116 / 154
その百十六 角
しおりを挟む禍躬狩り南部弥五郎と禍躬ギサンゴ。
現時点でのお互いの距離は八十五間ほど。
新式火筒・可変忠吾式の有効射程距離はおよそ百と八間。
ただしこれは天候や風などの諸条件に恵まれた状況下での話。そして相手が禍躬に限定してのこと。もしも人や他の獣に向けたのならば、おそらく二百間を越えても殺傷能力を維持するであろう。
この土砂降りの雨の中、ひねくれた風が吹く谷間となれば、いかに南部弥五郎の腕を持ってしても限界値を叩き出すのは難しい。ゆえの差し引き二十三間分。
放たれた弾が雨の幕を切り裂く。激しい螺旋回転にて、水飛沫をあげながら突き進んでゆく。
南部弥五郎が狙ったのは、自分の方へと跳ね駆けてくる禍躬ギサンゴの眉間。
弾は貫通性の高いもの。いかに硬い頭蓋骨を持つ禍躬とて、まともに喰らえばただではすむまい。
本当ならば物陰に潜んでやり過ごし、側面から禍躬を仕留めるときの定番である目元を狙いたかったのだが、牡鹿が成ったギサンゴの両目の位置は草食動物のそれに準拠しており、正面からでは狙いにくかったのである。
一撃で決めるつもりで放たれた火筒。
しかし相手は獣の理からはずれた存在。
これで倒せるだなんぞという甘い考え、南部弥五郎にははなからない。禍躬は強い。千差万別にてひと筋縄ではいかない。つねに人間の想定の上を越えてくる。圧倒的な力の差、脅威を見せつけてくる。そんな相手に立ち向かう以上は、こちらも相応の腹積もりでいないと、たちまち足下をすくわれる。
すると案の定であった。
南部弥五郎が引き金をひき、弾き金が作動するときに立てるカチンというわずかな音。
これに禍躬ギサンゴがぴくりと反応。耳は雨音にて埋め尽くされているはずなのに、異音に気がつく。
自身へと迫ってくる危険を敏感に察知。移動速度はそのままにとっさに頭を下げたもので、弾が当たったのはギサンゴの左角の根元近くの太いところ。
チュィィン!
甲高い音が鳴る。
角の表面にわずかなヒビが入り少し欠けたのみ。
弾は後方へとそらされてしまった。
とたんに雨の渓谷内に充ちたのは禍躬の威圧。怒気が目には見えない濁流となって、南部弥五郎へと押し寄せる。気の弱い者であれば、それだけで心臓が止まりそうなほどの殺意を孕んでいる。
だが南部弥五郎はその場を動かず。一切逃げる素振りはみせず。腹ばいのままにて、ただ手元にてすばやく次弾を装填したかとおもえば、ふたたび遠眼鏡を片目でのぞき照星を目標へと向けて合わせることに集中。
そしてふたたび引き金をひく。
第二射を放つ刹那のこと。
遠眼鏡のガラス越しに禍躬と禍躬狩りの目が合う。
瞬間、禍躬ギサンゴの姿が遠眼鏡の中から消えた。
直進を続けていたギサンゴが急に左へと大きく跳躍、最寄りの大きな岩を足場にしたかとおもえば、今度は反対側へと跳ねる。天嶮をものともしない健脚による得意の俊敏さを発揮して、まるでかみなりのような軌道にて駆けだす。
動きを変えたギサンゴ。
放たれた弾は雨幕の彼方へと虚しく消えた。
「撃つ呼吸を読まれた? あるいはよほど耳がいいのか」
独りごちながら装填作業をすませる南部弥五郎。
この時点ですでに禍躬ギサンゴは、およそ五十間ほどの距離にまで迫っていた。
身を起こし片膝立ちの姿勢となった南部弥五郎、しかしやはりその場からは一歩も動かず。
顔は迫り来る禍躬を見据えながらも、手元を動かし火筒・可変忠吾式の組み換えを実施。たちまち長距離仕様から中距離用へと換装完了。
これは彼および彼が率いる山楝蛇の隊員たちならば、みなできること。目隠しにて火筒の分解組み立てを、わずかな時間でも行えるようにと繰り返し鍛錬したがゆえの賜物。
「やれやれ、囮役としてはまずまずの働きだが、このまま跳ね飛ばされたのでは部下たちに少々示しがつかないな」
つぶやきながら南部弥五郎は遠眼鏡を筒身よりはずし、懐へとねじ込む。
「小夜には悪いが、最後に頼りになるのはやはり己の目だな。どれ」
やや薄目となり、一点ではなくて全体を面として捉えるように視界を作った南部弥五郎。「ふぅ」と軽く息を吐き、肩の力を抜いてから第三射を放つ。
狙うは禍躬ギサンゴの左角。
岩場を駆ける俊敏な動きに惑わされることなく、狙いあやまたず。
弾が当たったのは先に傷をつけたのと寸分たがわぬ箇所。
禍躬ギサンゴの名前の由来となった珊瑚色の角。雄々しく枝葉を広げるその姿はたいそう見事。ときに人心を狂わす魔奏を放つ恐ろしいモノであり、自身を守る武器でもあり、とても強固だ。
だがその硬さが逆に弱点となることもある。ときに小さな穴が堤を崩壊へと至らせることがあるように、いったん傷がつくと案外モロいもの。
表層を削られ、ほんのわずかながらもあらわとなっていた角の内部。
そこに南部弥五郎の針の穴を貫くかのごとき精密射撃が容赦なく突き刺さる。
実際に破壊できたのは三分の一程度であろう。
だがそこに角そのものの自重、根元という場所などの事情が加味されることで、破壊は留まることを知らない。
不穏かつ致命的な軋み音がしたとおもったら、あっという間に傾いでボキリと折れた角。
全力に近い状況にて、激しく飛び跳ねて駆けていた禍躬ギサンゴ。いきなり左角を失いぐらりと大きく体勢を崩す。なんとか建て直そうとするもうまくいかない。ふらついたとおもったらそのまま足をもつれさせて派手に転倒。
けれどもこの時点で、すでに南部弥五郎との距離は十間を切っており、すぐそこにまで肉塊が迫っていた。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
こちら第二編集部!
