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その百七 渡し守

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「待たせたのぅ。ようやく準備が整った」

 フクロウより報せを受けて、コハクがおもむいたのは最寄りの川を下った河口近くの浜辺。かつては小さな漁村があって人間たちが暮らしていた時期もあったのだが、潮の流れに見放されたらしく、不漁続きとなり、ついには誰もいなくなってひさしい。いまでは倒壊寸前の廃屋が数軒残るばかりとなっている。
 そこがフクロウから紹介された「海の知り合い」とやらとの待ち合わせ場所。

 廃村の入り口にて鼻先をスンとさせたコハク。
 吹き抜ける海風が、ここには誰もいないことを教えてくれる。
 だから安心して足を踏み入れる。
 家屋の残骸には見向きもせずにコハクが向かったのは砂浜。
 近づくほどに耳に届く潮騒が大きくなっていく。

 コハクの耳がピクリ。立てた耳が波の音にまぎれて、聞きなれない音を拾う。「キュイキュイ」と甲高い音。動物の鳴き声らしい。

「あれか、例の知り合いとやらは……」

 声のする方へ向かうと、そこには浜にほど近い浅瀬に浮く一艘の小舟の姿があり、そのすぐ向こうには三つの背びれが、海面をぐるぐる走っている光景があった。
 とたんにコハクの目元が険しくなる。見覚えがある。かつて闘ったことがある鮫に似たシロモノ。海の暴君イッカクとその旗下のフカども。
 そのことを思い出して、自然と全身の毛が逆立ちそうになったときのことであった。

 ざばんっ。

 勢いよく海中から飛び出した何者かが、宙にてくるんと一回転しては、そのまま頭からきれいに着水し、水柱をあげた。生じた水飛沫が陽光を受けてきらり、虹が出る。
 これを皮切りに、他の二頭もどうように交互に跳ねては、「待ってたよ~」「待たされたよ~」「待ちくたびれたよ~」との歓迎の意を示す。

 フクロウが紹介してくれた渡し守は、陽気なイルカの三兄弟。

「この舟をボクたちで引っ張って宝雷島まで行くよ~」
「食べ物は自分で用意して。でもお魚なら捕ってあげるよ~」
「飲み物なら、その辺に生えているヤシの木の実がオススメ。甘くておいしいよ~」

 嵐のおりに海へと流れ出しては、そのまま漂流していた小舟を拝借してきたというイルカたち。なにせ広大な海には漂流物がいっぱい。探せばわりとあちこちにあるそうで、その中から頑丈そうなのを選んで、ここまで運んでくるのに少々手間取ったのが、待たされた理由。

 それはありがたいことなのだが、これまであまり自分の近くにはいなかった調子のイルカの三兄弟に、コハクはいささか戸惑いを禁じ得ない。
 それでも指示されたとおりに、出港の準備を始めた。

  ◇

 翌早朝、朝靄が煙る中、ヤシの実や芋などをたくさん積んだ小舟は、誰に見送られることもなく静かに船出した。
 波穏やかにてこの分では、さほど苦労することなく進めそうだとコハクが安堵したのもつかのま。
 ずんずんと陸地から遠ざかったところで海の色が変わったかとおもったら、急に舟がぐらりと横揺れ、コハクはあわてて四肢を踏ん張る。
 するとそんな山狗の乗客にイルカの三兄弟たちが告げる。

「このあたりはまだまだマシだけど、島の周囲になると、けっこう荒れているから覚悟してよ~」
「上下左右にがんがん揺れるから、立っているよりも伏せて船床に張りついているのがいいよ~」
「ちなみに旅程は六日ぐらいかかるかも~」

 宝雷島までヒトの船だと最寄りの港から三日とはかからぬ距離のはず。
 それが倍となるのは、自分たちがヒトじゃないから。彼らが使っている航路は使えない。うっかり見咎められたら面倒になる。だから大きく迂回し、なおかつ上陸するのにもあちらの港をさけて島の裏側からとなるがゆえの、この旅程。
 どおりで多めに食料を積めと言うはずだ。納得したコハク。そこにまたしても強めの横揺れがきたもので、コハクは意地を張ることなくすかさず床に伏せた。


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