山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その百十二 侮蔑の遠吠え

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 無人の西街を歩くのは山狗のビゼン。
 近くの路地に入ったところで、いきなりの跳躍。右の壁を蹴り、左の壁を蹴り、また右の壁といった具合に交互にシュタシュタシュタ、軽快にその身が宙を踊る。
 こうして適当に選んだ小高い建物の屋根へとあがったかとおもえば、天を仰ぎ背をそらしつつ、いきなり遠吠えをはじめた。
 凛とした声。雄とはちがうのびと艶を含む。だからとて声量が劣ることはなく、むしろ迫力でも勝るほど。

 ウォオォォォォーン。
  ウォオォォォォーン。
   ウォオォォォォーン。

「私は禍躬狩り弥五郎が相棒の山狗ビゼン。私はここにいるぞ。出てこい、誇りを失った哀れな禍躬よっ!」

 ビゼンはめいっぱいの侮蔑の想いを込めて叫ぶ。
 禍躬とは本来、唯我独尊の存在。他者を認めず、ただ己のみが天地の狭間に君臨している。そう考える傲岸不遜な生き物。孤高にして絶対の強者。死を運ぶ者。
 それがあろうことか同じ禍躬の下についた。
 これを指して「情けない」とビゼンは切り捨てる。
 いままで弥五郎とともに何体もの禍躬と対峙してきたビゼン。みな手強く、ひと筋縄でいくような相手はただの一体とてなかった。苦境に立たされたこと、傷を負わされたこと、追い詰められたこととて一度や二度ではない。
 所業こそは悪鬼羅刹にて、行く先々にて血と死と嘆きをばら撒く。とても許容できるものではない。
 だが、最後の最後までけっして生きることを諦めない、命の灯火が消えるまでけっして衰えることのない闘志についてだけは、尊敬の念を感じる。

 かつてはジャナイとギサンゴもそうであったはず。己こそが島の支配者だと、ことあるごとにぶつかっていた。
 なのに復活した禍躬シャクドウ、その圧倒的力を前にするとあっさり首を垂れ恭順した。
 戦って死ぬことよりも、おこぼれを頂戴して生き残ることを選んだ。
 それはこれまでジャナイとギサンゴが踏みにじり、喰らい、蹂躙してきたすべての命に対する冒涜以外の何者でもない。
 矜持を捨てた禍躬は、もはや禍躬にあらず。
 ビゼンにはそれがどうしても許せない。

  ◇

 この街のどこかに潜んでいるであろう禍躬ジャナイに、あえて自分の存在を誇示し、侵入者のあることを教えるビゼン。

 閑散としている街中に山狗の声がよく通り響く。

 ほどなくしてビゼンの首のうしろの毛がやや逆立つ。

「ようやく穴倉から出てきたか」

 それに前後してどこか寒々しくて虚ろであった街の空気が一変、ピンと張り詰めたものとなる。
 ぐんぐんと高まる緊迫感。
 禍躬ジャナイがあらわれ、そして自分の方へと近づいてきている。
 肌でそれを感じたビゼンは長い鼻筋を動かしては、しきりにスンスンする。読んでいたのは風の動き。敵は毒煙を使う。いかに山狗とて毒をまともに喰らってはたまらない。

 屋根の上から眼下を睥睨していたビゼン。その視界の隅が建物の陰を這う蛇体の一部を捉えたところで、ダッと駆け出す。
 わざわざ自分から屋根より飛び降り、あえて相手のいる方へと向かう。
 獲物が向こうから来てくれたもので、しめしめとかま首をもたげるジャナイ。

「ふん、山狗風情が生意気なっ。あの御方を侮辱するとは万死に値する。ひと呑みにして腹の中で苦しめながらじっくり溶かしてやろうぞ。いや、それとも四肢を噛みちぎって、みじめな芋虫にしてやろうか」

 鷹揚に迎え撃とうとするジャナイ、しかし両者がぶつかる寸前のこと。
 ふいにビゼンが直角に曲がって方向転換。
 先ほどの威勢もどこへやら。鼻先をかすめて逃げ出した獲物。ここのところ人間ばかり食べていたもので、そろそろちがうものが食べたいと考えていたジャナイ、おのれ逃がしてなるものかと追跡を開始する。
 かくして始まった山狗と禍躬の追いかけっこ。
 ビゼンの行動はもちろん禍躬ジャナイを街の外へと誘い出すため。
 ただしいきなり門の外へと向かっては、さすがにこちらの意図に気づかれてしまう。そこで風上を選びつつ、適度に挑発を繰り返しながらビゼンは駆けていた。

 西街は建物と路地が複雑に入り組んだ迷路のような場所。
 はじめて訪れた者がうっかり横道にそれたりしたら、十中八九迷う。いやさ、ここで産湯を浸かった者ですらも、すべてを把握しているかはちと怪しい。
 ゆえにふつうであれば迷いそうなものではあるが、さいわいなことに風の流れが街の出口の場所を教えてくれる。
 かつて禍躬ジャナイが毒煙を街中に蔓延させるためにと利用した風の流れ。それを今度はビゼンが利用する。

 とはいえビゼンとてけっして余裕があるわけじゃない。
 禍躬ジャナイ、おもいのほかに動きが機敏であった。その身をくねらせ、するする滑るように地面を這い移動してくる。堅い石畳の上を移動すれば、自重もありこすれて肌を痛めそうなものなのに、その気配が微塵もない。それもそのはず。藁で編まれた玩具のような体、首下の器官から分泌される体液が潤滑油のような役割りを果たしており、これにより体への負担を軽減し、なおかつ移行速度を補助していたのである。

 対するビゼンは、焦ってうっかり袋小路に飛び込めばおしまい。
 路上に放置されたものが障害物になることもある。
 あるいはどちらに曲がるかという刹那の選択にわずかにでも戸惑ったりすれば、追跡者にあっという間に距離を詰められてしまう。
 つねに風の流れに気を配り、地形にも注意しながら、無防備に敵へと背中を晒しては、適度な距離を保つのは至難の技。
 なみの山狗ではこうはいかない。胆力が続かない。集中力がもたない。心が折れ、尻尾がさがる。
 ビゼンなればこそ可能なことであった。


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