月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、
いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。
生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。
そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。
第一編集部が発行している「パンダ通信」
第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」
片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、
主に女生徒たちから絶大な支持をえている。
片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには
熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。
編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。
この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。
それは――
廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。
これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、
取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。
お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
【完結】カミサマの言う通り
みなづきよつば
児童書・童話
どこかで見かけた助言。
『初心者がRPGをつくる時は、
最初から壮大な物語をつくろうとせず、
まず薬草を取って戻ってくるという物語からはじめなさい』
なるほど……
ということで、『薬草を取って戻ってくる』小説です!
もちろん、それだけじゃないですよ!!
※※※
完結しました!
よかったら、
あとがきは近況ボードをご覧ください。
***
第2回きずな児童書大賞へのエントリー作品です。
投票よろしくお願いします!
***
<あらすじ>
十三歳の少年と少女、サカキとカエデ。
ある日ふたりは、村で流行っている熱病の薬となる木の葉をとりにいくように、
カミサマから命を受けた。
道中、自称妖精のルーナと出会い、旅を進めていく。
はたして、ふたりは薬草を手に入れられるのか……?
***
ご意見・ご感想お待ちしてます!
転校生はおにぎり王子 〜恋の悩みもいっちょあがり!~
成木沢ヨウ
児童書・童話
「六原さん、好きなおにぎりの具は何?」
ある日、小学五年生の六原 サヤ(ろくはら さや)のクラスに、北海道からの転校生、若佐 隼斗(わかさ はやと)がやって来た。
隼斗の実家は北海道で有名なお寿司屋さんで、お店の東京進出を機に家族で引っ越してきたらしい。
お寿司屋さんの息子なのに、何故か隼斗はおにぎりを握るのが大好き。
隼斗が作るおにぎりには人の心を動かす力があり、クラスで起こる問題(特に恋愛関係)をおにぎりで解決していくのだった。
ひょんなことから、サヤは隼斗のアシスタントとして、一緒に”最高のおにぎり”を追い求めるようになり……。
いろんなおにぎりが登場する、笑って泣けるラブコメディ!
完結《フラワーランド》ありさんと読めそうで読めない漢字
Ari
児童書・童話
スマホで調べれば簡単な世の中だけど、スマホがないと漢字が読めない書けないが増えていませんか?
ボケ防止の暇つぶしに、おばあちゃん。おじいちゃん。お子さんなどなど。みんなでどうぞ!
読めたら楽しいを集めてみました!
天使くん、その羽は使えません
またり鈴春
児童書・童話
見た目が綺麗な男の子が、初対面で晴衣(せい)を見るやいなや、「君の命はあと半年だよ」と余命を告げる。
その言葉に対し晴衣は「知ってるよ」と笑顔で答えた。
実はこの男の子は、晴衣の魂を引取りに来た天使だった。
魂を引き取る日まで晴衣と同居する事になった天使は、
晴衣がバドミントン部に尽力する姿を何度も見る。
「こんな羽を追いかけて何が楽しいの」
「しんどいから辞めたいって何度も思ったよ。
だけど不思議なことにね、」
どんな時だって、吸い込まれるように
目の前の羽に足を伸ばしちゃうんだよ
「……ふぅん?」
晴衣の気持ちを理解する日は来ない、と。
天使思っていた、はずだった――
\無表情天使と、儚くも強い少女の物語/
普通じゃない世界
鳥柄ささみ
児童書・童話
リュウ、ヒナ、ヨシは同じクラスの仲良し3人組。
ヤンチャで運動神経がいいリュウに、優等生ぶってるけどおてんばなところもあるヒナ、そして成績優秀だけど運動苦手なヨシ。
もうすぐ1学期も終わるかというある日、とある噂を聞いたとヒナが教えてくれる。
その噂とは、神社の裏手にある水たまりには年中氷が張っていて、そこから異世界に行けるというもの。
それぞれ好奇心のままその氷の上に乗ると、突然氷が割れて3人は異世界へ真っ逆さまに落ちてしまったのだった。
※カクヨムにも掲載中
両親大好きっ子平民聖女様は、モフモフ聖獣様と一緒に出稼ぎライフに勤しんでいます
井藤 美樹
児童書・童話
私の両親はお人好しなの。それも、超が付くほどのお人好し。
ここだけの話、生まれたての赤ちゃんよりもピュアな存在だと、私は内心思ってるほどなの。少なくとも、六歳の私よりもピュアなのは間違いないわ。
なので、すぐ人にだまされる。
でもね、そんな両親が大好きなの。とってもね。
だから、私が防波堤になるしかないよね、必然的に。生まれてくる妹弟のためにね。お姉ちゃん頑張ります。
でもまさか、こんなことになるなんて思いもしなかったよ。
こんな私が〈聖女〉なんて。絶対間違いだよね。教会の偉い人たちは間違いないって言ってるし、すっごく可愛いモフモフに懐かれるし、どうしよう。
えっ!? 聖女って給料が出るの!? なら、なります!! 頑張ります!!
両親大好きっ子平民聖女様と白いモフモフ聖獣様との出稼ぎライフ、ここに開幕です!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる