湖国にも少量ながら出回っているほどだからな」
緒野正孝と南部弥五郎が感心していると、火乃が心配そうにたずねる。
「でも、本当にここを登っていくのかい? 案内しておいてなんだけど、沢のぼりの名人ですらも、途中で根をあげる難所続きだよ。川の水の色が変わっている間は、ニオイを嫌って獣らも近寄らないから襲われる心配はないけど、それを抜きにしてもかなりキツイよ。山師どもも一度行ったら二度はごめんだって言う話さ」
山師(やまし)とは鉱脈を探す者らのこと。職業柄、年がら年中、大半を山の中で過ごし、険しい山へと分け入っては、そこいらをひたすらほっつき歩く。狩人や鉱夫とはまたちがった屈強さや忍耐力が必要とされる仕事。
そんな連中が泣き言を口にするような経路。それが赤涙川沿い。
谷もあれば崖もあり、背の高い滝を登ることも。上へと進むほどに地形が荒れ、大岩がごろごろにて、途中、水に浸からねば進めぬ場所もある。
ばかりか上流の天気次第では、急に水かさが増したり、ときには激しい出水が起こることさえもある。押し寄せる土砂混じりの濁流、もしも巻き込まれたら人間なんてひとたまりもない。
そして困ったことに宝雷島は、その名の由来となるほどに雷が多い地域にて、空が機嫌を損ねたとおもったら、天気が崩れることもしょっちゅう。
だがしかし、ここを突破すれば最短距離にて七之助山へと向かえる。
男たちはとっくに覚悟を決めていた。
これを翻意させることは到底無理だと悟った火乃は肩をすくめて「わかったよ、もう何も言わない。でもきっと死ぬんじゃないよ」
緒野正孝ら一同はその言葉にうなづく。
かくして出発した男たち。行軍の足どりは力強く、その背を見送る火乃の姿がどんどんと遠ざかっては小さくなっていった。
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