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その百八 葉魚

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 これは山狗のコハクが宝雷島へと出立するより少し前のこと。
 陸地を左手に眺めながら、北へと向かって海原をひた走っていたのは紀伊国の誇る新造軍船・葉魚(はうお)。
 船の名前の由来は海でも屈指の速さを誇る魚、尖った角と長い背びれが特徴的なバショウカジキである。この魚は地域によって呼び名が変わり、紀伊国付近では葉魚と呼ばれている。
 他の追随を許さない推進力にて波を斬り裂き突き進む。その勇姿から名付けられた。
 ふだんは紀美水軍の預かりとなっており、湖国と紀伊国との航路の安全を守る護衛船として運用されているが、宝雷島へとおもむくにあたり使用を許可される。

 船を任されているのは伊瑠。
 彼女は緒野家に嫁ぎ将軍夫人となっただけでなく、その経歴から紀美水軍と国との仲を取り持つ役目をもおおせつかっている。
 夫の正孝ともども、伊邪王よりの信任厚く、お膝元の都では「新海姫山彦」なんぞと揶揄されるほどの名物夫婦。

  ◇

 船員ら相手に威勢のいい檄を飛ばす船長の伊瑠。
 その姿をまぶしそうに見つめながら「あいかわらずだな、正孝殿のところの奥方は」と呆れ半分、感心半分であったのは南部弥五郎。
 今回の北への遠征、湖国と紀伊国は合同でことに当たると早々に決めた。
 というのもかつて湖国を苦しめた禍躬シャクドウ。あの騒動のおりに、尽力したのが縁となって以来、結びつきを公私に渡って強めてきた両国。近々のうちには、湖国より姫が伊邪王のもとへと輿入れしてくることにもなっている。
 そんな矢先に因縁の相手が復活したという報せが届く。
 両国の明るい未来とますますの発展のためにも、後顧の憂いはここで断つ所存。

 南部弥五郎の言葉に「お恥ずかしいかぎりで」と頭をぼりぼりかいたのは緒野正孝。

「どうにも海賊の血が騒ぐようで、海に出たらいつもあんな感じだ。奥方といえば、そちらの小夜さまはかわらずご健勝であろうか」
「あぁ、おかげさまでな。とはいえ、あいかわらずの出不精でちと困る」

 小夜とは弥五郎の妻にて、彼が婿養子に入った南部の一族の女性。
 世のお嬢さまらが反物や飾り細工なんぞにいろめき立つというのに、それらにはとんと興味を示さず。ひがな一日、奥に引っ込んでは読書三昧。かとおもえば、いきなり工房に篭ってトンカントンカン、物づくりに励む。そうして出来た品が玄人裸足なのだから、なんとも悩ましい。
 変わり種。どうにも扱いに困って持て余していたところに、ふって沸いたのが弥五郎との縁組。救国の英雄が婿に来てくれる。すっかり諦めていた小夜の両親がどれほどよろこんだことか。

 で、どうなるものかと周囲が気を揉むも、いざ、蓋を開けてみたらこの縁組は正解であった。
 異性にはたいして興味がなかった小夜も、弥五郎が連れている山狗のビゼンにはキャキャッと抱きつき、持っていた禍躬狩り用の火筒や道具類にはなみなみならぬ興味を示す。ばかりかその場で勝手に火筒の解体をはじめたもので、弥五郎があわてて止めるといった一幕も。

 で、請われるままにあれこれと弥五郎が説明すると、たちまち火筒のからくりやら、運用方法なんぞを理解してしまう小夜。
 どうやら自分の妻となる女性は、かなり頭の出来がいいらしい。
 気づいた弥五郎は「それならつねの女房らしさは期待すまい。そのかわりにべつの方面で内助の功を頼もう」と決めた。

 その成果を今回の遠征にも連れてきている。
 湖国が誇る対禍躬専門部隊・山楝蛇(やまかがし)。
 弥五郎が手づから育てた精鋭二十名、全員が禍躬と闘った経験を持ち、装備しているのは新式の火筒。その名も可変忠吾式。
 新式の原案は伝説の禍躬狩りの男が残した資料。
 生前、忠吾はこれまでの火筒を踏襲しつつ、新たな境地を模索していた。基礎理論はあらかた完成していたものの、技術面がおよばず、ついには実現させることがなかったもの。
 それを弥五郎が受け継ぎ、小夜の知識と技術、湖国の財力を惜しみなく注ぎ込み、ついに実用化へとこぎつけた。

 可変忠吾式火筒、その特徴は圧倒的汎用性の高さ。
 状況に応じて部位を組み替えることで、長、中、短距離に対応。また火薬や弾も従来の品とは一線を画しており、悪天候下でも運用可能となっている。他にもいくつもの工夫が施されており、これまでの火筒の数世代は先をいく武器に仕上がっている。

 そんな山楝蛇の隊員らは、みな船室にて道具の手入れに余念がない。

「武器といえば、正孝殿も槍を新調したのだな? ひょっとしてそれが例の」
「あぁ、ようやく隕鉄が手に入ったもので、特注で作らせた」
「ほう、あれを満足に扱える者がいたのですか」
「ええ、方々に伝手を頼っているときに、たまさか風の民という各地を放浪している鍛冶師集団と知己を得ましてな」
「それは上々……後学のためにも、ぜひ拝見したいのですが」
「かまいませぬよ。ただし、少々重たいのでお気をつけください」

 緒野正孝から槍を手渡された南部弥五郎は、とたんに両腕へとかかった重みに目をむく。彼とて火筒片手に山河を駆け巡っているがゆえに、体力には自信がある。だがそれをもってしても、ズシリとくる。いくら槍全体が隕鉄によって作られてあるとはいえ、見た目以上の重量。うっかり足の上に落とせば甲の骨ぐらいたやすく砕けるやもしれぬ。
 鞘をはずすとあらわとなるは深緑色の穂先。
 吸い込まれそうな深い緑。不思議な色味を前にして、南部弥五郎がたずねる。

「して、銘は?」

 すると緒野正孝はこう答えた。

「天霊矛(あまのたまほこ)」と。

 それがこの槍を打ってくれた女鍛冶師より告げられた銘であった。


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