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その百六 宿縁
しおりを挟むいまだヒトという生き物の立ち入りを拒んでいる未開の山奥。
自然が自然のままにある世界。
夜の森にて爛と光るふたつの金色の目。
木の上にて「ほぅほぅ」と鳴くのは一羽のフクロウ。
フクロウが「やはり宝雷島に行くのか」とたずねれば、同じ木の根元にて横になり体を休めていた山狗が顔をあげることもなく、「ああ」とだけ答える。
「ならば海を渡る手段が必要となるな。なにせおぬしは風のように大地を駆けられるが、空を自在に飛ぶツバサはないのだから」
「………………」
「ヒトの船ならば三日とかからぬ距離とはいえ、いかにおぬしとてさすがに泳いでは渡れまい。よしんば渡れたとして海の荒波でもまれたあとでは、すっかりくたびれてしまっており、きっとろくに戦えまいよ。なにより首からさげている小太刀が潮水にやられてダメになってしまう」
「それは困る」
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するとフクロウが「ほぅ」と目を細める。
「どれ、コハク殿にはこの地を苦しめていた禍躬を払ってもらったことだし、わしの方で島へと渡る手段を用意してやろう」
「用意する? よもや大鷲にでも頼むのか、それともカラスども。どちらにせよ、いまのおれの身体はとても持ちあげられまいよ。ガキの時分ならばともかく、いまではすっかり大きくなって重くなってしまっているから」
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「海の知り合い?」
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「わかった、頼む」
「まかされた。しばし休養をとり、朗報を待つが良い」
言うなりばさりと羽音がして、木の上よりフクロウの姿が消えた。
コハクはしばし森の夜陰の彼方へと遠ざかっていく気配を耳で追っていたが、じきに顔をおろし、ふたたび瞼を閉じる。
一見するとおちついているように見えて、その実、内側では血が沸き立つのを押さえるのがたいへんであった。
湖国の祝い山、その麓に出現した奈落。
地の底を流れる黒い奔流に呑み込まれ、どこをどう流されたのかわけがわからぬままに、コハクは海へと吐き出されて、最寄りの海岸へと打ち上げられた。
たまさかオウランという白狼に救われコハクは命拾いをした。
しかし自分の主人であった忠吾は黄泉へと旅立った。それは山狗としての本能が、魂が、血が教えてくれた。
でもずっと頭の片隅に懸念があった。
それは「禍躬シャクドウは本当に死んだのか?」ということ。
自分がこうして生きているということは、相手にも同じことがいえるのではないのか。
なにより獲物を仕留めたときに得られる高揚感がまるでない。
相手の魂の一部が自分の中へと流れ込んでくるような、不思議な感覚。殺めた命、それを背負う重み、血と血が交わりより濃くなっていく、宿る熱、決意、覚悟……。
そういったものがまるで感じられない。自分にとって大きな存在であればあるほどに、難敵であればあるほどに、それはよりいっそう強く感じられるもの。
だからずっと「もしや」と考えていた。
繭玉山を去ってからのこの十年。
禍躬の噂を耳にするたびに、現地へと赴いてはこれを狩るをくり返す生活。
ときには人間の禍躬狩りや、その相棒の山狗や黒翼と遭遇することもあったが、コハクはそれらを無視し、けっして交わろうとはしなかった。
そうやって単身にてずっと戦い続けてきたことで、気づけばかつて忠吾がうちたてた偉大な討伐記録、十二に並んでいた。
そんなときに聞こえてきたのが宝雷島の異変。
第三の禍躬が出現し、以前からその地にいた二体の禍躬を従え、人間たちの軍勢を返り討ちにし、またたくまに島を支配下に置いたという。
新たに降臨したという禍躬の特徴を知ったとき、コハクは「やはり生きていたか」とのみ。確信、微塵も疑うことはない。
限界を越えた戦いの果て、命のやり取りを通して結ばれた宿縁。
山狗の血が教えてくれる。
仇敵の存在を。
だからこそいまは眠らねばならない。
来たるべき刻、存分に闘うために。
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